奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

能郷白山(磯倉下見)0929 No147

2020-09-30 04:03:47 | 山登り
能郷白山 1617.3m 1/2.5万地図[能郷白山(岐阜6-3)]
2020年 9月29日(火)
行程 6:55織部の里= 8:38温見峠駐車地→ 10:28三角点→ 10:35ころ山頂11:20ころ→ 12:38駐車地= 織部の里

 
 8:28 駐車地着、さすが200名山、平日なのに車が多い

 タイトルに磯倉下見と書いた。磯倉は能郷白山の南西にあり、1/2.5万地図[能郷白山]に山名がなく、1541mと標高のみ記載されている。私の持っているガイド本で探すと奥美濃のヤブ山(矢代竜也)、奥美濃とその周辺の山(富永 豊:なぜか滋賀の人)に載っていた。両方とも徳山ダムができる前のコースで白谷から登っている

 能郷から磯倉は藪が多いので残雪期に能郷谷から能郷白山に登り、磯倉へ登るのが一般的と思うが(ブログ0302磯倉参照)、夏にそのコースで登った人もいる(往復9時間かかったそう)
 で、今回は夏でも温見峠から登れば往復4時間は短縮できる。その4時間で能郷から磯倉へ行けるか下見に行った→ 結果、山頂から磯倉へはネガマリ竹が茂っているがその脇(南側)に踏み跡らしきものがあり、竹も少ない(11:04写真参照)、そこを辿ればと10分ほど歩いてみると無雪期でも行けると判断、早速、10月中旬に行くことにした→ 行けたら、ブログで紹介しますね 

☆ 今日の行程を写真で紹介

 9:37 私は紫色の花が好き


 9:48 なんでコロンブスピークなのでしょう


 10:24 能郷白山みゆ


 10:28 一等三角点、さすがデカイ、南側が切り開いてあった


 11:04 三角に尖った磯倉 写真の左端、ネガマリ竹が薄いところを歩く予定

☆ 今日の反省など
・コロンブスピーク=1492は「イヨクニだ!!」コロンブス1492年アメリカ大陸発見!!
・復路は私が先頭に立った、途中で今日2回目山に登るGさん(女性)と先頭を交代したら、すごい勢いで降りていく、ついていくのがやっと。次はゆっくり歩いてください、私転びます
・今日のザック重量は8kg、次回磯倉はポットの湯などやめて少し(1kg)軽くしよう
・0302磯倉は「フォトチャンネル」にも入れています!!
・地図は省略、織部の里から猫峠経由で片道59km、登山口までが遠い!!





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貝月山その2 0928 No146

2020-09-29 19:06:58 | 山登り
貝月山(1234.3m)1/2.5万地図[横山(岐阜11-2)]
2020年 9月28日(月)
~カメラを持ってのんびり山行~

行程:9:00ころ自宅= 10:03避難小屋駐車地→ 11:11小貝月山→ 11:32山頂13:01→ 14:00ころ駐車地= 藤橋温泉

 今日は、0924貝月山で竹の標識(山名と標高を書いたもの)を24日しっかりと固定していなかったので直しに行ったもの
 今日は、秋の気配をカメラで収めようと、一眼カメラ(いつもは携帯カメラ)を持ってのんびりと歩いたが、24日以上の秋の収穫はなし

 
 11:01 小貝月山手前1分のところに2人分の展望石、奥は伊吹山
 貝月のこのコースは何度も登っているのに、こんな展望休憩地があるとは気が付かなかった


 11:15 その14分後にも休憩石、これは石が寄り添っているので、ペア―向き。きっと二人で座ったら、肩が触れそう、写真後ろは小貝月山


 11:32 標高・山名竹板を固定、裏に奥揖斐山荘ブログ、見てね、と書いてしまった 


 11:50 今日のお昼は、リンガーハットのチャンポン、いつものコスモス税込み98円よりがぜんウマかった(手前のボンベは予備)

☆ 今日の反省など
・今日は一人かと思ったら、日越峠の方から2人の山男が登ってきた。おしゃべりな僕は、2人に話しかけ、山を聞かれたので地図を出し山座同定を開始、(12:30過ぎまで)50分近くしゃべってしまった。2人が腹減ったと言ったので会話終了
・するとふれあいの森の方からも単独男性が登ってき、そのコースは草ぼうぼう、と2人の男が私に教えてくれた

☆ 余談、沢登り
・ある人から、0926「門入沢歩き」は、沢登りではないかと言われ、もちろん金ヶ丸からの三周ヶ岳は、滝アリ、樋あり、シャワークライムあり、沢登です。ただ、Wさんが並みの沢屋ではないので、「沢歩き」と書いたものです、失礼しました


