奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

御嶽山9合目 1026

2019-10-28 10:38:19 | 山登り
御嶽山9合目
2019年10月26日(土) 3067m 1/2.5万地図[御嶽山]
 9:40登山開始 →11:40 九合目(昼ごはん)12:40下山 →14:20登山口

 御嶽山の登山口は、岐阜県では益田郡小坂町、長野県では木曽郡旧開田村、三岳町、そして王滝村にある

 8:33 牧尾ダムの湛水池 “おんたけ湖” 右岸から御嶽山を撮影

 御嶽山といえば平成26年9月27日の大噴火で58名の方が亡くなった。あいにく土曜日の昼ご飯時に噴火したので大勢の人が登っていた。悲しい出来事でした

 私は王滝村主催の“おんたけ湖ハーフマラソン” 10kmの部に毎年参加している。この大会は愛知用水(※)通水50周年記念事業により、水源地王滝村が平成23年から開催しているマラソン大会。大会参加に併せ9合目までであるが山頂から追悼しようと思い登ってきた

 立入禁止範囲の張り紙

 トイレにはいると、立入禁止区域の案内が張ってあった。また登山口の看板には、無理に侵入した登山者2人が検挙されたことや、登山装備、ヘルメット着用などの注意事項が書いてあった。
 慎重に登り出す、8合目付近になると標柱が傾いていたり、なにか霊気を感じる、後ろで物音がした、振り向くと写真愛好家が登ってきた、軽く会話する

 12:33 9合目の看板

12:34 新しく作った9合目避難小屋

 9合目まで登ると小屋に管理人がいた。小屋内の温度は6度とか。雪が降ったので9合目までの登山は明日までで、明後日からは8合目以降入山禁止になるという。
 立入禁止手前のロープまえで被災地に向かって、合掌し、冥福を祈った。

 冬支度のため、ヘリで荷物を降ろしていた

 8合目の石室

 13:59 帰り7合目付近にある大江権現の看板、明治9年ころまで女性はこれから上には登れなかったと書いてある

 14時過ぎ、無事駐車場に戻り、帰り、清滝を見て、マラソンの受付をし、今夜の宿泊場に帰った

 ※ 愛知知用水とは?
 岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなる。愛知用水公団によって1961年に開かれ、現在では独立行政法人水資源機構によって管理されている。
 愛知用水の水源は長野県王滝村と木曽町にまたがる牧尾ダム、同県木祖村の味噌川ダム、岐阜県恵那市の阿木川ダムの3つ。当初は牧尾ダムのみであり、他の2つは水需要増加などにより牧尾ダムだけでは対応できなくなったため、追加で造られたものである。
 愛知用水は農民が決起して国を動かし事業化された。農民たちが国に陳情したときの当時の吉田首相の一言、“食糧増産、失業対策、いいじゃないか佐藤(その後の総理大臣)君。”
 愛知用水は知多半島の農業用水だけではなく、鉄、コカ・コーラなどの工業用水、水道、電気を供給している

反省など
 今月初めに膝を痛め、走る練習を一度もしなかったので、途中から歩く羽目になった
 8年前まで愛知用水の仕事を8年間した。50周年記念事業から8年が過ぎ、その関係者らのマラソンの参加者が年々減っているようで寂しく感じた

 清滝 昔御嶽山に登るには、ここで百日の潔斎精進(心身を清めること)が必要だったそうです(王滝村パンフより)





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ふるさとの山 1022

2019-10-24 14:37:07 | 山登り
大平山(315m)
ふるさとの山 2019年10月22日(火)
9:00甘木公園 →9:12登山口 →9:56山頂10:16 →10:30登山口


 甘木公園(丸山公園ともいう)にある高浜虚子の句碑 “風薫る あまぎいちびと 集い来て”

 私の生まれ育った 福岡県朝倉市甘木。近くには筑前の小京都 “秋月”、秋月の殿様が逃げて隠れたという “古処山(の大将隠し)”、今も稼働する“朝倉三連水車”などがある。平成29年7月の“九州北部豪雨の被害地”と言った方がわかりやすいかも

 古処山から大将隠しを過ぎ、屏山へと向かう登山道(今年3月撮影)

 今回、ヤボ用(平成6~9年久留米で働いた仲間との飲み会)で帰ったので、子供のころ遊びで登った大平山に行ってみた

大平山山頂

 かけた三角点

 子供のころは遊歩道などなく、兄貴に作ってもらった草スキーを背負ってよく遊びに出かけた。今は植林や登山道を作ったのでスキーをする場所はない。あっても草スキーなどする人いるかな。山頂で耳納(みのう)連山や筑後(ちっご)川などみて、遠い、子供のころのことを思い出した

