一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓘ-22.映画;「アバター」考(2/2)~感じたこと、考えたこと

2023-04-15 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 私は、この映画を3つの視点で考えてみました。
❶古今東西トキの権力者が探し求めてきた「不老長寿」=永遠の命

❷強者が弱者を征服するといったの強者のエゴ、そして、
❸資源開発と環境破壊の問題についても考えさせられました。

(1)永遠の命 
 本映画は、近い将来永遠の命も手に入れることができるのでないかと予言しています。自分の肉体が機能不全になり、まだ意識=頭脳が正常の場合、それをロボットなど別なものに移し替えることができる時代を想像しました。まあ、これを”命”と定義することができるかどうかわかりませんが。
 この永遠の命の探求は、どこかで研究が進んでいるのだろう。もし、自分に永遠の命が与えられたら、当然ものの考え方や人生観、社会システムも変わるだろう、とかいろいろ考えたり、想像の翼をいっぱい広げさせてくれるような映画でした。まあ、今の自分には間に合わなく、いさぎよくあきらめていますがー。100年後に生まれた人は、乞うご期待!ですね。
    
 
(2)反戦映画
 時代設定が2154年=100年以上後の世界は、地球に資源が枯渇し、よその星に行って得なくてはならない状況は想像できます。しかし、そこに住んでいる人=生物がいるとしたら、武力に勝るものが力ずくで従えたり、抹殺しようとすることはあってはならないことです。このことは、帝国主義の植民地政策を思い出させる内容で、長い歴史の中で繰り返しやってきたことです。この映画は、現在も継続しているロシア軍によるウクライナ侵攻と重なります。また、直近の日本では、日本人が北海道のアイヌ民族を征服したこととも類似しています。世界の中で、常に少数民族、特定な宗派、隣国の小国などが大なり小なりこのような運命にあることも現実です。これは、人類の永遠の課題であることを示唆していると思います。私は、この映画は、反戦映画でもあると強く感じました。


(3)資源開発と環境破壊
 現在地球では、地球温暖化 · 海洋汚染 · 水質汚染 · 大気汚染 · 森林破壊などが問題化しています。科学が進展し、暮らしが便利で豊かになることは肯定しますが、ここに資源開発による環境破壊の問題がつきまといます。

事例】金属の原石の鉱石は、土砂や岩石に局所的にしか存在しなく、ある鉱脈が見つかれば、そのエリアは、強制的に排除して大規模な鉱山開発が行われることが多くあります。その結果、貴重な生態系が被害を受けたり、先住民や居住者が土地を奪われたりします。採掘開始後は、露天掘りなどで大面積の掘削を行い、大量の廃棄物を出します。例えば、1tの土砂から取れる金は1gほどで、その殆どは廃棄物として捨てられます。また、エネルギーや水の使用量が膨大で地域に対する影響が大きく、かつ、鉱山廃棄物によって河川や土壌の汚染を引き起こし、住民が病気になることもあります。

 本映画は、これからの地球は、環境破壊にとどまらず資源獲得をめぐって国同士の熾烈な争奪戦が益々深刻化することも示唆しています。しかし、私たちは、今の生活を後戻りさせれないし、今後も加速度的に資源開発していかなければならないジレンマにあります。この地球存続の課題としての資源開発と環境破壊は、解決すべき課題として提示されています。
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Ⓘ-21.映画;「アバター」考(1/2)~あらすじ

2023-04-14 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

本映画を視聴した人は大勢いることと思います。
皆さんの感想は如何に⁉ 学んだものは何ですか?


アバター

アバターとは、「化身、具現、権化などの意味を持つ英単語。ITの世界では、利用者のシステム内での分身として画面上に登場するキャラクターなどのことを指す」と。【IT用語辞典】



 🎬 映画でのアバターは、私なりの平易な言葉で説明すると、
人為的に作られた物体に、何らかの装置を使い
人間の意識を移し替え、
操作できるようにした物体
=「自分の身代わり・分身」
~といったところかな? 微妙に違うかもしれませんがー。

~あらすじ~

   設定;2154年。場所;地球から遥か離れた惑星;パンドラ

 希少鉱物を求め、ある資源開発会社が採掘チームを派遣し、採掘を開始している。採掘を拡大するためにはそこに住む原住民と交渉するため、彼らの外見に似せて作ったアバターを使用することになった。そのアバターに、人間の意識=頭脳を丸ごとコンピューターを媒介として注入し、それを動かす”操作員=パイロットになったのが主人公;ジェイクである。
 
