奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

岩籠山 No341

2022-09-29 16:45:38 | 山登り

岩籠山(765.1m)~夕暮山(720.2m)1/2.5万地図[駄口(岐阜15-4)]

2022年 9月29日(木)3人

行程 5:55JAいび本店=7:20駄口登山口駐車場7:30~9:12インディアン平原9:21~9:27岩籠山9:42~10:06夕暮山10:15~岩籠山~10:51インディアン平原(昼食)11:26~12:40~駄口登山口=14:30JAいび(往復155km)

 

 敦賀3山、野坂岳(今年9/6)は天候悪く何も見えなかったが、一昨日の西方ヶ岳は最高、今日の岩籠山もさすがに3山の1山、360度展望で最高でした(夕暮山は展望なし)。もう一回行きたいくらいです

 

7:23 駐車場にありました。駐車場は広いです

 

7:29 登山口、登山口横にトイレあり

 

8:13 よく整備された登山道

 

8:42 ブナ林

 

9:10ころ、インディアン平原へ(Mさん撮影)

 

 

9:12ころ、敦賀湾を見る”奥揖斐山荘オーナー”(Mさん撮影)

 

9:13 インディアン平原の展望所から、右に余呉湖、その左伊吹山、遠く左に見える小さな△の山は金糞岳?

 

9:18 敦賀湾、敦賀半島の先端の高い山が一昨日登った西方ヶ岳、水島も見えた

 

9:24 アキノキリンソウ

 

9:32 山頂着、インディアン平原の方が景色がいい

 

9:52 赤い実と向こうにコアジサイ

 

10:03 でっかい反射板

 

10:08 山名板がなかったら、通り過ぎていた

 

10:21 夕暮れの帰り

 

10:43 △Ⅲ、点名は嵐山だそう、2人は巻道で通過

 

10:50 可憐なリンドウ(10:51~11:26までインデアン平原で昼食)

 

11:24 もう秋だね

 

11:53 667mピーク付近の案内板

 

12:26 地図にはないが「奥野山(361m)」通過

 

12:40 駐車場着

 

☆ 今日の反省など

・夕暮山、名前はいいが、山名板と三角点(4等?)があっただけで景色もなし

・写真9:13の男の人が岩籠山頂より、インディアン平原からの景色が最高と教えてくれた

・今度来るときは、インディアンまででいいので、ゆっくり居たい

◇ 参考

・JR新疋田駅から駄口登山口まで2.8km、市橋ス登山口まで5km、電車使えば縦走できるが、今日の3人そんな元気はない(平均71歳です)

・分県登山ガイド「福井県の山」日本山岳会福井支部著に、”クマと遭遇することもあるので注意”と書いてある

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西方ヶ岳、サザエヶ岳 No340

2022-09-28 02:07:04 | 山登り

サザエヶ岳(686m)~西方ヶ岳(764m)1/5万地図[今庄(岐阜14)]

2022年 9月27日(火)

行程5:50JAいび本店=8:00敦賀市浦底登山口~10:20サザエヶ岳~11:30西方ヶ岳(昼食)12:10~14:35登山口~16:45JAいび本店

 

*サザエヶ岳=敦賀市と美浜町にまたがり、敦賀半島の先端近くにある。北東麗の敦賀市色(色浜)は西行や芭蕉が遊んだ地、山名の由来はサザエのような岩峰による

*西方ヶ岳=朝鮮半島からの渡来人の望郷の念がこの山を「西望岳」と呼んでいて、これが西方ヶ岳となったという。敦賀半島の最高峰。この敦賀半島は福井県では珍しく花崗岩からなり立っているため、海岸は敦賀半島の気比の松原から西側の美浜へと白砂の浜辺が続いている *新日本山岳誌による

 では写真にて、この山行、ご一緒しましょう

 

7:56 空き地に駐車

 

9:19 早速に巨峰の差し入れ(冷たくて美味しかった)

 

9:21 長命水

 

9:25 長命水は、冷たくて清流でした

 

9:43 赤い実

 

9:57 展望台から水島

 

10:08 いまは、もう秋

 

10:15 リンドウ

 

10:19 登山道

 

10:23 サザエヶ岳はこんな漢字です

 

10:58 カモシカ台の岩、登っても下りが怖い!!

 

11:02 登ったのは別の岩です

 

11:01 遠く、常神半島先端の高岳(234m・9/13に登った山で山頂に常神岬灯台がある)

 

 

11:01 美浜原発みゆ

 

11:15 西方ヶ岳みゆ

 

11:33 西方ヶ岳三角点に到着、展望なし、海の見えるところに移動・昼食

 

11:40 お昼はシーフードヌードルとベーコン・卵焼&ライス

 

14:45 浦底のバス停時刻表

 

☆ 今日の反省など

・バスの時間、帰りに移動する(13:47ではバス停まで下山できない)ことだけ考えてピストンにしたが、朝7:45に乗って常宮バス停まで移動すれば、常宮登山口~西方ヶ岳~サザエヶ岳~浦底バス停と縦走できた。もう少し頭を使えばよかった

・天気を心配したが、長浜の道の駅まで持った。大好きな海が見えて最高でした

・敦賀三山、野坂岳(9/6)、西方ヶ岳(9/27)と登ったので、29日あと一山の「岩籠山」に登ってきます

 

書いている時間は計画段階のものです、出発時間(8:30→8:00)以外は合っているのはびっくり!!??

