沖縄・首里城の正殿と北殿が全焼 南殿にも延焼(19/10/31)
那覇警察署などによると、31日午前2時40分頃、首里城を警備している会社から「煙が見える」と消防に通報があったという。消防車14台が出動しているが、首里城の正殿、北殿、南殿が燃えていて、正殿は全焼し、2階の屋根が崩れ落ちた。火は正殿の近くの門や近所の民家にも広がっているという。なお、けが人の情報は入っていないという。
首里城では27日からイベントが行われていて、30日夜はその準備が行われていたが、何時まで人がいたかなど詳しいことはわかっていない。
首里城はかつての琉球王国の王の住まい、兼行政機関の本部だったが、正殿は1945年の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃によって消失し、現在の正殿は1992年に復元された木造の建物。首里城跡は、2000年に世界遺産に登録された。
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首里城 正殿北側で分電盤回収 北東側から炎 映像も
沖縄県那覇市首里当蔵町の首里城火災で、沖縄県警と那覇市消防局は3日午前から3日目の実況見分を実施し、火元とみられる正殿北側から焼け焦げた大型の電気系統設備の一部を回収した。詳細な回収場所は不明。関係者によると設備は「分電盤」と呼ばれ、各階へ電気を配分する機械だという。また正殿裏手の御内原(おうちばら)エリアにある「女官居室」付近に設置された防犯カメラに、正殿北東側付近から炎が噴き出す様子が映っていたことが関係者への取材で分かった。県警はこれらの分析を進めるなど、出火原因との関連を慎重に調べている。
県警と消防は、状態を確認しながら、がれきを御庭(うなー)へ運ぶ作業中に分電盤を発見し、数人がかりで運んだ。県警は外部の専門家にも協力を依頼し、分電盤を分析することも視野に入れる。実況見分は午前10時に開始し、午後5時に終了した。4日も午前10時から開始する。
防犯カメラについては、関係者によると、女官居室と呼ばれる建物周辺に設置されていた。正殿裏手に位置する御内原エリアが撮影範囲に入っており、火災時の様子が記録されていた。センサーが反応し、警報が鳴った午前2時34分以降、正殿北東側から煙が出た後、炎が噴き出す様子も映っていた。
警備員は正殿正面にある奉神門2階のモニター室から正殿に向かい、北側のシャッターを手動で開けて中に入った。入り口から階段を上って左に曲がろうとしたが、煙が充満していたため引き返した。その後、正殿内から出て、裏手も確認すると正殿北東側から煙が噴き出していた。モニター室に戻り監視カメラ映像を確認すると、同じ場所付近から炎が噴き出していた。
また、世界遺産である正殿地下の遺構の一部も3日までに確認された。現場を視察した大山孝夫那覇市議によると、遺構全体の状態は不明だが目視できた部分については大きく損傷したり形が崩れたりはしていないという。首里城公園を管理する沖縄美ら島財団は取材に対し、「現時点では遺構の状態は不明」とした。
同財団によると、県指定文化財を含む454件724点を収蔵する「南殿収蔵庫」内は外見上無事で、248件351点を収蔵する「寄満(ゆいんち)収蔵庫」は床は水にぬれた状態だった。
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沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産
首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。首里城公園の公式ホームページによると、内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。
公式ホームページによると、首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国を統治する行政機関である「首里王府」の本部でもあった。各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍。首里城は文化芸術の中心でもあった。
首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスになったが、大学移転後に復元事業が行われ、1992年に本土復帰20周年を記念して国営公園として復元された。
2000年12月には首里城跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、日本で11番目の世界遺産に登録された。同年には「九州・沖縄サミット」の社交夕食会が開かれた。二千円札にも描かれている。
今や沖縄を代表する観光地として国内外から多くの観光客が訪れている。
毎年秋に琉球王朝の華やかな儀式や行事を再現する首里城祭が行われており、今年も10月27日に開幕し、11月3日の日程で開催されているところだった。
首里城再建までの高い壁 資材確保に課題 赤瓦職人の減少も…
首里城焼失を受け、県や国は再建を目指す方針を示しているが、そのためには技術者や資材の確保で高いハードルも立ちはだかる。
1992年の首里城復元時には正殿の5万5千枚を含め計22万枚もの赤瓦が使われたが、赤瓦やしっくいの職人は減少と高齢化が進んでいる。また、92年復元時は沖縄戦や戦後復興のための乱伐で県内の木材が枯渇していたため、台湾や他府県産のヒノキを使用せざるを得なかったが、台湾は1990年代から森林保護のためにヒノキの伐採を禁止するなど、資材確保は一層厳しくなっている。