 彼は、戦争によって下半身麻痺で全く歩けない状態だが、惑星パンドラに来たのは死んだ双子の兄(科学者)に代わりアバターを操ること。遺伝子が同じである彼にしか出来ない任務で、この仕事の報酬で、地球に戻って下半身麻痺の治療をする予定である。

 アバターに化した彼は、族長の娘;ネイティリと出会い、親交をもち、原住民と交流し、信頼を得ていく。しかし採掘チームは一向に進展しない交渉に業を煮やし、遂に原住民への軍事的制圧に乗り出すことに。ジェイクは、惑星;パンドラの平和のために、原住民側に立つ。

 採掘チームの軍隊は、大規模な軍事作戦で原住民のせん滅を図ろうとしたが、ジェイクの活躍もあり、結果的には原住民に負ける。クライマックスは、ジェイクの本体が眠るカプセルには軍隊の指揮官;大佐が迫っていた。カプセルが破壊され、瀕死の状態だったジェイクを救ったのはネイティリ。軍隊を失った採掘チームは、地球に撤退。そして、ジェイクは、神木エイワの妖精の力を借り、心も体も現状民となり、パンドラでの生活を決断することにー。


 「アバター」が公開された何日か後、アバターを見た人から、「イイ映画」、「スゴイ映画」、「考えさせられる映画」などとススメられ、行ってみることに。私も、久しぶりにイイ映画、考えさせられる映画に出合ったな、と満足感いっぱいの気持ちになりました

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Ⓘ-20.映画;「博士の愛した数式」から(2/2)~認知症を考える

2023-03-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 厚生労働省の研究によると、2012年時点の65歳以上の認知症の有病率は15%、全国の認知症の人の数は約462万人と推計。認知症を発症する前段階とされる人は、約400万人と。  
 その後行われた全国8地域約1万人対象の大規模研究によると、2018年時点で高齢者の約7人に1人が認知症と。高齢化が進む中、認知症の人数は今後も増加していくと見込まれています。因みにあと2年後の”2025年”には675~730万人まで増え、約5人に1人が認知症になると予測されています。

認知症の症状は、
 認知機能低下~神経細胞が壊れるなどの脳の変化にともなって生じる記憶障害や理解、判断力の低下などの症状。もの忘れだけが認知症の症状ではないこと。

 行動・心理症状~認知機能低下に本人の性格や周囲の環境、人間関係などさまざまな要因が作用して起こる不安や焦燥、徘徊など心理面、行動面の症状のこと。

 認知症は、何らかの病気や障害によって脳の働きが悪くなり、もの忘れや日常生活をはじめ、仕事に支障をきたすようになった状態のこと。年をとれば誰もが物覚えが悪くなったり、人の名前を忘れてしまったりすることがあります。これらは脳の老化によるもので、認知症によるもの忘れは、脳の神経細胞が壊れてしまうことなどによるもので老化とは違うこと。認知症の場合、進行すると体験したことも全部忘れ、ヒントがあっても思い出すことができなくなる状態と定義されています。下記は、「年齢による認知症の割合」で、世代ごとの認知症の確率がわかります。

65歳以上の認知症患者の推定者と推定有病率65歳以上の認知症患者の推定者と推定有病率

         引用:認知症高齢者数の推計 内閣府より

映画を観ながら、認知症はヒトとしての尊厳に関わるものということが十分理解できました。日常的で自然発生的な認知症が、もし、何らかの手立を講じることによって予防や治療ができるものならば、努力したいものと強く思いました。その手立てはー?、と。

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Ⓘ-19.映画;「博士の愛した数式」から(1/2)~学んだこと

2023-03-17 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

”🎬僕の記憶は80分しかもたないー√Σ≒”
2006年公開、映画;「博士の愛した数式」の話題です。


あらすじ

小川洋子の同名小説の映画化。博士;寺尾聰主演。”私”・杏子;深江絵里、義理姉;浅丘ルリ子
 家政婦として働くシングル・マザーの”私”=杏子が、家政婦紹介組合から派遣された先は、交通事故で脳を損傷し、その後遺症で80分しか記憶もたなくなった天才的な元数学者=博士の家。数学を愛し他には興味を示さない博士に、”私”は困惑するが、ある日、”私”に10歳の息子がいることを知った博士は、次の日から息子を連れてくるようにと言う。翌日、初対面の息子の頭を撫でながら、博士は彼のアタマの形から「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものにー。さまざまなトラブルを乗り越えながら月日がたつうちに、博士の記憶時間は短くなり始める。


