奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

飛ぶな&講習って何だ No200 0427

2021-04-27 10:41:13 | 雑談

飛ぶな&講習って何だ の巻

2021年 4月27日(火)

Ⅰ 飛ぶな

 40後半&50前半と、勤務で関東に4年単身した。家(岐阜)に帰る金もなく日曜日はJR~小田急電車~バスに乗り替え、丹沢(ヤビツ峠~塔の岳~大倉尾根etc)へ何度も行った。大倉尾根を下ってたある日、下からガスボンベを背負った山小屋男が登ってきた。何気なく僕が坂(段差)を飛び降りると、飛ぶな!!って男が叫んだ、飛んだらイカンって!!

 今年 2月24日、岩場で60㎝くらいの高さから飛び降りた、グキッと音がしたぞ、と隣のIさんが言った。何もない(痛くない)振りをしてその日は帰ったが、翌日歩けない、医者へ行くと捻挫、その後痛みが取れないので別の医者へ行くと{左足関節内果骨折}と言われた。もうお分かり、どこでも、誰でも、飛んだり跳ねたりしたらダメということ

 2月~3月中は食事、トイレ以外は布団の中で読書、ギブスとったのが4月6日(特製サポーター付け歩く)、松葉杖をやめたのが4月20日、それでも今、普通の散歩もできない。山に行けるのは6月からか → → 年をとると治りも遅い 

 

Ⅱ 講習って何だ

 話は変わる、今月、山友が岩登り講習を受けにいった。クライミングシューズを持ってこいと言われたとのこと。その会、昨年12月は雪山講習でピッケルは不要(雪が少なかった)と言われ、ピッケル無しの雪山訓練。訓練って、本番に備えてのモノだろう。山にクライムシューズ持って行くのか?、山でトップロープ張るのか?、雪山にピッケル置いていくのか? 基本(講習)は大事だろうけど、僕は登山靴で壁を登る練習の方がいいと思う

 

写真=その会の個人山行沢登りに参加、4人で行ったが4人が勝手にズンズン登った。左の男性の歩幅がすごい(2014.6 姉川)。ザイルは一度も降ろさず、一人がどうしても登れなかったときに巻いた男が上から出した(3人は巻いた)。その会、講習では基本!!、実践は別か!! ← コメントお願いします 

 

★ 何が言いたい

・飛ぶな

・実践にあった講習を!!

・初心忘れるな、自分は高齢者(何時怪我してもおかしくはない) 

・講習で使った道具類、実践で置いて登ったら意味がない(事故時、別の山岳会が助けたという話が多々ある ※)

 

☆ 参考に、私が参加した講習の写真を紹介

御在所3ルンぜ 写真は私の先生(N子さん)、アイスバイル、普段から素振りをせよと教えられた

 

講習を受ける僕、初めてのトップロープ(2007.1) ヘルメットは現場用

 

壁の段?を

飛んだ。鳳来町ブッポーウォール(2006.9)写真は僕ではありません ※2

 

人をおぶって岩場の登る訓練、上の人は滑車を使って引き揚げている(2009.11 愛知・南山)※3

 

禍誤除(かごよ)けの滝でアイスクライミング(2008.2 長野県 喬木村)

※ 以前私が入っていたある山岳会の冬山山行で滑落事故があった。その時近くにいた別の山岳会が、事故者が所属する山岳会より先に素早くザイルを出して落ちた会員を救助した。その話を後で聞いた我が山岳会の会長がその時のリーダーたちを怒った。何のために普段講習をやっているのか、恥だとも言った

※2 ブッポーウォールは先の愛知国体で作られたと聞くが、今は(耐用年数が過ぎて?)壊されたという

※3 南山の訓練(救助技術講習会)は、愛知岳連主催のものです

 4/28 3:41→ ※一部訂正、※2、※3を追加

 

Ⅲ 冠山道路情報(山友〇さん情報)
 
 今日(4/26)〇〇さんと冠峠まで行ってきました。落石をどかし、倒木を鋸で切って、手前1.5kmくらいからは歩きました。フキノトウ多数ありました。クマがおそらくコブシの木 ?に登って新芽かツボミを食べていました。○○さん(私のこと)のカメラなら良かったのですが残念。峠の先、福井県側は残雪がしっかりありました
 
 R417、塚トンネル出口(ヒン谷)から先は、まだ通行止め解除されていません。行くなら自己責任で・・・
 
 
Ⅳ 御礼
 2019年 6月 6日「大笠山から笈ヶ岳」から始めた「奥揖斐山荘ブログ」、おかげをもちまして200回ブログアップしました。最初は読者の目を気にして書き始めましたが、すぐに「自分の気ままな日記」になりました。それでいいと思っています
 奥揖斐、特に私の最初の赴任地=旧徳山村の歴史やエピソードを書きたいと思っています
(早く足を治し、登った山の最新記事書きたいです)
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地図あれこれ&QUEEN No199 0422