 2014.6.22 私の好きな沢登りの写真です(姉川 お越又川にて、オーナー撮影)


 今日歩いた貝月のコース
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恵那山 0927 No145

2020-09-28 05:25:25 | 山登り
恵那山 2191m1/2.5万地図[中津川(飯田8-3)]
(別称 胞山、覆舟山、野熊山)
2020年 9月27日(日)
行程5:00自宅= 岐阜羽島IC= 園原IC= 駐車地→ 7:40広河原登山口→ 11:15 山頂 12:15→ 14:40登山口→ 1510駐車地= 18:10自宅 

 恵那山は美濃第
一の高峰で木曽山脈の南端に位置する。恵那山は「胞山」とも表記し、その起こりは天照大神ご降誕の折に胞衣(えな・胎盤の意)を埋めたことによるとされている(吉蘇志略)。覆舟(ふなふせ)山は伊勢湾から望むと山姿が船を伏せたように見えるところから名付けられたものであり、野熊山は信州側の呼称(日本山岳誌:執筆 高木泰夫氏)

 恵那山は日本百名山、駐車場は2ヶ所あり、ほぼ満杯、100台近く停まっていた。駐車地から30分ほど林道を歩くと登山口、下って丸木橋を渡り、あとはほとんど登りっぱなし。300mごとに1/10~9/10の標識が登山道脇に立ててあり、道も広く整備され、次の標識を楽しみながら登れた


 8:10 登山口


 9:48 快適な尾根道(樹木と笹の間)と青空(スカイブルー)


 10:15 山頂手前のゴツゴツ登山道


 10:30 花の名前がわからない


 11:15 山頂の銘板


 12:03 展望台から銘板と登山者ら


 14:05 お菓子みたいなキノコ(名前はわからないです)


 14:39 本谷川を渡る丸木橋

☆ 今日の反省など
・今日ものんびり景色を楽しんで、他の登山客ともおしゃべりなどもして、楽しい登山でした
・細い登山道で大勢の登山者が降りてきたので待っていたら、気の短いオジさんがまだ下山者が残っているのに僕らを抜いて登っていった。登り優先って、時と場合もありますよ!!

・地図は省略

☆ 和気藹々

 昨日(9月26日)12時ころ、百々ヶ峰に登ったときの一枚。名古屋から来た某山岳会(労山系)が、山頂で地図読み講習をしたのち、三角点に全員で右足を向け記念写真を撮っていた。和気藹々、とても楽しそうな会だった
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門入沢歩き 0926 No144

2020-09-28 04:31:09 | 奥揖斐の歴史など
門入(夜叉ヶ池から根洞(コンドウ)谷)の沢歩き、ほか
2020年9月20日(日)~22日(祝)←山友W氏のメモを入手

☆ 1 私の山友Wさんらの情報に、私なりに地図を作成、昔の話なども含め、徳山のこと書きました
・9/20奥美濃 沢ノ又林道夜叉ヶ池登山口 
 登山道2本目の支流から根洞谷へ尾根越え 小茂津谷出合泊、途中のワサビは根こそぎ荒らされていました。雑キノコほとんどなし

・9/21根洞谷下降 西谷本流を溯行 
 ハゲン(励)谷でマイタケ採りの地元民と会う。今年はまだ誰も採った人がいない。マメも出ていないとのこと。金ヶ丸(カネガマル)谷のF1の上あたりで泊
※ F1= 沢の一番下流からの滝(Falls)の順番

・9/22 金ヶ丸谷溯行—
 三周ヶ岳のコルに上がり、夜叉ヶ池経由—登山道で下山。夜叉ヶ池までの道は藪で悪い。夜叉ヶ池で17:20 日没確実なので夕食後18:00スタート
ヘッデン残業でP着20:25



Q Wさんらが歩いたコースは、赤い線ですか?
A 根洞谷への尾根越えは、赤い線の最低コルより80mほど東から右手に振り気味に下ります

Q おおきな滝はありましたか?
A 最後3m小滝(簡単右巻き)以外何も無し、最低コルからも下れます。ひとつ上流の枝谷ですが、巻いて降りる滝(2~3m)が2つくらいあるか?
・根洞谷はひたすら川原歩き
・金ヶ丸谷の大ヤブレ谷(徳山の地名ではキュウロク谷)の少し下流に良いテン場多数あり。
1mほどの小滝の上で泊った
・(旧住民)マイタケ採りの人はキュウロクタニとは言っていなかった
・旧魚留滝は腰まで浸かって滝の右を登る。トラロープあり。その先は沢歩きから沢登りモード
・源流35度40分50.8秒,136度17分48.7秒の二又を左に入る。右に曲がり左に曲がり、次の二又を右に取る。最後少し藪で三周ヶ岳の西の最低コルに出る。このコースを外すとゲキ藪に突入と思います
・元気(普通)な人は2泊目のテン場まで一日で行けば十分1泊2日で行けます。我々は余計な遊びと足がとろいので2泊3日でした
※ 青い線(+赤い線の一部)は、2010年にオーナーが当時入っていた山の会で歩いたコース(ホハレ峠→ 門入→ 金ヶ丸谷(泊)→ 三周ヶ岳→ 夜叉ヶ池→ 夜叉ヶ池駐車地)

