一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓚ-19.遠軽埋蔵文化財センター見学(1/2)~後期旧石器時代の遺物  

2023-07-03 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 バイク友と日帰りでツーリングに出かけました。目的は、私の近年の関心ごとである旧石器時代の遺物が展示されている「遠軽文化財埋蔵センター」の見学です。

 10:00、バイク友と「道の駅 とうま」で待ち合わせです。すぐ、ツーリング開始!です。北見峠(標高;857m)を越え、「道の駅しらたき」で休息。目的地の白滝ICまで後10.6Kmのところですがー。

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 遠軽文化財埋蔵センターは、近年OPENしたまだ新しい建物です。まずは、駐車場に設置されていた「ジオサイ トマップ」で黒曜石の露頭のある場所、白滝遺跡が発掘された場所などの概要を確認することからスタートしました。


 ここが遠軽文化財埋蔵センターです。
 


 「白滝ジオサイトマップ」で概要を!

~以下は、拡大写真~


👇
館内に入ることにー

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Ⓚ‐18.バイク友とツーリング(5/8)~名寄市立北国博物館;縄文人の暮らし

2023-04-24 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 10/3、士別市立博物館から「名寄市立北国博物館」(23Km/30分)へ移動しました。風連の道の駅で腹ごしらえをしてから名寄へー。


🏍 🏍



 名寄市立北国博物館は、市街地から少し離れた郊外にあります。まず、名寄地方で発掘された遺物の展示を見ることにしました。


 


黒曜石から石斧や矢じりなどを作る方法 




 こんな方法もありか⁉-と。黒曜石の接触部は磨いた鹿の角。



 名寄市立北国博物館の正面。 


 名寄市立北国博物館前に展示されていた機関車🚂たち。


展示コーナーには、縄文時代、擦文時代、オホーツク時代に区分された時代ごとの石器や土器が展示されていました。名寄地方は地理的にオホーツク海に近く、オホーツク地方との交流も多かったことでしょう。この館での発見は、黒曜石から石斧や矢じりを作る方法です。発掘された証拠に基づいて推測したのでしょうが、この制作方法ははじめて知りました。時代が進み、より新しい時代になると考えられる手法でしょうが。

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Ⓚ‐17.バイク友とツーリング(1/8)~士別市立博物館;擦文人の暮らし

2023-04-17 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 秋の気配が深まった2019.10/3のこと。バイク友のOさんと士別・名寄方面を走ることにしました。目的は、「士別市立博物館」と「名寄市立北国博物館」の見学です。まずは、士別市立博物館の遺物展示のコーナーへ。



 私の関心事の一つは、旧石器時代をはじめ縄文時代や弥生時代等古代の人々が制作した遺物を観察することです。ここ には、擦文時代の土器、石器などが多数展示されていました。


 擦文時代=擦文土器のこと

 北海道には「擦文時代」、「オホーツク時代」と呼ばれる時代区分があり、縄文時代・続縄文時代と異なる文化がありました。上の対比表からみると、擦文時代は「古墳時代~鎌倉時代」。その後、北海道及び東北地方の「アイヌ時代」に移行します。 


旧石器時代のことがー 


 旧石器時代の人々の暮らしが説明されたもの


本博物館では、考古学に関した展示数が少なく、スペースも狭く感じました。ここには、擦文時代の土器、石斧、矢じり等が展示されていましたが、士別市内から発掘されたものか、また「上士別遺跡」(下記に説明)との関連はわかりませんでした。なお、旧石器時代のことは、板書形式で説明されてされていましたが、この時代の遺物があったのかどうか不明でした。さて、擦文時代の人たちは、どこから来て、どこに行ったのか?この時代の後のアイヌ人とは人類学的に関連がないというがー。


上士別遺跡~HPから

 縄文時代前期(推定5000年前)の住居址。昭和46年の発掘調査で平地式住居址4基、平地式貼床住居址1基、仕事場や炉穴などが発見され た。 住居が竪穴式でないことや炉跡や貯蔵穴が屋外にあることから、越冬生活をしていたとは考えにくく、夏場の狩猟時期だけ居住していたものと推定される。また、周囲から土器、石器が数多く出土したーと。
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Ⓚ‐16.道南・海岸線ツーリング(6/8)~「中空土器」を見に函館市縄文文化交流センターへ

2022-12-27 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 ※本ぺーきは、2022.9.9、道南・海岸線ツーリング中の2日目、函館市臼尻町にある「函館市縄文文化交流センター」を見学したものです。


 この函館市縄文文化交流センターは、2011年に誕生した道の駅〈縄文ロマン南かやべ〉と同じ建物にあります。このセンターの見どころは、2007年国宝に指定された土偶「中空土偶」を間近に観察することができます。