2021-04-22 05:36:24 | 雑談

地図あれこれ&QUEEN

2021年 4月22日(木)

今日、野暮用で揖斐川町役場に行った。ついでに建設課へ行き、最新の揖斐川町地図を買った

図ー1 役場の人は「白図」と呼んでいた

 図は1/5万地図、約750mm×1050mmの大きさ、揖斐川町全域を一枚で網羅、詳細な1/2.5万地図も4枚で網羅

 

図ー2

 立体地図(非売品)を紹介しよう、1/25万の縮尺でA3版の立体地図、縦の縮尺が2倍で立体感を表現。北は徳山村、郡上、南は鈴鹿山脈、名古屋市、伊勢湾まで入っている。A1版(1/5万縮尺)の立体地図(額入り)もあるが、とても手に入らない

 

図ー3 表:徳山ダム流域(※)図 縮尺1/2.5万、裏:揖斐川流域図 縮尺1/10万 A0版

 表は旧徳山村が横位置で1枚で網羅(図―1の1/2.5万は縦位置なので同縮尺でも2枚になる)

 昭和から平成の初期は、建設省(現国土交通省)の出先、岐阜県の出先、市町村の窓口や水資源徳山ダム建設所に行き、運が良ければ図ー1や図ー3など本屋にない地図を無料でもらえたが、今はダメ。その代わり、図ー1の図面が200円/枚で買えるのは”安い”。図ー3は、5年ほど前に再度もらいに行ったが「もうありません」と断られた

 ※ 徳山ダム流域=降った雨が徳山ダムに溜る範囲、流域面積(CP)は254.5平方キロ、名古屋市の面積が326.4平方キロだから、その大きさが想像できよう 

 

図ー4 藤橋・徳之山の風土資産絵地図

 発行は徳山ダム建設所(平成12年3月)、作・編集は風土工学研究所(非売品)、徳之山の地名と由来、徳之山の名山、峠、名滝などいろんなことが紹介、私のブログによく出ています

 

図ー5

 ご存知、細見美濃国(天保5年)の一部、この絵図はいつ見ても飽きない(岐阜県立図書館で買えます)、今日はこの絵図で夜叉が池は美濃国の範囲にあるが

 

図ー6 岐阜県揖斐郡図(揖斐郡誌に付属)

 揖斐郡図では、夜叉ヶ池は揖斐郡外に記載されていることを発見。そう明治の測量(現在の地理院地図も)で夜叉ヶ池は福井県になった? 夜叉ヶ池は図の左下「三国嶽」のすぐ上にある

 

☆ なにが言いたい?

・高い地理院地図を買わなくても、同じ縮尺の地図が役場で安く買える(図ー1)

・本屋さんにない、いろんな地図があるもんだ。(図ー4.5.6図書館で探すのが楽しい)

・地図をよく見ると新しい発見がある(図ー5.6)

・他にA3版の富士山、剣岳、奥穂の立体地図やA1版の北、中央、南アルプスの立体地図も(私の宝もの)もっています、機会があれば紹介します

 

★ おまけ

 昨日、部屋の掃除をしていたら、息子が買ったものだろうQUEENの東京公演DVD(1時間28分)が出てきた

クイーンのDVD

 

 

DVDを車で聴いたあと、レコードを探してみた。私はこの歌が一番好き

 

★ 感想など

・ラブ・オブ・マイ・ライフは、DVDで12弦ギターで弾いていた

・ライブは1992年(約30年前)。レコードは1979年(約40年前)に発売、私も年をとったもんだ

・一昨年、クイーンの映画が流行り、映画を8回も観てそのDVDまで買った人山友にいたが、今度山行くとき、車のカーオーディオで1992ライブを映像とともに聴かせてみよう

 

コメント (2)
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賀茂川ぼたん(庭の花など)No198 0415

2021-04-15 15:45:51 | 雑談

加茂川ぼたん(我が家の庭の花など)’

2021年 4月15日(木)

牡丹

 庭で、牡丹の花が、いい色で咲いていた。そこで「加茂川ぼたん」=私の祖父の「あだ名」を想いだした

 私の祖父は明治11年生まれ、父が18歳のとき52歳で死んだ。田舎相撲の相撲取り出身、四股名は「加茂川」だったいう。相撲は弱く、ぼたん、ぼたん、と投げられるので、「加茂川ぼたん」と呼ばれたそう、決して風靡な花の名の「牡丹」ではない