 博士の認知症の原因は、不幸にも交通事故によるものですが、この映画みて、「認知症」の原因や特徴、予防・改善、支援・介護のことをアレコレ考えさせられました。
 ここに登場する”博士”の80分しか記憶が維持できないという認知症ですが、合わせて年齢を重ねていくうちに発症する認知症について考え、調べる機会になりました。まだ認知症でないだろう⁉と思っている現時点でー


 大脳は、脳全体の重さの80%を占める最も発達した脳の部位で、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉の4つに分化しており、博士の物理的損傷を受けたのは前頭葉の一部にー。
 ちなみにその部位の働きはー
  前頭葉~
ものを考える・記憶するほか、運動の指令を出す。
  頭頂葉~ものを感じ解析する空間認知の役割。
  後頭葉
視覚機能が集まっていて、目から情報を取り入れ解析。
  側頭葉~記憶や言語、音の解析。
 

 人間、健康で長生きするためには、足腰をはじめ、どこの臓器や器官が悪くなっても不具合が生じます。なかでも、生活の質(QRL)を維持していくためには、”脳の働き”が一番大きな要因になるのではないかと強く感じました。  

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Ⓘ-18.朽ちた″廃屋”~開拓と離農   

2023-02-04 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

2019年11/2のこと。
朝から曇天の天気でしたが、最高気温予想は10℃。所用ついでに
   旭山動物園の裏側の東旭川町倉沼近くを走り、側道に入りました。
第一の目的は、”フクロウウオッチング”です。このエリアはフク
ロウの住み家がある確率が高いのです。数年前、この近くで巣を
見つけたことがありその後いなくなったので、期待しながらー。
🦉
残念ながら、フクロウとの出合いはありませんでしたが、私の興
味・関心事は、偶然そこにあった離農した朽ちた″廃屋″になりま
  した。そこで、勝手に疑問形を作って”プロファイル”することに。


 開拓の立地条件としては、今となってはいいとはいえないかもー。


周りの枯草からより寂しさを感じます。


この小屋は何に使っていたのかな?


これが母屋。TVのアンテナがー。この屋根の下で”喜びも悲しみも♪”!


ブラウン管TV。2011年(H23)に完全に地デジに移行したのだからー。


バケツなどのプラスチックは相当劣化しています。 


この小屋の用途は?柾ぶきの屋根の上に波トタンがー。フム、、。

 
土壁です。家畜小屋かな? 時代は古いぞ!


冬の暖は石油ストーブでー。この家の作りでは寒かったことでしょう。


毎年雪の下になり、この腐った様子。


 冷蔵庫と流し台かー。


 この家は畑作農家です。現在はソバが刈り取られた跡ですがー。 


 当時は何を栽培?畑作は広い面積がなければペイしないとか。


納屋の様子 


 この建物は納屋です。手前の丸いものは、井戸用かな?


 屋根裏にも物が置けるように有効利用しています。


 奥の方に穀物用の脱穀機があります。


 穀物選別機がー。博物館によくある一品。


 この納屋はブロックで造られているので丈夫です。



 乗用車が一台放置されていました。 


 トラックに引っ越し荷物を積んで、乗用車は置き去りか?ー。


 簡易アスファルト舗装の道路はこの家で終わりでした。

この家族は、どんな事情や想いをもって離農したのか?と思いをはせました。戦後引き上げて来て、縁がありこの地に定住したある家族の「北の国から」のようなドラマがここにもあったのか⁉-とかいろいろ勝手に想像しました。
 ”喜びも悲しみも幾年月”♫、どのような理由で離農したのか知る由もありませんが、この家庭も、喜びが6割、悲しみが1割だったのだと思います。新天地での活躍にエールを送りつつ、この場を静かに離れることにしました。