 登山口横のテニスコートで、女子中学生のテニス大会が行われていた

 甘木公園登山口から大平山を往復した



 帰ったその日、一人で飲みに出かけ、一番に食べた “揚げ豚足” 

 次に食べた“馬のホルモン”

 翌日、中洲の飲み会で食べた一品“ゴマ鯖”、鯖の刺身にゴマを降ってショウガ醤油で食べる。子供のころお袋がよく作ってくれた。わさびを溶かしていれ、隠し味にしてもよい

 二次会で食べた焼き鳥

 福岡の飲み屋は値段は安いし、なんでも旨い、また帰りたくなった

おまけ(10/25朝に追加)

 博多山笠の山、上部の飾りを省略し、土台の部分を担いで走る。川端ぜんざいの店の中に飾ってあった





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金糞岳 1017

2019-10-17 15:08:06 | 山登り
金糞岳(1317m)~白倉岳(1271m)
2019年10月17日(木)1/2.5万地図[近江河合]

7:30自宅→🚙 8:22駐車場→ 8:30駐車場発→ 9:21金糞岳山頂9:25→ 9:50白倉岳山頂9:55→ 10:25金糞岳10:30→ 11:00 [歩いた時間+休憩時間= 2:30]

 今日は、月初めに痛めた膝の回復を確かめるため、10月15日の夜叉ヶ池山に続き、簡単コースで金糞岳に登ることにした

 金糞岳は、滋賀県の浅井町と揖斐郡旧坂内村の境にある山。日本山岳誌によれば鳥越峠から90分、ヤマップでは45分、両者書いた年月が違うのでどちらが正しいタイムかはわからない、60代後半の私の足を標準タイムとしよう

 坂内道の駅から4.6㎞、林道の標柱をみて左折、鳥越峠へと向かう。峠手前駐車場まで9㎞

 峠手前1000mくらい?にある「通り抜けできません」の看板手前の広場が駐車場

 8:22登山口

 登山口から10分で滋賀県側からきた登山道と合流する

 快適な登山道だ、低木、竹は刈ってまだ2週間くらい?。登るにつれて天気が怪しくなるが、途中からは琵琶湖や伊吹山などの景色が見えた


 金糞山頂で5分ほど息を整え、眺望良き(カタクリ、シャクナゲがその季節に咲くという)尾根を歩き、白倉岳へ向かう。下りかけると笹や低木が濡れている。すぐに雨具の下を穿いて再出発

 9:33白倉岳

 9:51 白倉岳山頂

 9:52 展望なし

 山頂はガスっていて展望なし。カロリーメイトを食べ、金糞岳へ戻る
 
 10:25金糞山頂の広場で雨具(下)を脱ぐ。金糞山頂も展望なし

 景色のない山にいてもしょうがない、時間も10:30、昼食なしで降りることにした

 10:42 ブナ林を見ながらの下山

 今日は木曜日、誰も来ないと思ったら、滋賀県側キャンプ場から来たという50代👨一人、白倉岳経由・反時計回りでキャンプ場へ戻るという。次に70代男性二人、少しきつそう、金糞まであと何分かかるかと聞かれる、丁度「あと25分」という看板があったので指を指す。そのあと合流点で休憩していた男女8人組、僕が夜叉ヶ池マラニックの帽子をかぶっていたのでその話題になる 
 11時に駐車場に着く。あまりにも早いので次に登りたい山「寒谷峠の頭826.8m・1/2.5万地図[横山]」の登山口探しに行く。揖斐川右岸の西横山から寒谷峠に行く林道を4㎞ほど走ったが、道に落石が多く引き返した。愛車:軽トラ君でも無理、行くなら単車だろう

 今日の反省など
・膝は治ったみたい、天気のいい日にまた行こう(10/29火曜を予定)
・ブログに掲載した写真、多かったかな

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速報:門入放映 1012

2019-10-12 15:22:17 | 奥揖斐の歴史など
速報 門入テレビ放映
2019年10月12日(土)

2019年10月14日(月)テレビ東京系、午後9時から門入だけの1時間番組、放映決定
(東海地方はテレビ愛知)

 台風で寝転んでいると、朗報が一本
 それは私のブログ0810ホハレ峠で門入へ、0827~28門入案内2、で紹介した東京からの客人(実際はテレビ東京の取材の人、カメラマン)からの電話、編集が完成、14日に放映するという
 取材状況、内容は紹介できませんが、私の声(福岡ばってん訛り)と老いた(下駄)顔が遠目で一瞬写るそう

