奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

小貝月山敗退 No177

2021-01-31 05:48:22 | 山登り

貝月山敗退 1/2.5万地図[横山]

2021年 1月30日(土)

行程 7:20自宅→ 8:10貝月リゾート駐車地8:20→ 9:30貝月避難小屋→ 11:10小貝月手前(約990m地点)・昼食11:45→ 13:10駐車地→ 自宅

 昨日から揖斐に降った雪は、今朝私の自宅前(〒501-0633)で20センチ、腰痛も体操のおかげで大分よいので、小貝月山くらいは登れるだろうと家をでた

 駐車地に着くと、山スキー3人、登山4人のグループがいた。見ると山友が2人、同行してもいい(一緒にラッセルしよう)とのこと

 8:21 先頭にスキー組3人

 急登では、スキー組はジグザグに、スノーシュー&カンジキ組は直登(雪山では最短距離を歩けと山岳会で教えられた)する。なだらかに見える坂も結構キツイ、すぐに上着を脱ぐ

 

 8:47 ゲレンデを振り返る。スキー組を追い抜く(ジグザグより直登が早い)

 

 10:58 新雪をラッセル

 11:10 標高990m付近(夏だと20分ほど小貝月山の手前)、小貝月までたどりつけないと判断し、景色の良いここで食事後下山する

 

☆ 今日の反省など

・山友はいいな、2人しか知らないのに、下山すると全員が友達になる

・今日の雪、べとつかず、サラサラで、段差1.5mの直登に挑戦しても服は濡れなかった。スノーシューで慣れない下りも挑戦、大分要領を得た(今日の収穫)

・僕らの前に山スキー一人、後に登山者4人(愛知から雪を求めてきたとのこと)

 11:48 下山時

☆ 余談 

・私のブログ(コメント)に腰痛を直すアドバイス+応援メッセージを頂いた。感謝!、調子乗って腰が治ったら本格雪山を2月からやると書いてしまった。本格とはなんだ!、私の本格とはこんなところです。手始めに奥揖斐の「土蔵」、「磯倉」、一泊で「笹ヶ峰+美濃俣丸」、若丸山。今年は雪が多いので磯倉の日帰りは無理かと思う!  4月前後から石徹白の山6山(願教寺、小白山etc)

・奥美濃とその周辺の山130山ーブナ林の山旅の記録ー富永 豊 サンライズ出版(2004.12)に、山のランクが載っていたので紹介 ☆☆☆(難しい)のみ記載

・湖北の山 上谷山(1196.7m)、カナ山(985.8m)、※小白山(1609.2m)、大小屋山(734.0m)、船ヶ洞山(807.5m)

・奥美濃の山 猫ヶ洞(1065.4m)、三国岳(1209m)、権現山(点名:藤倉)1143.4m)越美県境、不動山(1240.3m)、千回沢山(1246.0m)、磯倉(1541m)、青波(1080.6m)、願教寺山(1690.9m)

 この本では、屏風山、蕎麦粒山、五蛇池山が ☆ひとつ(やさしい山)になっていた。私は☆☆~と思うが、逆に奥美濃の山で三国岳、権現山、青波など☆☆☆ではなく私は☆☆までと思うが皆さんの感覚では如何ですか? 

※ 先日、石徹白の小白山(こはくさん)と言ったら、その人わからず。この本には、”オジロヤマ” と紹介されていた。私が読み方を間違えていたと反省

 

 今日歩いた道

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大谷山~滝谷山 + 余談 No176

2021-01-26 07:13:29 | 山登り

大谷山(356m)~滝谷山(398m)1/2.5万地図[池野(岐阜8-3)]+余談

2021年 1月26日(火)

 腰痛で静養中の私は、リハビリ兼ねて揖斐では一番人気、大野アルプス(大谷山~雁又)に登った。この山はブログ(※) に書いたとおり、人恋しくなった時に私は登る。そしていろんな山友と会う ※No165西美濃百名山89番目

 10時過ぎ、大野町運動公園から登り出すと、先に登山の格好した3人(㊚1+㊛2)が歩いていた。この山は山が山(低山)だけにハイキング姿の人が多いので、この3人は目立った。大谷山の展望台で旧山友と会い、その3人とも言葉を交わした。僕はそのまま滝波山に向かい、山でお茶を一口飲んで帰りかけると3人が登ってき、すれ違いざま3人の一人㊛が私の名を呼んだ