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Ⓘ-17.鬼は外、福は内!~我が家の節分

2023-02-03 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 「節分」といえば、父が「鬼は外、福は内!」(逆に言い方もありー)と、煎った大豆を大きな声でまいた姿を思い浮かべます。そして、その後、兄弟で競って拾い、歳の数を食べた思い出も。
 私の家でも落花生を各部屋にまき、最後に玄関の戸を開けて家の中に居た鬼を外に追っ払う(=人道的に逃がし)、福を入れるといったセレモニー!を父親に習って継続しています。なお、落花生をまくのは近年で、落花生だと地面に落ちても衛生的か!?とー。北海道はこの習慣が多いようです。


 千葉産の落花生。近年は日本製にこだわっています。

  「節分と立春」について調べてみたところ、昨日は「節分」、今日2/4が二十四節気の一つの「立春」。すなわち節分というのは、季節が変わる分かれ目=「」のことにー。
 「立春」の文字を見ると、春が始まる!といったイメージですが立春から立夏(今年は5/6に!)の前日までが「春」という。ま、本来なら5/5も「節分」(1年に4回あり)になるのですが、立春の前の節分だけが伝統的に残っているとのことです。


 もともとこの考え方は中国から伝わってきたもので、日本の気候とは若干ずれがあります。気持ち的にはイイ響きであり、いいイメージです。まだ雪深く寒い日が続きますが、あの春が!間もなくです。このセレモニーは、悪いこと・不幸なことを払い、いいことがいっぱい来るようにと、願い・信じる気持ちを形に表したもので、ココロのもち方で人生が変わることを示唆してくれていると思います。何事にも前向きで、プラス思考で生きて行くことが大切であるとー。
 今日2/3は、節分の日です。豆まきの習慣がなかった人も、豆を買ってきてまいてみましょう。きっといいこといっぱいあるかと思います。
("^ω^)q

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Ⓘ-16.今年1年の嫌な思い出は?

2022-12-31 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 🐯大晦日の日になりました。皆さんにとりまして、この2022年はどんな1年だったでしょうか。そして、来る2023年!はどんな年になるのでしょうか。来年も平穏無事、日日是好日≒今日是好日の1年でありますようにお祈り致します。 🐰

数年前、ちょっぴり面白いNewsをみましたのでシェアしたいと思います。

“嫌な思い出はシュレッダーで粉々に”
NYで年忘れイベント 

何かほのぼのとする話題でもあり、その人や内容によっては深
刻な問題もありましょう。このことは、短冊に自分の願いを書
き、笹や竹、ヤナギ(北海道)に飾るといった、日本の七夕の逆
バージョンの感じがします。人間、トコロや言語、肌の色は異
 なっても心は同じ=「人間みんな同じどうし」を強く感じました。


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Ⓘ‐15.映画;「アローン」を考える(2/2)~学んだこと

2022-12-24 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 この映画は、”戦争”という生死のはざまの非日常的な条件設定ではありますが、ここから気づき、学んだことを記録しておきたいと思います。

❶ タイムリーに決断、実行することの大切さ

 人生の中で、あのとき、あの場で決断し実行できなかったことを反省させられることがある。マイクの場合、テロリストのリーダーを暗殺できる可能性が高かったのに、ターゲットでない新郎新婦(=ターゲットの息子たち)にあたるかも知れないと躊躇し、引き金を引くチャンスを逸してしまう。スポッターのトミーからも催促されるが、射撃までの時間がかかっている間にスコープ(光学照準器)が太陽の光に反射されたため敵に発見され執拗に攻撃を受ける。命からがら逃げて地雷原までやって来て、トミーを失い自分も地雷を踏むことに。もし、暗殺に成功していても敵から攻撃を受けることになったかも知れないが、瞬時の決断で実行していたら居場所が特定されなくこのような窮地に陥らなかったかも知れない。

❷ 死期が近づいたときに脳裡をめぐるもの
 この映画では、マイクが地雷を踏み、52時間(≒4日間)援軍を待つ間の様子にスポットが当たっている。それも、アローン=「たった一人」でー。
 襲いかかってくる狼を排除したものの、だんだん水も食料も尽き、意識ももうろうとし心身とも疲労困憊してくる。この極限状態=死期が近づいたとき、脳裡をめぐるものは何かをよく描写し、どう行動するか・しないかを視聴者に問いかけている。人間共通なことは、人生の中で、大きな精神的なショックや恐怖が原因で起きたこと(=トラウマ)をはじめ、不幸な出来事や嫌な思い出、失敗、恨みなどが脳裡をめぐるものであること。楽しかったこと・うれしかったことより、マイナス思考に陥ってしまう。マイクの場合は、父親から虐待された過去の記憶や、恋人のジェニーに暴力を振るってしまったこと、更には、自分の幻影をも見る。果たして、自分が死に直面する場合、どんなことが頭をめぐるかと想像させられる。