92年の復元で設計総括責任者を務めた中本清さんは、当時ヒノキの輸出を禁止していた台湾森林管理局と直接交渉し、「これが最後だ」と特例で調達を認められた経緯などを振り返った。「図面もあるので技術的には再建は可能だろうが、あれだけの建物を造るには太い木が必要だ。仮にもう一度、木造でやるならば資材の調達は簡単ではない。職人不足の問題もある」と指摘した。
県琉球赤瓦漆喰(しっくい)施工協同組合の神里善則副理事によると、92年の復元時に比べ県内のしっくい職人は半分以上減った。神里副理事は「民間工事でも人の確保に四苦八苦している。再建には時間も人材育成も必要だ」と話した。県赤瓦事業協同組合の当山彰専務理事は「職人は減少しているが技術は継承されているので対応はできるだろう」とした。その上で「ただ長い時間が必要だ。短期だと難しい」と話した。
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正殿巡回1時間後に出火=尚家資料など400点超焼失-管理財団が会見・首里城火災
那覇市の世界遺産、首里城跡に復元された首里城正殿がほぼ全焼した火災で、首里城を管理する一般社団法人「沖縄美ら島財団」が1日記者会見し、警備員が正殿の巡回を終えた約1時間後に出火したことを明らかにした。
【図解】火災が起きた首里城の全体図
財団が保有する文化財1510点のうち、尚家の関係資料など少なくとも400点超が焼失したことも判明した。
正殿付近では、10月31日未明までイベント「首里城祭」に参加する業者などが作業をしていた。財団によると、業者などは同日午前1時すぎに正殿前の広場を退出。その後、警備員が巡回を行い、同1時40分ごろセキュリティー装置を起動させた。
警報器が異常を検知したのは同2時35分ごろ。警備員が正殿北側のシャッターを開けると、内部は煙が充満しており、初期消火は不可能だったという。
火元とみられる正殿には、建物の外側に圧力水を放出して延焼を防ぐドレンチャー設備が配備。正常に作動したものの、延焼を抑えるには至らなかった。
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絵画や漆器など少なくとも435点焼失 首里城火災で沖縄美ら島財団 多数は依然確認できず
首里城公園を管理する一般財団法人沖縄美ら島財団(花城良廣理事長)は1日の会見で、首里城の建物で1510点の絵画や漆器など美術工芸品・資料を収蔵し、うち正殿など7棟の火災で少なくとも435点が焼失した可能性があることを明らかにした。焼失した施設に展示していた美術工芸品について「確認できるところではたぶん焼失した」とした。
今回の火災で焼失した可能性が高いのは、全焼した正殿に常設展示されていた扁額「中山世士」や「玉座」など7点をはじめ、南殿の大龍柱残欠など4点、北殿の1点、書院・鎖之間の2点の計14点。県立埋蔵文化財センターや個人から借用した資料14点も各施設に展示されていた。寄満多目的室に保管していた尚家資料や委託資料など407点も焼失している可能性が高いとした。美ら島財団は「形は残っていないという報告は聞いている」と話した。
美ら島財団は所蔵している美術工芸品が絵画、漆器、染織など860件・1510点あり、首里城内で分散して所蔵しているという。収蔵庫に保管しているものについては火災で収蔵庫が高温で開けられないことを理由に「確認できる状況にない」と話し、不明であるとした。
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首里城、スプリンクラーなし 推奨も管理者把握せず
31日火災で焼失した首里城。防災設備は消火器や屋内消火栓、屋内消火栓ポンプユニット、放水銃、ドレンチャー設備などがあったが、スプリンクラーなどの消火設備は設置されていなかった。那覇市消防局によると、消防法によるスプリンクラーの設置義務はないが、文部科学省は今年9月に文化財にスプリンクラーの設置を推奨する文書を配布した。指定管理者の美ら島財団首里城公園管理部首里城事業課の町田宗紀課長は文書について「把握していない」と述べた。沖縄総合事務局がスプリンクラーなどの消火設備が設置されなかった経緯などについて確認を急いでいる。
ドレンチャー設備は文化財構造物の屋根下などから水を流して膜を作り、火災を遮断する延焼防止設備。首里城には74個設置されているが、今回稼働したかは分かっていない。放水銃は正殿の正面(西側)に2組、北側、東側、南側に各1組の計5組が設置されているが、今回の警備員による初動対応では使用されなかった。
那覇市消防局や那覇署によると、火災発生時の敷地内には警備員3人がいた。午前2時34分に正殿の防犯センサーが作動し、警備員が駆け付けると、正殿内で煙が上がっていたという。火災訓練は2018年12月に行われており、今年の訓練も12月を予定していた。消火設備などの点検は19年3月に実施した。その際、設備に不具合や異常などは確認されなかった。
国宝や重要文化財に指定されている建物は、消防法や文化財保護法に基づく防火対策が義務付けられている。首里城は2000年に世界遺産に登録されたが、復元された正殿などは対象ではなく、防火対策の対象外となっている。首里城正殿などの有料区域は19年2月、国から県に管理が移行された。県は19年2月1日から23年1月31日までの間、沖縄美ら島財団を指定管理者に指定している。施設の所有権者は国で、県は国有財産使用料として年間約2億円を国に支払っている。