 縄文遺跡の数は函館市内で400か所、この南茅部地域だけでも90か所あります。函館で出土する縄文土器の中には青森県の同時代の土器との共通点も多いことから、「北海道・北東北の縄文遺跡群との呼称で2021年7月世界遺産になりました。












※ 長さ41.5cm、幅;20.1cm、重さ;1,745g

厳しい自然環境に適応しながら繫栄した縄文時代は1万年も続いたとのことです。本センターでは、南茅部で発掘された中空土偶をはじめ、縄文の歴史が色濃く残る函館市で発掘された貴重な遺構や出土品をたくさん見ることができます。なお、展示の方法も創意工夫されているナいった感じです。

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Ⓚ‐15.道南・海岸線ツーリング(4/8)~函館市立博物館;考古学の部

2022-12-22 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 ※本ぺージは、2022.9.9、道南・海岸線ツーリング中の3日目、函館市立博物館を見学したものです。


 函館市立博物館は、石器、土器など函館で発掘された貴重な考古学資料や美術工芸品、鳥類、植物、昆虫などの自然科学資料が展示されています。なお、分館には函館戦争関連資料があります。下記は、主に考古学分野について記録しました。




旧石器時代の遺物











 
 函館にも旧石器時代の遺物が発掘されていました。



縄文時代の遺物


 石に穴を開ける技術はスゴイ!といつも思います。



縄文時代の遺物としては、違和感がありますがー。



椴法華(とどほっけ)式土器
※ この紋様は珍しい~昼食で立ち寄った「海岸食堂」で話題にー。



「函館市の遺跡マップ」~多くは海岸線で生活していたことがー。

展示物から、➀海や山を越えた遠方との交流・交易が活発に行われ、ヒスイやアスファルト、黒曜石が運ばれてきていたこと。②漆器や装身具類も発達し、祭りに使われる土偶がたくさん作られ、縄文人は豊かな精神世界を持っていたこと。③ 円筒土器も出土され、北海道南部と北東北で出土する土器と共通であること。
 一方、発掘調査を通して、④定住生活することにより、竪穴式の建物が建ち、やがて生活の拠点のムラの出現によって住居や墓が作られるようになったこと。また、⑤ムラの周りには防御用の溝や柵などの痕跡が発掘されないことから、ムラ同士の争いごとがなく温和で協調的な社会が築かれたことなどが推測されます。



🌅今日="冬至"⛄

冬至の日の旭川の日の出は7:01、日の入りが15:56。
昼の継続時間~8h55′、夜の継続時間~15h05′
(:夏至の日~日の出;3:48、日の入り;19:16)
12/21の最高気温;-1.8℃、最低気温;-5.4℃、積雪;30cm
12/22の最高気温;-4.7℃、最低気温;-15.3℃、積雪;26cm

これからは、少し足踏みした後、春に向かって一日一日昼が
 長
くなり、南中高度も高くなるので今日がその折り返し点に。

今朝は積雪なし。日中太陽が顔を出す穏やかな1日
になる予報です。これからが寒さが一段と厳しくな
り積雪も多くなります。今年の冬はどんな冬にー⁉ 
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Ⓚ-14.道南・海岸線ツーリング(3/8)~江差町郷土資料館;考古学の部

2022-12-21 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 ※本ぺーきは、2022.9.8、道南・海岸線ツーリング中の2日目、江差町にある「江差町郷土資料館」を見学したときのものです。


 江差町郷土資料館の建物は、北海道指定有形文化財である「旧檜山爾志郡役所」として建てられた西洋建築を活用した博物館施設です。
 郷土資料館では、世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の石器や土器」の傾向や特徴、及び共通点を観察することにしました。


 江差町郷土資料館全景



 この地域からも「円筒土器」がたくさん出土されています。


 美形の矢じりもたくさんあります。




 当時のj訪問人は何に使ったのでしょう?


 この黒曜石はどこから来たのか?


このヒスイから、他地域と交流があったことがー。




このかもめ島は陸続き。近くに「開陽丸記念館」がある。


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館内の様子






 この展示法はアイディアですね。





 館内の装飾の様子から当時の建築様式が推察できます。いいね!


かもめ島の伝説が説明されています。



江差 五勝手鹿舞






松前藩に雇われた五勝手村のヒノキ伐採に従事した人たちによ
って伝授された舞いとのことです。鹿というところがイイね!