❸ 思い込みと一歩前へ踏み出す勇気
 地雷を踏んで一歩も動けなくなり、極限状態になったとき、偶然近くを通りかかって水をくれたベルベル人の男から、マイクに勇気を持って一歩を踏み出すよう諭される。「足を離しても地雷が爆発しない確率は7%」とのことだが、その時点ではマイクは決断できなかった。
 遂に援軍が来たのが遠方に見える。そのとき、援軍に知らせる発煙筒は手の届かない向こうに転がっている。今援軍に発見されなくちゃ自分は死ぬ!と悟り、地雷から足をはなす。しかし、その”地雷”は爆発しなかった。なぜなら、それはベルベル人の娘のおもちゃの入ったブリキ缶であったから。マイクは自分が踏んだものは、地雷と思い込み信じ切っていた。状況判断で決断することは難しいことだが、困難に遭遇した時の一歩前へ踏み出す勇気が大切であることを示唆してくれている。

❹ 戦争の悲惨、虚しさ、恐怖
 ウクライナでは、ロシア侵攻が始まってから丁度10か月が経過した。氷点下の寒い戦場で命をかけて戦っている兵士をはじめ、生活インフラが破壊され大変な生活を強いられている人たちの現実がある。ここには双方の軍に、当然マイクのようなスナイパーも配置されている。
 いうなれば、この映画は「反戦」を訴えた作品でもある。戦争や紛争には、立ち位置によってそれなりの大儀や正義があろうが、戦争の悲惨さ、虚しさ、恐怖などを改めて感じさせられた。縁があってこの世に生まれてきた命、先達の力で築き上げてきた文化やインフラをはじめ家々などである。殺し合いや破壊は決して許されることではないと。全く生産性のない、ムダなことを繰り替えす人間の愚かさー。この映画を通して、ウクライナをはじめ今もどこかで起きている戦争・紛争に想いが重なった。


 最後に、劇中なれど、心に痛手を負い、時代の流れやいろいろな事情や状況の中でこのような体験をしたマイクが恋人ジェニーとめでたく結婚し、その後幸せな家庭を築いてほしいとエールを送りたい。 

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Ⓘ‐14.映画;[アローン]を考える(1/2)~ストリー

2022-12-23 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 アローン(=alone)とは、「ただ一人で、孤独で、一人孤立して」といった意味ですが、この題名のアメリカの戦争映画を視聴しました。


 本映画(2016年公開)は、砂漠の地雷原で地雷を踏んでしまった一人の兵士が、その場から動けない状況で援軍を待ちながら陥る極限状態を描いたものです。

ストーリー

 米海兵隊のスナイパー(狙撃兵)のマイクとスポッター(スナイパーへ目標・着弾点の様子、気温・風力等の情報を伝える補助者)のトミーは、北アフリカでテロリストのリーダーの暗殺任務に就いている。しかし、マイクはターゲットの息子の結婚式に気を取られ、タイミングを逸して暗殺に失敗したため敵に発見され攻撃を受けることになる。

 二人は激しい攻撃から逃れながら近くの村に向かう。しかし、そこに向かう道にはたくさんの地雷が埋まった”地雷原”があり、トミーは地雷で両足を吹き飛ばされ瀕死の重傷を負う。トミーを助けようとしたマイクもまた地雷を踏んでしまい、足を離せば爆発してしまうため、その場から一歩も動けなくなる。マイクは、トミーを叱咤激励し何とか助けようと知恵を絞ろうとする。しかし、トミーは自分の状況を判断し、自分の頭を拳銃で撃ち命を絶つ。

 マイクは無線で友軍に救助を要請するが、激しい砂嵐のために到着まで早くとも52時間はかかるという。その前に限界が来たときは、「足を離しても地雷が爆発しない確率7%」に賭け、思い切って地雷から足を離せと返答される。マイクはその場から動けない状態で辛うじて焚き火をし、襲い来る狼を銃で倒しながら過酷な生活を送るが、水も食料も尽きもうろうとしている時間に次から次へと頭をめぐるものがある。父親から虐待された過去の記憶や、恋人のジェニーに暴力を振るってしまう自分の幻影を見るなどが走馬灯のように襲い掛かってくる。彼は、精神も体力も次第に限界に近づいていく。

