図面はこんな感じ
そして、下は八重山黒木で製作したマカビ型の棹、塗りはスンチ。
トゥーイを良くみると八重山黒木特有の「うずら」と呼ばれる文様が透けて見えます。
そのマカビ型に開鐘チーガを合わせてみました。
皮の張りはこれからです。 完成までまだまだ時間がかかります。
図面はこんな感じ
そして、下は八重山黒木で製作したマカビ型の棹、塗りはスンチ。
トゥーイを良くみると八重山黒木特有の「うずら」と呼ばれる文様が透けて見えます。
そのマカビ型に開鐘チーガを合わせてみました。
皮の張りはこれからです。 完成までまだまだ時間がかかります。
忠孝酒造(豊見城市、大城勤社長)の黒麹(くろこうじ)菌を使った県内唯一のノンアルコール甘酒「黒あまざけ」が、2016年度「むらおこし特産品コンテスト」(全国商工会連合会主催)で、最高位の経済産業大臣賞を受賞した。県内初の受賞で、47都道府県から出品された特産品107品の頂点に輝いた。
経産大臣賞を受賞した「黒あまざけ」を手にする大城勤忠孝酒造社長(左)と
当銘優豊見城市商工会会長=28日、豊見城市のくぅーすの杜忠孝蔵
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大城社長と当銘優豊見城市商工会会長が28日、忠孝酒造で記者会見を開き、大城社長は「甘酒は『飲む点滴』と言われるほど栄養価が高い。全国で飲まれる甘酒をきっかけに泡盛の普及拡大につなげたい」と抱負を述べた。
黒あまざけは、国産の米とショウガを使用して仕込みに黒麹菌を使った。黒麹菌特有の生成でクエン酸やブドウ糖のほか、9種類の必須アミノ酸を含んだ栄養価の高い甘酒ができる。砂糖・甘味料無添加で、まろやかな甘さが特徴だ。
販売を始めた2012年からの累計販売実績は10万本を突破した。年間5万本の生産体制で、今後は商工会連合会の支援を受けて全国に販路を広げる。
同コンテストの安島博幸審査委員長は「黒麹を仕込みに使いクエン酸の酸味が味をおいしくして、従来の甘酒のイメージと異なる新しい味わいで感動した」と評価した。
黒あまざけの容量は720ミリリットルボトルで参考価格は税込み1008円。県内の各スーパーで販売している。問い合わせは同社(電話)098(850)1257。
おきなわマラソン実行委員会(会長・桑江朝千夫沖縄市長)は28日午前、沖縄市役所で公式テーマソングを発表した。第25回記念大会を迎えることから、実行委がうるま市出身のロックバンドHYに楽曲制作を依頼していた。曲名は「バタフライ」で、疾走感のある爽やかな歌に仕上がっている。29日からテレビCMで流れるほか、大会公式ホームページで聞くことができる。大会当日はHYのライブもある。
作詞作曲を務めたドラムの名嘉俊さんは「沿道で応援する皆さん、ランナーの皆さんが一つになっているのを見て、チョウチョウの羽根のようにきれいだという印象があって書いた。この曲で走っている人やサポートしているスタッフ、沿道の皆さんにパワーを与えたい」と語った。
桑江会長は「今後、このテーマソングを活用し、おきなわマラソンを中部の一大スポーツイベントとして、国内外に宣伝していきたい」と語った。
11月19日にカリフォルニア州レドンドビーチ・パフォーミングアーツセンターで開催されたミスコンテスト「第28回ミス・アジアUSAページェント」で、北中城村出身の押元末子さん(55)が衣装デザイナーとして、グランプリに選ばれた日本代表の渡辺珠里さん(21)の快挙を支えた。同コンテストはアジア系の血を受け継ぐ米国在住者に出場資格がある大会で、28年の歴史の中で日本人が優勝するのは初めて。
コンテストは衣装に対する審査もあり、評価が低ければクイーン(女王)の座を獲得することはできない。衣装デザイナーとしてだけでなく、人生の指導者(メンター)として渡辺さんを支えた押元さんは「私の全力を尽くしたので、大満足です」と話した。
押元さんが制作したのは、日本代表のナショナルコスチューム、シルバーのイブニングガウン、白いイブニングガウンの3着。渡辺さんの総合衣装デザイナーとして、またメンターとして精神的な面からも渡辺さんを支えた。
今後1年間、渡辺さんはミス・アジアクイーンとして全米のさまざまなイベントやボランティア活動に参加する。2018年のミス・ユニバース日本大会にも出場する予定で、その際も押元さんが総合衣装デザイナーを担当する予定だ。
渡辺珠里さんは東京出身。4歳から7歳まで中国で過ごし、その後東京のインターナショナルスクールに通い13歳で母と渡米。現在、米西部ロサンゼルスのカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)の国際発展科に通い、日本語、英語、華語(マンダリン)、韓国語の4カ国語を操る将来有望な女性だ。今の目標は「ミス・ユニバース世界大会で優勝し、さまざまなボランティア活動を通して世界中の発展途上国に少しでも貢献することだ」という。
押元さんについては「ページェントが始まる前のインターンの時に自分に合った衣装がなく、ページェント出場は半ば諦め掛けていた。所属しているプロダクションに押元さんを紹介され、それがきっかけとなって優勝までこぎ着けることができた」と感謝した。(当銘貞夫通信員)