☆ 2 徳山村史(p914)に夜叉ヶ池探険隊(登山)の記事があったので紹介します
 この探険は、青年大牧さんが、総勢19人で本郷(徳山)~戸入~門入(泊)~夜叉壁付近を通って夜叉ヶ池~今庄(泊)~瀬古~塚~本郷の旅を書いています
 今庄=瀬古間がバス、他は歩きと思われます、上の地図など参考に、歩いたコース、想像してください
  大牧好月 徳山村青年団機関紙黎明 昭和 9(1934)年8月号より
 (本文より1/2ほど短く書いています)

 8月 6日家を出たのは12時であった。ずんずん西へ進み、上開田、戸入、を過ぎて門入に着いた。「門入は徳山で一番裕福な村だろう」と思った。(宿所は学校)
門入を出たのは4時半、隊員は19名、谷に沿うてだんだん上がった。そのうち谷を渡ること50余回、谷を進んだところに「キンタマヌラシ」〔根洞谷出会いの上下にある下戸立(シモトダテ)か上戸立(カミトダテ)かは不明〕というところがある。其処は字の如く谷を渡るうちで一番深いところである。そこで写真をとり、それより少し登った所に、前日きていた広瀬案内人(坂内村広瀬の人)が美味そうな鱒や雨魚をやいていた。そこで中食をとり少し休み、また登り初めた。だんだん行くうちに谷はなくなり、今度は山にさしかかった。登山道があるかと思えば路らしい路はなく、柴にかかり、木の根に倒れ、その時の痛さと言ったら、言うに言われぬつらさであった。とうとう川上(坂内村川上)の領域に入り、千じんの断崖夜叉壁をとおる所をカメラに撮る

 心配していた天気は総て杞憂となった。しかし霧は濃く、目近な山はうす暗く風も強く、どこを眺めても池らしい所も見えない。あちらの木やこちらの木に登って眺れども濃霧で見透しも出来ず、案内人も路頭に迷った。時間は刻々と進む、宿望の池は見当たらず、其の時の心細さ、、、一溜息ついた時遥か彼方で「ホーイ」と呼ぶ声、耳を澄ませば、池の見当が付いたことを告げている。心配な思いは何時しか喜びの思いに一変して一目散に走って、木の間を見れば、藍を流した様な広々とした一面の湖水
 何という綺麗な池か、本当に蛇神も住むかと、一時は身に寒さを感じた。池の辺りに腰を下ろして時計を見ると、早12時を過ぎている
 時は八月の上旬12時と言えば、平地は今、灼熱の盛中であるのに、此処海抜1000米余の高原「ギボシの花」鬼百合の花等名も知らない高山植物が一斉に花をひらいている。私は此の美観に心奪われて、途中の疲れは全く忘れてしまった
 池のほとりの夜叉堂にお酒を供える人もあり、又水泳をする人もある

 池の東北に聳える山が門入の山、東南の山が坂内村川上の山、一番低いところが越前の山らしい。風も荒いのに木の葉一枚浮いていないことも、考えてみれば不思議である
 見るものが一木一石に至るまで皆変わった風景を約2時間眺め、食事等をする、時経て、名残りを蛇神に告げて、今庄に向かって下山の途に就いたのが2時半。山頂の涼風を浴び、坂路をドンドン下り乍ら他国の変わった風景を眺めつつ、重き足を引きずり乍ら今庄に着いたのは夜8時半であった(宿は今庄青年会館「昭和会館」)

 翌日、今庄からバスで瀬戸へ行き、(そこから歩いて高倉峠を経て?)塚に着いたのが午後8時少し前だった(そこから徳山(本郷)までは更に7km程あります)
( )内は私の解説又は想像です