 話すと、私が2年前に退会した山岳会にいたとき、新人勧誘担当だったので、山で会う ”これぞ” という人にチラシを配っていたが、その人曰く7年前に僕がその人を勧誘したそうだ(顔はマスクで見えず)。しかしその人は考えたすえ、隣県のHWKの会に入ったそう。おしゃべりな私は次々と話題を変えて話し続けると、㊚の人は私の愛読書 ”こんなに楽しい岐阜の山旅100コース ”の著者Yさんだった

 Y先生の本(上下)、上は最近改訂された

☆ 今日の反省など

・一昨年は冠山(ブログ20190625参照)で ”奥美濃のヤブ山 ”の著者Yさんと山頂で話したが、こうなると私の尊敬するもう一人百山百渓の著者Hさんとも山で会えるといいな

・池田山、大谷山などの山頂で、勧誘チラシは50枚ほど配ったが、入会者は女性2人だけだった。そう、男性に配った記憶はない(笑い)

・今日の女性、「7年前」と「私の名前」を覚えていた。4年くらい前にも誕生山の山頂で、10人位で酒(鍋)飲っていると〇〇さんでしょ、2年前、池田山で勧誘のチラシを頂いた、と言った女性がいた(その人はその後入会した一人)。余程チラシの出来栄えが良っかたのか、広報担当の私の名前に特徴があったか、私の名を呼んでいただいてこころ躍りました(笑い2)

・ ”HWKの会 ”はどこかで聞いた記憶があり、考えた。昨年9月26日の百々が峰山頂で10人位のグループの中の数人と話したが、名古屋のHWKの会と言っていた。この時私らは3人で登ったが、その時今日の女性2人がいたかもしれない

・腰痛で山には登るなと整体屋さんに言われているが、腰痛後低山を3回登った。いずれも下山後に更に痛くなる。まだ治っていないということだ(反省)

☆ 余談

・ラジオで今の若者には将来の夢がないと言っていた。その率は日本は世界で最下位だと。海外への留学生が少なくなっているのもその理由かな!

・子供のころお前は将来何になると兄貴に言われ、サラリーマン、と答えたら、夢がない、馬鹿かと言われた。その兄貴(三男坊)商売人に大学は要らないと言って高卒で銀行に3年勤めた後、今は30人位を使う社長になった。僕(四男坊)は4流大学出て月給取り。今でも忙しく働く兄貴(74歳)と定年後山びたしの僕(69歳)、どちらが幸せなのだろうと思う

・子供のころ親父(M45年生)が戦争の話をよく私に聞かせた。僕が子供ころは戦争漫画がまだあって、紫電改のタカ(ちばてつや)という漫画が好きだった。今でもこの漫画をときどき読みます

 戦闘機乗りに選ばれる人は、精神的にも身体的にも強靭で頭脳明晰な人ばっかりだったはずだ。将来の夢、やりたいこともたくさんあっただろう。主人公 滝 城太郎は、先生になりたかった(2015.5.8 ちばてつや ”屋根うらの絵本かき ”より)・・ 図書館などでご覧あれ

  私の書棚、1/72スケールの紫電改と20mm機関砲 機銃弾のレプリカ(右)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナに負けるな No175

2021-01-22 06:02:07 | その他

コロナに負けるな No175

2021年 1月22日(金)

 皆さまに ”やすらぎ”と ”食の楽しみ” を提供しています “奥揖斐山荘”です。昨今、新型コロナ緊急事態宣言がでましたが、山荘はこの春は休まず、定員は半数(4人~5人)・コロナ対策(検温と消毒程度)を行い、開館を予定します。そこで、新年度の新メニューを考えるにあたり、過去の馳走などを紹介、ご来館の方々、山荘へのご要望などあれば教えてください!!

 鴨ステーキ(わさび醤油で食べた)大阪の沢屋さん持込み

 

  定番 “地獄うどん(ブログ20199796地獄うどん参照)”の湯を薪で沸かす

 

 ごま鯖 写真は福岡市 小料理屋 ”たこ万” 

 

 揚げ豚足 写真は 福岡銀行甘木支店裏(南)の居酒屋(箸で肉がちぎれるほど柔らかい、誰か柔らかくする方法教えて、新メニューにしたいです)

 定番 アマゴ、イワナの塩焼き(薪ストーブの天板焼き) 川魚:昔は子供たちの働きで父の食膳を飾った(門入Iさん談) 右上はコンビーフでユッケ風+胡麻油

 定番 右皿 わらび+手前トウキチ菜 左皿はウド、手前は沢庵、白菜の古漬

 