 相撲をやめて国(筑前朝倉)に帰った祖父は、芸者通い、やくざと喧嘩(※)は茶飯事、相当な悪だったらしい。私の父は母(私の祖母)から芸者旅館に「祖父を迎えに行け」と言われ、(帰らないから)行くのが嫌だったこと、加茂川ぼたんのことを子供の私に話した。だから牡丹を見るとその話を想い出す。話を変えよう

色違いの牡丹、庭には藤色の蕾の牡丹もあった

ハナズオウ 黒い蜂が一生懸命、蜜を吸っていた

陶器の火鉢を水槽にしてメダカを飼って(殖やして)いる →  花がピンボケ

ムスカリ

オオアマナ

 

※ やくざと喧嘩

 ご存知、淡谷のり子の「別れのブルース」の2番、・・やくざに強いマドロスの・・・

 私の義兄は船乗りだった(※2)、歌にあるように、船乗りはやくざと喧嘩し、強かったのかと聞くと、(昔?)腕っぷしのある船乗りは港々でよく喧嘩をした。喧嘩は繁華街でするので、” なんだかんだ ”とすぐにほかの店にも聞こえる。近くのやくざも集まるが、他の船乗りも集まって、当人同士(サシ)で喧嘩をさせたという。けど、うちの祖父に応援はなかったろうに!! 

※2 義兄は船乗り→ 私の宝もの ギター 昨年7月7日ブログにも書いた

 

★ おまけ1

キャノンSX60で取った電線に停まった鳥 1000mm相当で撮影

 

★ おまけ2

 足が治ったら買おうと思っているが、900cc、乾燥車重215kg、116ps、この年で乗りこなせるかな!!、20年愛用のハンターカブ110で我慢、我慢

 

 

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滝波山 No197 0411

2021-04-11 22:31:16 | 山登り

滝波山 1412.5m 1/2.5万地図[門原(岐阜2-3)]

2021年 4月11日(日)

行程 6:45 織部の里→ 8:00 登山口駐車地→ 9:10 林道終点→ 10:30山頂11:05→ 林道 12:00 → 13:20 駐車地→ 14:45 織部の里

 岐阜県関市(旧武儀郡板取村)と福井県大野郡和泉村にまたがる。両白山地上の1峰。南面の海ノ溝(うのみぞ)谷の上流には海水権現社が祀られ、「海水山信仰(海水山を補陀落とする)」が行われていた。登路:滝波林道を終点まで入り、さらに滝波谷沿いに溯る(以下略)・・2005(平成17)年発行 新日本山岳誌から

 一方、岐阜百山[1975(昭和50)年岐阜日日新聞社発行]の案内では、滝波山へは、滝波谷を遡るルートと海の溝谷をつめて五万分の一地形図にある神社(図ー1)(海水権現社)からヤブを分けて頂上に達するルートがあるが、後者はヤブがひどくて、積雪期以外は無理である。したがって滝波ルートを説明したい、とある

図ー1 滝波山の南西に神社マークがある(写真はヤマップをスクリーンショット)

 私が2010年4月、当時入っていた山岳会で登った記録では、総勢34人、休憩込み7:40で滝波谷(図ー2)コースで登った。現在(谷が荒れて2010のコースは溯行不能)は、上記山岳誌でいう”標高950m付近で谷が三つに分かれるいわゆる「三股」”付近の上まで林道ができており、そこから白木谷と中央に分ける尾根に取り付く(図ー3、-4 参照)

図-2 岐阜百山から引用

図-3 今日の計画図、2019.5.8にこのコースで登っているが、昨年?林道が新しく建設され、三俣手前で実際はこの赤線より10mほど山側を走っていたとのこと→ 下のスクリーンショット参考

図-4 本日の踏み跡、といってもこの縮尺ではわかり辛い

 

 本日(4/11)、私の山仲間数名が滝波山に登った。送られた写真等で最新の滝谷山、紹介します

 

8:50 林道を歩く

9:43 林道から尾根へ

11:03 山頂の山名版

11:21 隣の尾根の山崩れ、監視カメラが付いていた

 

山頂からの風景 2019年5月二回目に登ったときに撮影

下山時、林道止から駐車地へ歩く(向こうに駐車地)2019年5月撮影

 

☆ 反省など

・一昨年(2019年5月)登ったときとは違う、新しい林道が三俣上のところまで来ていたとのこと

・2019年は健脚?4人で実質往復5時間かかったが、今日のメンバー山菜採りながら4時間45分で往復(やるね!)