 門入への入口付近を通称「ヒッカクレ(引隠)」から撮影、正面の山は牛尾、左に小さくI山荘

 取材の人も泊まった「I山荘」
 私の奥揖斐山荘のモデルです。衛星放送受信、電話(地デジ、携帯電話は入りません)、桧風呂(水は500mほど離れた沢からホースで引いています)あります

 映像は、坂内の最終集落からホハレ峠へ行く林道、峠から門入へ行く山道などが映ると思います。門入ではHさん、Iさん、もうひとりのHさんへの取材が映る予定で、どうしてここに住んでいるの? 的な番組でしょうか こうご期待!!!です
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この一冊 1008

2019-10-08 19:42:44 | 山登り
この一冊 復刻版 “北の山の栄光と悲劇” 滝本 幸夫 柏艪舎
 2019年10月8日(火)

 先月、北海道のペテガリ岳という山に登った。そう “遥かなるペテガリ” と言われた山、登ろうとした理由の一つにこの “遥かなる” という言葉が好きだったから。その語源を探していたら、この冊子に出会った
 さてこの本で、ペテガリに初めて登ったとされる慶応義塾大学山岳部の足跡、昭和7年7月30日に出発して登頂は8月10日となっている。片道12日かかっている(第一章P18)
 9月に私が登った行程(詳しくはこのブログ、ペテガリ岳 0906~09参照)は、神威山荘手前に車を止め、ペテガリ山荘まで約4時間、泊って翌日ペテガリ往復12時間後、また山荘に泊まって神威山荘へ戻る2泊3日。 健脚ならペテガリ岳手前鞍部にテン泊すれば神威山荘駐車場から1泊2日で行けるだろう。慶大が12日かかったということは今と違って林道等がほとんどなかった
 冬に登ろうとした北大山岳部、昭和15年1月に8人雪崩で亡くなっている(第一章P29)。その他遭難死多数(第二章P72ほか)、“遥かなる”を探していたら、北海道の登山開拓時の遭難など悲しい歴史がこの本にはたくさん綴られていた

参考にその内容(目次)を載せます
 第一章 日高開拓・ああペテガリの道遠く
 第二章 怨念の川・日高、札内川鎮魂歌
 第三章 羆との闘い悲し、八の沢に紫煙と消えて
 第四章 岳人の心の山、利尻開拓の火は燃えて
 第五章 中央高地・そこには人間のドラマが・・・
 第六章 吹雪の大雪山に結ぶ心のザイル ~ 第十章 ~ 終章

 コイカクシュサツナイ岳からヤオロマップ岳~ペテガリ方面(右に1839峰)北大は昭和16年3月、厳冬のコイカク~ペテガリを往復15時間で歩いている(第一章P37)


 ペテガリ岳から1839峰方面

 この本読んでビックリしたこと、感動した言葉など、

1(北大の学生)八ノ沢手前にベースキャンプを設けた(中略)。すべては順調に進み、(札内川)八ノ沢を遡ったカムイエクウチカウシ登山も、キャンプ地を出てから四時間のアルバイトでその頂上を極めた(第二章P63)。ヤマップのタイムは5時間20分、学生の足は速い
2 昭和45年福岡大学の3人が羆に襲われた記事の中に、「この7月、日高に入っていたパーティは51パーティ、276名と書いてある(第三章 P90)。当時日高は沢山の人が山に入っていたのだ
3 昭和37年2月早稲田大学が利尻岳南陵で使った固定ロープ739m(第四章P122)、運ぶにしても半端な重量ではない
4 春夏秋冬を問わず、間近にながめやる大雪の高き大地は、常に瑞々しい響きをもって、十勝の岳人に呼びかけるのである。なんでこの稜線を放置してよいものか(第五章P136)
5 天候さえ完璧なら、少々の難コースであっても、強靭な体力をもってして、乗り切ってしまうことができる。想像し得ない条件と戦うから、山登りは難しいのだ
6 フランスパン60個に、「でかい乾パン」を100枚(中略)、直行のリュックなどは15貫(56.25㎏)にもなっていた(第十章 原野の人・・・P265)。「食うために登るようなもんだな」だって
7 カムイ岳~楽古岳、悠々と100キロメートルの稜線を歩き(中略)下山、24日間、単独で荷上げもなしに全山縦走した(終章 日高全山縦走と・・・P300)※6.7は10/10日追加

 よかったら、この本読みませんか、プランの立て方、死に直面した学生らの手記、死ぬときに学生が発した言葉、ヤバいと思ったら引き返す勇気、先人たちの山への想い、読むと、得るものが必ずあるはずです

 表紙の写真は、エサオマントッタベツ岳から厳冬のカムイエクウチカウシ山を望む。本は、揖斐川図書館経由で各務原市中央図書館から借りました(岐阜県立図書館にはありませんでした)
コメント (2)
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