 定番 胡瓜に挟んだ大葉と刻みショウガがたまらない

 

☆ 結論など

① やはり山荘の料理は、火を使った料理(炭火+薪ストーブで調理します)、山の食材を使った素朴な料理が基本(ブログ”徳山料理入門20190616参照)ですね

② ダムに沈む前、旧徳山村のいろんな人の家で飲みました。徳山料理入門にも書きましたが、一番の馳走は、アジメドジョウ(※)の素揚げ、猪鍋しょうゆ味、びっくりはアユ鍋、せんのう(山葵の新芽の漬物)、なんば漬(マイタケは最高)・・地元産以外では、ニシン漬(大根と麹で漬ける、漬けたニシンは囲炉裏で温めて食べる)、地獄うどんetc、[ニシンのほかサバ(姿のまま)、アマゴ(〃)、アユ(〃)も大根と麹で付けた(Iさん談)

 コンドウ(根洞)谷からカネガマル(金ヶ丸)谷にかけてマイタケがたくさん採れたとIさんが言うが、採りに行くには遠い(泊りがけ)金ヶ丸谷→1/2.5万地図[広野]、根洞谷は金ヶ丸谷の南の谷

③ 猪肉、熊肉(大根と煮る)は用意しています、やはり、山荘では②のメニューで、締めは ”地獄うどん” ですかね。誰かアジメドジョウ入手できる人いませんか?

④ 春山が終わったら、私の山荘に遊びに来てください、そして、あなた持参の食材と、私保存の山の幸、(冷凍熊肉、冷凍アザミetc)で、新しい料理に挑戦しましょう 

※ 徳山湖に流れ込む河川は、現在魚類の保護区域です。罰則はありませんが魚を採ったらダメです。アジメドジョウはダムができる以前 ”登り落ち漁” という漁法で採りました

 登り落ち漁:下流から登ってきた魚は板の堰に阻まれ登れないので、左へと移動します。すると左の端に仕掛けがしてあり、落ちて箱に入ります。小さな魚は逃がしてあげるのがルールです。私の知り合いは揖斐川右岸の小さな谷に仕掛け、アジメドジョウ、ハゼ、カジカなどを採りました。長良川(写真)では遡上する鮎の稚魚も入るそうです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙の石津御岳 No174

2021-01-17 03:01:07 | 山登り

涙の石津御岳 629.4m 1/2.5万地図[津島ほか]

2021年1月16日(土)7人

 年が明けると別れの季節がやってくる。進学、就職、転勤・転職、退職etc。今日は、長年(といっても6年)一緒した山友(K君)が愛知県の自動車関係に一時転職するというので、私の山仲間(奧揖斐登山部Oさんら)が行く山に K 君誘って同行した

 K君は6年前、当時私が入っていた山岳会に入会してきたが、パン屋さんで働く彼は日曜日がめったに休めない、そこで彼の休み”火曜日”に行ける人を誘い、三周ヶ岳、金草岳、小津権現山、霊仙山、最近では刈安、能郷白山などに登った。今思えば、この火曜日山行が、今の奥揖斐登山部に繋がったのかな !!

 今日は関ケ原の山を予定したが登山口で雨、急きょリーダーOさんの機転で雨の少ない南濃の山に変更、結果、ほとんど雨無しで山を堪能した

 では、たいした写真はありませんが、一緒に山を歩きましょう!!

 9:57 整備された登山道

 10:19 覚明行者の名が道標に

 10:24 山頂近くの三角点

 10:48 ゴミではありません、海老シュウマイを蒸したセイロです

 昼は、各自持ってきた弁当に、冷凍ではありますが、味の素フーズの海老シューマイをふるまいました。K君そのお礼か、腰痛の私のザックを帰路駐車地まで運んでくれました・・涙を流したのは、僕でした

 行程 8:10 南宮山駐車地→ 9:00 石津御岳駐車地→ 10:30 山頂で食事会→ 11:05下山開始→ 11:55 駐車地 (解散)・・地図は省略   

 

☆ 余談など

・石津御岳、多度山まで縦走するのが普通だが、午後から雨予報、私の腰痛で御岳のみとなりました 

・さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束(来生たかお:夢途中の一節)、K君必ず奥揖斐に来ると言った

・道標にあった、覚明行者のストラップ「覚明くん」を御嶽山中ノ湯(旧三岳村)6合目?小屋で買ったことを思い出した

・覚明行者は御嶽山を開山した翌年天明6年(1786)に、二の池付近で遷化したが、ミイラ化した遺骨が信者たちによって9合目岩陰に葬られたとされる。ここを覚明堂と称するようになった(※)

