御嶽山9合目
2019年10月26日(土) 3067m 1/2.5万地図[御嶽山]
9:40登山開始 →11:40 九合目(昼ごはん)12:40下山 →14:20登山口
御嶽山の登山口は、岐阜県では益田郡小坂町、長野県では木曽郡旧開田村、三岳町、そして王滝村にある
8:33 牧尾ダムの湛水池 “おんたけ湖” 右岸から御嶽山を撮影
御嶽山といえば平成26年9月27日の大噴火で58名の方が亡くなった。あいにく土曜日の昼ご飯時に噴火したので大勢の人が登っていた。悲しい出来事でした
私は王滝村主催の“おんたけ湖ハーフマラソン” 10kmの部に毎年参加している。この大会は愛知用水(※)通水50周年記念事業により、水源地王滝村が平成23年から開催しているマラソン大会。大会参加に併せ9合目までであるが山頂から追悼しようと思い登ってきた
立入禁止範囲の張り紙
トイレにはいると、立入禁止区域の案内が張ってあった。また登山口の看板には、無理に侵入した登山者2人が検挙されたことや、登山装備、ヘルメット着用などの注意事項が書いてあった。
慎重に登り出す、8合目付近になると標柱が傾いていたり、なにか霊気を感じる、後ろで物音がした、振り向くと写真愛好家が登ってきた、軽く会話する
12:33 9合目の看板
12:34 新しく作った9合目避難小屋
9合目まで登ると小屋に管理人がいた。小屋内の温度は6度とか。雪が降ったので9合目までの登山は明日までで、明後日からは8合目以降入山禁止になるという。
立入禁止手前のロープまえで被災地に向かって、合掌し、冥福を祈った。
冬支度のため、ヘリで荷物を降ろしていた
8合目の石室
13:59 帰り7合目付近にある大江権現の看板、明治9年ころまで女性はこれから上には登れなかったと書いてある
14時過ぎ、無事駐車場に戻り、帰り、清滝を見て、マラソンの受付をし、今夜の宿泊場に帰った
※ 愛知知用水とは?
岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなる。愛知用水公団によって1961年に開かれ、現在では独立行政法人水資源機構によって管理されている。
愛知用水の水源は長野県王滝村と木曽町にまたがる牧尾ダム、同県木祖村の味噌川ダム、岐阜県恵那市の阿木川ダムの3つ。当初は牧尾ダムのみであり、他の2つは水需要増加などにより牧尾ダムだけでは対応できなくなったため、追加で造られたものである。
愛知用水は農民が決起して国を動かし事業化された。農民たちが国に陳情したときの当時の吉田首相の一言、“食糧増産、失業対策、いいじゃないか佐藤(その後の総理大臣)君。”
愛知用水は知多半島の農業用水だけではなく、鉄、コカ・コーラなどの工業用水、水道、電気を供給している
反省など
今月初めに膝を痛め、走る練習を一度もしなかったので、途中から歩く羽目になった
8年前まで愛知用水の仕事を8年間した。50周年記念事業から8年が過ぎ、その関係者らのマラソンの参加者が年々減っているようで寂しく感じた
清滝 昔御嶽山に登るには、ここで百日の潔斎精進(心身を清めること)が必要だったそうです(王滝村パンフより)
2019年10月26日(土) 3067m 1/2.5万地図[御嶽山]
9:40登山開始 →11:40 九合目(昼ごはん)12:40下山 →14:20登山口
御嶽山の登山口は、岐阜県では益田郡小坂町、長野県では木曽郡旧開田村、三岳町、そして王滝村にある
8:33 牧尾ダムの湛水池 “おんたけ湖” 右岸から御嶽山を撮影
御嶽山といえば平成26年9月27日の大噴火で58名の方が亡くなった。あいにく土曜日の昼ご飯時に噴火したので大勢の人が登っていた。悲しい出来事でした
私は王滝村主催の“おんたけ湖ハーフマラソン” 10kmの部に毎年参加している。この大会は愛知用水(※)通水50周年記念事業により、水源地王滝村が平成23年から開催しているマラソン大会。大会参加に併せ9合目までであるが山頂から追悼しようと思い登ってきた
立入禁止範囲の張り紙
トイレにはいると、立入禁止区域の案内が張ってあった。また登山口の看板には、無理に侵入した登山者2人が検挙されたことや、登山装備、ヘルメット着用などの注意事項が書いてあった。
慎重に登り出す、8合目付近になると標柱が傾いていたり、なにか霊気を感じる、後ろで物音がした、振り向くと写真愛好家が登ってきた、軽く会話する
12:33 9合目の看板
12:34 新しく作った9合目避難小屋
9合目まで登ると小屋に管理人がいた。小屋内の温度は6度とか。雪が降ったので9合目までの登山は明日までで、明後日からは8合目以降入山禁止になるという。
立入禁止手前のロープまえで被災地に向かって、合掌し、冥福を祈った。
冬支度のため、ヘリで荷物を降ろしていた
8合目の石室
13:59 帰り7合目付近にある大江権現の看板、明治9年ころまで女性はこれから上には登れなかったと書いてある
14時過ぎ、無事駐車場に戻り、帰り、清滝を見て、マラソンの受付をし、今夜の宿泊場に帰った
※ 愛知知用水とは?
岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなる。愛知用水公団によって1961年に開かれ、現在では独立行政法人水資源機構によって管理されている。
愛知用水の水源は長野県王滝村と木曽町にまたがる牧尾ダム、同県木祖村の味噌川ダム、岐阜県恵那市の阿木川ダムの3つ。当初は牧尾ダムのみであり、他の2つは水需要増加などにより牧尾ダムだけでは対応できなくなったため、追加で造られたものである。
愛知用水は農民が決起して国を動かし事業化された。農民たちが国に陳情したときの当時の吉田首相の一言、“食糧増産、失業対策、いいじゃないか佐藤(その後の総理大臣)君。”
愛知用水は知多半島の農業用水だけではなく、鉄、コカ・コーラなどの工業用水、水道、電気を供給している
反省など
今月初めに膝を痛め、走る練習を一度もしなかったので、途中から歩く羽目になった
8年前まで愛知用水の仕事を8年間した。50周年記念事業から8年が過ぎ、その関係者らのマラソンの参加者が年々減っているようで寂しく感じた
清滝 昔御嶽山に登るには、ここで百日の潔斎精進(心身を清めること)が必要だったそうです(王滝村パンフより)