☆ 私の解説など
・谷を渡ること50余回→ 門入生まれのIさん(昭和10年生)が若いころ、西谷林道は奥に国有林があるので営林署と門入区共同で道を拓いたと聞いた。探険は昭和9年だから、このころ林道はなく、川をず~と溯っていったことになる
・それにしても昔の人はよく歩いたんですね、沢靴もなかったハズ
・断崖夜叉壁を通ったと書いてあるので、金ヶ丸谷ではなく、根洞谷経由かと思われますが、これについて詳しい方、コメントください
※ 9/28追加
 カイドウ、ヒクミの解説から、探険隊が通った道は、根洞谷と金ヶ丸間の尾根道と思われます。そうであれば、キンタマヌラシは「シモトダテ※3」となります
カイドウ(※1)=昔の人達は尾根道を行き来した街道で塩道でもあった
 ヒクミ(※2)=金ヶ丸谷とコンドウ(根洞谷)の間にある尾根。低いので山越えは楽である
※1 根洞谷と金ケ丸谷の間の尾根上の標高998mの東927mのことか(1/2.5万地図広野参照)]
※2  〃 標高998の西1003m  〃            
※1、※2=美濃徳山の地名(監修:水資源公団徳山ダム建設所)p253より
※3    〃 p250

☆ 3 夜叉ヶ池越え
 藤橋村史に夜叉ヶ池越えという記述がありました。☆ 2のコースは、この夜叉ヶ池越えかもしれません(徳山村史には「夜叉ヶ池越え」は見当たらず)
 藤橋村史(下)p162
 徳山村と越前との間にも東から扇谷越え(櫨原~西谷村温見)、冠山峠(塚~池田町田代)、桧尾峠(塚~池田町楢俣)、高倉峠(塚~今庄町瀬戸)、夜叉ヶ池越え(門入~今庄町岩谷)などの峠道が開かれ、越前文化の移入路で、言語への影響も見られたのであった

☆ 4 参考

 2020.9.22 8:43 金ヶ丸谷 Wさん撮影


 2010.8.22 8:09 金ヶ丸谷(山友KKさん撮影)


 2010.8.22 8:39 金ヶ丸(〃)


 2012.9.7 17:29 励谷(オーナー撮影)

☆ 今日の参考など
・山友Sさんから、夜叉ヶ池で泳いだ話を聞いたが、先輩らは泳いでいたんだ
・Wさんのコース、私の山友KYさんらも行っているが、このコースは2泊なんだよね、KYさんに聞くと、道はあるよ、だって!!
・今年は予定がたくさんあるので、来年「根洞谷往復」挑戦してみます
  
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貝月山 0924 No143

2020-09-24 15:21:49 | 山登り
貝月山(1234.3m)1/2.5万地図[横山(岐阜11-2)]
2020年 9月24日(木)

行程 9:20自宅= 9:42貝月山避難小屋駐車地→ 10:50小貝月山→ 11:07山頂11:50→ 12:56登山口(駐車地)=自宅

 月に12日しか働かない私は、その分土日祝祭日の仕事が多い。21日敬老の日と22日秋分の日に働いた私は、昨日(23日)から29日(火)まで休み、で何するか、山に登るしか能(脳)がない
 19日奥三界、20日に北夕森山と連チャンで登って疲れているので、今日はタグにあるように、秋でも探しに行こうと高低差の少ない、貝月避難小屋から貝月山にチャレンジした
(本当はもう一つ目的が!!)


 9:42 避難小屋とススキ、青空が秋を感じさせる色(ブルー)だ!!


 9:59 登山道に落ちたクリ、小さい実も徳山の人は食べていた、と下から登って合流した男の人が連れに話していた


 10:21 キノコ(名前はわからない)


 10:28 紅葉を見ると秋だ!! Autumn has come


 11:07 山頂
 
 山頂に着くと、厚切りベーコンを肴にノンアルビール、次にチキンラーメン・卵焼&ライス。食べ終わったところで、徳山の話をした男性1人と女性2人が上がってきた。同じテーブルに座られたので話しかけると、その男性は徳山中学校で教鞭をふるったそう、だから徳山のことが詳しい(1987年3月26日に徳山小・中学校の閉校式、33年以上も前の話だ!!)


 11:11 貝月山頂の標識の奥に竹で作った標識を設置

 山友Oさんが貝月山に1234m(標高)の山銘板が欲しいね、と以前私に話した。僕に作れということだな!、って勝手に思い、作って、飾ってきました(目障りでしたら、コメント頂ければ、行って処分します)

☆ 今日の反省など
・テーブルで食事している女性1名が竹の標識に気が付いて、" かわいい ”と言ってくれた。すかさず、僕が作って飾ったのです、と言ってしまった
・竹の裏に、2020.9.24 奥揖斐山荘 と書いてしまった、誰も見ないね



 大野アルプス(大谷山~雁又)もいいが、平日でも人が多い。このコースは静かです、歩く時間もほとんど変わらない
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