・次回、積雪期でしか登れないという(海水権現社)からヤブを分けて頂上に達するルート、この秋にでも登ってみたい、誰か応援お願いしまっす

 

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幌尻岳 No196 0409

2021-04-09 09:43:49 | 山登り

幌尻岳2052m(ポロシリダケ、以下「幌尻」) 1/2.5万地図[幌尻岳]

今回も日高の山紹介、挑戦は2013年(敗退)、(2014年 チロロ林道コースで再挑戦)

2021年4月9日(金)投稿

登山日 2013年7月7日~9日(想いで登山です)写真27枚+地図1→ 長編です

 幌尻岳、新日本山岳誌で調べると、日高山脈の最高峰、百名山で登山者は多い、(山名は)アイヌ語で「大きな山」、登路:多く利用されるのは糠平川からの登山路(※)、沢歩きが2時間半、増水した時の通過は困難になる、とある。他に、南側のニイカップ・ポロシリ山荘からと、北西からチロロ林道を利用するコース、そして登山路がなかった時代の東側からの戸蔦別川の沢登りとある (※)百名山目標者らの一般コース

 私らが2013年に挑戦したのは上記にない「山と高原地図」に載っている「伏美岳~幌尻岳(往復30時間)」コース。北海道まで行って、一般のコースでは面白くないと同行のIさん。この時、Iさん、私ともに61歳、まだまだ青年の気持ち一杯、、、では、幌尻へ、 

初日 9:34 伏美岳登山口駐車場発(伏見岳までは登山道・案内板多数あり)

15:41 水場を探せず、料理はこの雪の表面削って溶かして使った。写真は隣にテント張った人

二日目 4:49 隣の2人はテント、コンロ、料理すべてソロでした

7:07 日高の山は尖がった山が特徴?、見えるは1967峰

7:29 花とハイマツ

8:06 登山道、遥か向こうに幌尻

9:04 1967峰

9:24 1967峰を下る

10:16 北戸蔦別岳手前(1856m?)から遥か幌尻

12:08 この山頂向こうにテント場(1張程度)があった

13:52 幌尻まであと2時間?(左下は七つ沼カール)

14:27 朝からまったく水場と出合わず、喉カラカラ。七つ沼カールに下り、雪溶け水をガブガブ飲んだ 

14:28 水を飲むIさん、池の手前にテント張る

17:20 夕暮れの七つ沼からの幌尻岳方面(山頂は見えない)

★ 夜半、天候荒れる。テントが吹き飛ばされないよう夜中にペグ点検したほど。テント内で相談し、明日朝は幌尻に登らず、幌尻山荘方面にエスケープすることにした

三日目 5:11 涙の敗退(七つ沼カール)

三日目 6:43 戸蔦別岳

7:11 幌尻山荘分岐

8:41 糠平川六ノ沢出合い

9:53 幌尻山荘前通過

11:02 鎖場もあった(糠平川)、登山靴(沢靴を履いていない)では歩き辛い

11:50 登山道に出る

15:05 とよぬか山荘へのバスターミナル

★ とよぬか山荘からJR占冠(シムカップ)駅までタクシーで行く(約15000円)

 

☆ 今だからの反省など

・初日、伏美岳山頂で会った登山者グループが、水場には水が音を立てて流れている、というので山頂で4㍑/人の半分ほど捨てた。水場(テント場)で30分ほど水を探すが音など水も全くない、もっと詳しく場所を聞いとけばよかったと反省する(そのグループの一人、水捨てるなら僕らにくれと言って、水筒を2つ出した)

・初日のスタート時間が2時間ほど遅かった。もう2時間早ければ、2日目に幌尻に登れたかもしれない(結果論だが)

・ガイド本に七つ沼カールはヒグマの宝庫と書いてある。2014年再挑戦時はテント2張(2組4人)だったが、今回(2013年)は僕ら2人だけ、よく2人で泊ったもんだ

・もし貴方が50代の健脚なら、チロロからの日帰りがいいいと思います。往復15時間程度。行くなら多くの登山者とすれ違う土日スタートがよい(下地図緑ライン参照)

初日右上(東)からの赤線を、二日目左(青線・西)へエスケープ。左上(北西)への緑線は2014年に再挑戦コース

22:25 占冠駅

 タクシーで占冠駅に18時ころ着、駅前食堂でラム肉定食をゆっくり食べ、駅前でテントなど干して時間をつぶす。帯広行の列車は22:30ころ発。その夜は帯広のビジネスホテルに泊まり、翌朝ジャパンレンで車を借りて伏見岳駐車地に車を取りに行った。このあと、トムラウシ(南沼にテント)、ニペソツ(国営キャンプ地に前泊テント)に登った

 

☆ 幌尻を200字以内で紹介(岳人2013年10月号)

1967峰を ”登る” と書いてあるが、”下り” です(写真奥が幌尻方面だから!)

 

☆ おまけ

7月11日 15:56  トムラウシ山 南西の南沼キャンプ地

7月13日 11:36  ニペソツ山

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