・王滝村、御嶽山 ”旧里宮への参道の脇に「倉石明神」という石碑がある。幕末の政治家「勝 海舟」の書である(※)

・〃 2合目にある鳥居には、東郷平八郎書による額が奉納されている(※)

 ※ 王滝村教育委員会が作成した冊子 表紙写真下の解説にある ”春山” には、昔、御嶽教の人が歩いた道が残っている、御嶽山を望む 鳥居跡、礼拝所跡があります

☆ 余談など2

・丁度10年前、愛知用水(知らない人はネットで調べて)通水50周年記念事業の一環で、王滝村の協力を得、上記 ”春山”を歩くバスツアーを企画した。名鉄さんに売り込むと ”名鉄バスツアー” で3日間バスを出してくれ、私も全日同行した。名鉄さん、その節は大変お世話になりました。今では遠回りとなるこのキツイ修験道、新しい発見や驚きがあったことを思い出します。興味ある方、王滝村の大自然、足を運んでみませんか

 

 2018年10月16日 三周ヶ岳を見る 加藤君(右)、写真の山は高丸(黒壁)か!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MSRが泣いている 0114 No173

2021-01-14 16:58:31 | 雑談

MSRが泣いている

2020年 1月14日(木)

 私の腰痛は今回が初めてではない、現役の50代(東郷町愛知池横に勤務時)に重いもの持ってギクッて入院、その後2~3年に一回の周期でお客さん(腰痛)が来、1~2ヶ月は山に行けないときがある

 今回は、今月6日にギク、いつもの整体屋さんに11日にもんでもらうと翌日から調子いい。で、

 

 この神社の左を上る

 山友Nさんに誘われ、つい、4人で小津権現へ、この雪だから、上の駐車地には行けない、小津集落の神社横から登る。家並みを過ぎたら即MSR装着、体は軽い、しかし

 8時45分に上の駐車地到着、まっさら、この先更にラッセル。整体屋さんは ”山に登るな”と言ったのを思い出し、3人に悪いが、私一人、此処で下山した。下山して正解、途中から腰が痛くなり、今パソコン打っているが昨日より腰が痛い。人の言うことは聞くものだ

 MSR、3年前に買って磯倉と銀杏峰、大嵐1090.5m[下山]に登っただけで2年前は腰痛でお休み、昨年は無雪でシューで遊んだだけ、そして今年も腰痛、なんと情けない、本気で俺を使ってくれと、MSRが泣いている

 

 腰は痛いが、スノーシュー気分は最高、正面は小津集落

 

 このMSRは、スノーシューが苦手とするトラバース時にもしっかりと雪面を捉え(両側のギザギザ)、赤い爪がなだらかな丘陵から凍った急登にもに適応する。12本爪アイゼンも要らないほどだ。ただ、慣れていないと下りが怖い。私の山友Xさんは平気のへの字、僕は静かにアイゼンに履き替え、凍った急坂を下ったことがある(この時も背負ったMSRが泣いていた)

☆ 今日の行程:7:00JA揖斐集合→ 小津の体育館駐車→ 上の駐車地→ 9:45駐車地(3人は高屋山で下山したそう

☆ 今日の反省など

・整体屋さんが山に行くなと言ったら、山へ行ったらダメ(腰の痛みは3日前に戻ってしまった)

・けど、このMSRは性能がいい、山友Y君1万円ケチって(店員がこれで十分と言ったらしい)3万円台のスノーシューを買ったが、トラバースに弱く、MSRフラッグシップにすればよかったと嘆いていた。買うならMSRライトニングアッセント(定価4.8万円)ですぞ

☆ 余談 私のご馳走

 私は、かまぼこが大好き、岐阜に来てお雑煮食べたら、正月菜と餅しか入っていない。聞くと雑煮に菜しか入っていないのは?、”菜(名)を上げる”と言って餅以外には何も入れないのだそう

 写真は、雑煮(鶏肉と蒲鉾は特注)、牛筋煮込+かけて味噌(大根おろし+ポン酢も美味しい)、酒は揖斐の ”甕口” 、盃は福岡県小石原の高取焼 ”八千(ハッセン)”(東京上野で買った)

 これに数の子と上等な蒲鉾があれば正月は何も要らない。明日は正月15日、もう今年の1/24の時が過ぎた

 写真は、神奈川の山友I氏が送ってくれた小田原の逸品

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする