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沖縄のことあれこれ。

香港大手投資集団が県内進出へ ホテル買収や建設

2014-11-30 19:27:31 | ニュース

香港の大手投資会社で、格安航空会社(LCC)ピーチ・アビエーションの主要株主の第一東方投資集団(ファースト・イースト・インベストメント・グループ、諸立力(ビクター・チュー)会長)が、県内のホテルや娯楽業へ投資を計画していることが29日までに分かった。ピーチ・アビエーションの取締役会に参加するため来沖した諸会長が、琉球新報の取材に対して明らかにした。来沖する香港人を含む中国人旅行者の好調な伸びが背景にある。

主な投資先は、那覇と石垣島を中心に既存ホテルの買収と新規ホテルの建設計画。ホテルは中国人向けに特化する。現在投資に向けた市場調査を進めている。今後も中国人旅行者の増加が見込まれるため、来年2月から週4往復するピーチ・アビエーションの那覇―香港を、将来は毎日複数便運航させる意向だ。

諸会長は既に、昨年来沖し県内のホテルを視察している。「沖縄には中国人客が多く訪れており、今後投資するホテルには、中国式のコーヒーショップの導入や中国語対応のできる職員の配置を考えたい」と構想を語った。

第一東方投資集団はピーチ・アビエーションの約3割の株を所有し、世界中に約200の投資案件を抱えている。そのうち約100件が中国51都市で、欧州や中東、米国にも投資している。道路や電気、水道などのインフラ整備をはじめ、製造業や金融関係、航空産業、ホテルなど幅広い分野に投資している。(呉俐君)


うちにも投資してくれないかなあ。

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銘苅春政 江戸与那三線

2014-11-28 13:29:15 | 日記

完成

 

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きょう「第1回沖縄大交易会」前夜祭 宜野湾

2014-11-26 13:58:15 | ニュース

 国内最大規模の国際食品商談会「第1回沖縄大交易会」(県、沖縄懇話会主催)が27、28の両日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターと同市立体育館で開催される。商談会に先立ち26日は前夜祭が那覇市のロワジールホテル&スパタワー那覇で開かれる。
 

25日時点で、出展企業は県内の食品事業者などを含め201社、仕入れ担当者(バイヤー)は国外からの90社を含めた162社の合わせて363社が参加する。

 
 
 
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三線 螺鈿 カマゴン 赤皮 

2014-11-24 15:40:02 | 日記

完成

棹は、カマゴンで黒木などについで良材。

カラクイは、黒檀の24カット型

ティーガは御紋青色系。

特筆は胴体。

この胴体に張っている皮は、俗に「赤皮」と呼ばれていたもので、現在は入手できないタイ産の天然ニシキヘビです。

天然物の規制があったころの緩和期間に輸入されたもので、残りわずかな在庫で製作です。

 

 

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高倉健さん、恩師の墓を八重山に 沖縄の海、人に引かれ

2014-11-22 14:55:07 | ニュース

 日本映画を代表する俳優で、10日に亡くなった高倉健さんが初主演を飾った映画は、沖縄が舞台の「電光空手打ち」(1956年)で、その役柄は沖縄空手の使い手だった。

代表作「網走番外地」シリーズの「南国の対決」(66年)でも復帰前の沖縄を訪れるなど、沖縄への思い入れも強く、人々とのつながりも大切にしていたようだ。

 「高倉健さんは沖縄が大好きで『世界一の海と空、そして人情の島』と話してくれた。八重山のことも本当に大切に思っていた」。那覇市の沖縄関ヶ原石材社長の緑間禎さん(60)は高倉さんと28年前に過ごした時間をかみしめるように、若々しい高倉さんと共に写る記念写真を見詰め、訃報に声を詰まらせた。

 出会いのきっかけは「墓石」。知人を介して高倉さん本人から「恩師である映画監督の遺骨を八重山に納骨したい」と墓の建立の依頼を受けた。当時社長だった父と3歳の長男と共に、高倉さんと監督の妻、娘を迎え、納骨に立ち会ったという。

 沖縄の経済や人々の暮らしにも関心を寄せていたという高倉さんは、八重山への納骨が監督の遺言だったことを伝えつつ、「監督の名や墓の場所は口外しないでほしい」と要望した。緑間さんは「多くを語らない健さんらしい願いなので、僕も健さんと会ったことすら、家族と身近な社員以外には秘密にしてきた」と明かす。

 緑間さんは、高倉さんの実家が自身と同じ石材業だったことを訃報の記事で知り、あらためて胸に迫るものがあったという。「『毎年(墓がある)八重山に来ます』と語り、本当に来られていたようだ。恩師の家族を大切に守り、若造だった僕にも敬語で話す、礼儀正しく律義なスターだった」と振り返った。

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