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郷土資料館から見える街並み







 北海道南部と北東北で出土する土器の特徴に「円筒土器」があります。これは細長いバケツのような形をしています。また、両地域は、この円筒土器ばかりでなく石器や住居の形似ており、遠く津軽海峡を挟んで交流があり、共通の文化圏をもっていたことがわかります。

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Ⓚ-13.稚内へ1泊2日のツーリング(7/8)~「羽幌町郷土資料館」(考古学分野) 2022.8.11

2022-11-02 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 1泊2日の予定で、旭川➡中川町➡稚内(泊)➡留萌➨旭川とソロ・バイクツーリング中に立ち寄った「羽幌町郷土資料館」の様子です。 



 この資料館は、旧羽幌簡易裁判所庁舎を利用した建物です。炭鉱やニシン漁で栄華したよき時代の羽幌の様子が垣間見ることができます。当時の豪商や住民の生活の展示も有り、様々な角度からこの町の繁栄していた様を知ることができます。
 羽幌にも多くの石器、土器が発掘されていますが、時代背景もいろいろでした。なかでも、チライベベツ遺跡は、発掘調査がなされ擦文時代末期のものと推定されています。






 管理人さんの厚意で、展示されていない天売島から発掘させた遺物を事務所内でみせてもらいました。時代は特定されていませんが、黒曜石でできた矢じりや研磨された石器、そして紋様が刻まれた土器片です。羽幌から約40Km離れた天売島まで、家財道具、食料など一式を積んでどんな気持ちで移動したのかな⁉と思いを馳せました。また、時代的には、擦文時代かな⁉とか。

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Ⓚ-12.稚内へ1泊2日のツーリング(4/8)~中川町エコミュージアムセンター;自然誌博物館;「ポンピラ遺跡」

2022-10-27 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 1泊2日の予定で、旭川➡中川町➡稚内(泊)➡留萌➨旭川とソロ・バイクツーリング中に立ち寄った「中川町エコミュージアムセンター~ポンピラ遺跡」の様子です。



             ~ポンピラ遺跡のこと~
 1976年(昭和51年)から翌年まで発掘調査が実施され、擦文時代(飛鳥時代から鎌倉時代後期まで)の竪穴住居1軒、竪穴住居内外から擦文式土器片220点、土製の紡錘車、編布片、カワシンジュガイ殻皮などが出土したという。

当館は、考古学的なものはこのポンピラ遺跡で、展示点数も多くありませんでした。出土した土器は、いずれも擦文時代後期のもので、道北地方における擦文文化の様子や擦文時代の終末期を考える上で重要な遺跡とのことです。

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Ⓚ-11.十勝管内へ1泊2日のツーリング(7/8)~足寄動物化石博物館(考古学分野) 2022.8.25

2022-10-05 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 2022.8.24~25、1泊2日で豊頃町の長節湖までsoloツーリングしました。本ページは、2日目の8/25、「足寄動物化石博物館」に展示されていた「先住民の暮らし」の部を見学したものです。



 この博物館は、呼称のように動物化石を主として展示していますが、考古学関係の遺物も一部展示されていました。時代としては、約3000年前の縄文時代後期のもので、「上利別20遺跡」からの出土品です。腕輪や耳飾りなどの装飾品が出土されています。また、注ぎ口が二つで出口が一つの「双口注口土器」という土器がありました。縄文時代の人たちは何に使っていたのかな?と、考えることしばしー。

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Ⓚ-10.十勝管内へ1泊2日のツーリング(4/8)~帯広百年記念館;「先住の人びと」の部  2022.8.24

2022-09-29 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 2022.8.24~25、1泊2日で豊頃町の長節湖までsoloツーリングしました。途中、「帯広百年記念館」の「十勝平野の生い立ちの部」を見学したものです。



 帯広百年記念館は、1883年(明治16年)、開拓団体が現在の帯広を開拓を開始し丁度100年目に当たる1982年(昭和57年)に建てらたという。常設展示室は第1展示室と第2展示室に分かれています。第1展示室では、「十勝の自然や開拓期のようすから農業王国・十勝へと発展するまで」、第2展示室では「十勝平野の形成から先住民であるアイヌの人々の生活の様子まで」を展示しています。



まず、「十勝平野の生い立ち」の部を見学した後、
「先住の人びと」 の部を見学しました。

      続縄文時代と弥生時代との関係
 約2500年前、九州北部には大陸から稲作とともに鉄器や青銅器が伝わって急速に日本中に広がりました。これが「弥生時代」の始まりです。しかし、北海道では地理的・気候的なこともあり、稲作は行われずわずか金属器が使われましたが、縄文時代と同じように、狩りや漁、採集を基本とした生活が続き、土器にも縄目模様=縄文が残ることからこの時代を「続縄文時代」と。この時代は、北海道では稲作は行われませんでしたが、西南部の地方ではソバなどの栽培が行われていたようです。

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