昭和45年11月25日。私は小学校五年生で三島由紀夫など知らなかった。
ここも↓世代が近いせいかおもしろい。
日本人は三島の鍛えられたこの腕の写真を見て誤解を増幅しているように思う。彼にはファシストの素養はなかった。だからこそファシスト党やナチス党のような外観に執着した三島は国家の外観にも執着した。インテリゲンチャは外観に執着しないというインテリ常識を破って破り抜くと最後は自死という外観に自分を追い詰めた。割腹の作法に則って首を自ら落とすという外観の完成はファシスト党やナチス党にはない日本的なものだった。ロックコンサートのようなノリの全共闘はさぞかしショックを受けたことだろう。あのオッサンは本気だったんだと後で知ったのだから。
大鏡
[一九]安倍晴明、退位を感知 式神を使う さて、土御門より東ざまに率て出だしまゐらせたまうに、晴明が家の前をわたらせたまえば、みずからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、「帝王おりさせたまうと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。まゐりて奏せん。車に装束とうせよ」という声聞かせたまいけむ、さりともあわれには思し召しけむかし。「且、式神一人内裏にまゐれ」と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後をや見まゐらせけむ、「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり」といらへけりとかや。その家、土御門町口なれば、御道なりけり。
式神については、清少納言もいとかしこし「① 恐ろしい② 畏れ多い」としるしている。