 そんな状況でマイクの支えになっていたのは、偶然近くを通りかかって水をくれた、一人のベルベル人(北アフリカの広い地域に住む先住民族)の男と彼の娘の存在である。マイクは彼らから水を貰いながらギリギリの状態で生き抜いていたが、予定の52時間が経とうとしているとき、友軍から「まだ助けに行くことができない」との連絡が入る。途方に暮れたマイクはトミーのように自殺しようとするが、そこにベルベル人の男が現れる。

 マイクは、彼と彼の娘から水を貰ったことを感謝する。しかし、男は、「水を持ってきたのは私だけで、娘は以前に死んでいる。君が見た娘の姿は幻だ。幻とはいえ、娘に会ってくれてありがとう」と言い、マイクに勇気を持って一歩を踏み出すよう助言を与える。

 遂に、援軍がきた! 自分の場所を知らせるために発煙筒を拾おうと、一歩踏み出すが、地雷は爆発しなかった。その”地雷”を丁寧に掘り起こしてみるとそこに埋まっていたのは地雷ではなく、ベルベル人の娘が大切にしていたおもちゃが入ったブリキ缶であった。

 その後、救助されたマイクは砂漠で勇気ある一歩を踏み出したように、自分のトラウマを乗り越える決意をする。そして、空港に迎えに来ていたジェニーの前で一歩前に足を出しひざまずきプロポーズするシーンで映画は終わる。

 この映画を視聴しながら、我が身に置き換え、想うこと、学ぶことがたくさんありました。次回、次の視点で私なりに感じたことをまとめてみることにしました。
  ❶ タイムリーに決断、実行することの大切さ
  ❷ 死期が近づいたときに脳裡をめぐるもの
  ❸ 思い込みと一歩前へ踏み出す勇気
  ❹ 戦争の悲惨、虚しさ、恐怖 

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Ⓘ-13.映画;「コーヒーが冷めないうちに」(2/2)~数と母との対面(4話のこと) 

2022-12-17 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 話が展開していくにつれ、「この映画の主題は何か!?」と、真剣に考えながら見ている自分に気づきました。映画では、4人の事例=話題について意図的に触れていきまます。共通していえることは、人と人は如何にすれ違いや意志 疎通がうまくできないケースが多いものか考えさせられました。特に、1話と3話は相手の考えていることを自分の思い込みで判断してしまったためにすれ違っふたりの話です。

 松重豊と薬師丸ひろ子が夫婦役として出演した第3話は、お互いの気持ちを伝えられない状態になってしまうことですれ違っています若年性健忘症になった妻と過去の世界で出会い、問題を解決した事例です。相手を傷つけないためにつくウソ、何か身につまされ、心に沁みるものがありました。          

 過去に行った人たちは、現実の世界に戻ってから、今まで以上に幸せそうな顔で、イキイキと生活するようになります。 過去に行き、ほんの少しの時間ですがそれぞれの伝え切れなかったことを話し合ったことで、心のもち方が変わってしまうのです。  

 過去に戻り、そこから再出発することはできません。誰も、公平に過去を変えることも。どんなに後悔しても、反省しても、泣いても、叫んでも、「過ぎされば過去!」」ですが、何かが変わったのです。「ま、そんなことってあるかも知れない!」、なんて思うようにもー。


この映画から
❶ 日々の生活において、後から思い悩んだり、後悔しないために意志伝達・意思疎通=コミュニケーションを丁寧にしていくことがいかに大切なことか。
❷ 過去は変えれなくても、「今の今、そしてこの現実と刻々とやってくる未来は自分の力で変えていける・切り拓いていける!」こと。だから…、といったメッセージが強く伝わってきました。 
❸ 人生も、愛も、今トライしていることも、冷めないうちに!と置き換えてみると、「脚下照顧」との言葉がー。改めて自分の足もと=やっていることを見つめ直さなければ…とも。

 

 映画の記憶がアイマイな箇所も多々あると思いますので、マト外れなことも書いているかもしれません。そんな箇所は読み流してください。

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