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屏風山 No339

2022-09-26 14:16:57 | 山登り

屏風山 1354m 1/2.5万地図[平家岳、能郷白山(岐阜6-1、6-3)]

2022年 9月25日(日)4人

行程 6:00織部の里=7:34登山口(駐車地)~12:26山頂12:37~17:00登山口

◇歩行距離13km、合計時間9:26

 

  本来7人で行く予定であったが私に葬式が入り、急遽山友KさんにCLをお願いした。写真をたくさん頂いたので現在の屏風山を紹介

 奥揖斐の山、相撲の番付に例えると、横綱は最高峰の能郷白山として、大関は西の蕎麦粒山(1296.7m)、東は屏風山と私は思う。理由は両大関ともにその鋭鋒が素晴らしく、他の山から見てそれとわかる

 新日本山岳誌によると・・両白山地の鋭鋒で、この地域ではもっとも優れた山姿の山。これによって一帯は「屏風山脈」と呼ばれた(略)。福井県大野市秋生(廃村)の伝承として、「本区の東南3里を隔てて一の険阻なる大嶺あり、之をビョウブと云。絶頂には平氏の落人の住し所なりと今尚菊花咲き茗荷生じ錦手茶碗の破片迄もあり、又大なる洞窟もありと云」(福井県大野郡誌)

 最近、台風による倒木、人が登らずヤブ化する山が多いがこの山もそう、今回の参加者によると2年前に登った時よりもさらに急登のところに倒木があり、台風15号による増水もあいまって、9時間越えの山行になったと。ではその様子を写真で紹介

 

7:28 駐車地

 

7:46 あけぼの草

 

8:47 林道終点

 

8:56 堰堤は左(右岸側)を超える

 

9:28 急登への登山口(河川敷から尾根へ)

 

9:41 急坂を登るKさんを上から撮影

 

12:14 二等三角点「屏風山」

 

12:24 山頂から(写真右手前の尾根を登って山頂へ)

 

12:26 山頂

 

13:18  倒木の合間を下る

 

14:10 倒木をよけて下る   

 

15:14 右足が沈む前に左足を出す??、帰りなので濡れてもよい!!

 

15:27 水量多し

 

☆ 今日の反省など

・倒木が増えて山が荒れていること、私は登っていないが、9:41、13:18、14:10の写真を見るとわかります

・2年まえKさんが行った時は同じ織部6:00発で15:30に駐車地着、が、1今回は17:00駐車地着という。増水∔急登部分の濡れた荒れ石などが遅くなった原因??

・使った写真は参加者が所属する山の会(O63)のブログ、Kさん、Yさんのヤマップ活動報告からお借りしました

・私のブログ「奥揖斐山荘No156(2020年11月13日)」にも2年まえに登った屏風山紹介しているので、これもご覧あれ~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揖斐川町ゆかりの人物 No338

2022-09-24 02:25:29 | 奥揖斐の歴史など

揖斐川町ゆかりの人物

2022年9月23日(祝)

 今日、郷土読本「揖斐川町ゆかりの人物」※という本を見、感激した

 ~ ゆかりの人物一覧をみると200を超える人が載っており、その中で私の眼に残った7人の人物を(五十音順で)紹介します

[ ]書きは私 が追記

 

① 小野 ゆき 1901(明治34)年~1945(昭和20)年[揖斐川町]三輪の生まれ。看護婦になり、戦地で救援活動に携わり、ルソン島沖で殉職した。ナイチンゲール記章を受けた ※🅟118

② 春日の局[揖斐川町小島の]白樫で生まれる。[徳川]家光が誕生し、乳母になる。以降江戸城大奥の第一人者となり、一方で幕政にかかわる存在になる 🅟48

③ 岸  武雄 1912年(明治45)年~2002(平成14)年[藤橋村]東横山の生まれ。岐阜大学付属小学校主事を22年務める。代表作「千本松原」をはじめ多くの児童文学書・教育書を発刊した 🅟118

④ 土岐 頼康 1318(文保2)年~1387(嘉慶元)年 美濃国守護第3代で尾張・伊勢の守護も兼ねた。後光厳天皇を[揖斐川町]小島へ迎えた。父頼清を弔うため南禅寺の大林和尚を招いて[小島の]瑞巌寺を開いた 🅟122

⑤ 徳山五兵衛則秀 不詳~1606(慶長11)年 徳山の初代領主で、更木(各務ヶ原市)に陣屋を構え、家康に御側衆として仕える 🅟122

⑥ 播隆上人 1786(天明6)年~1840(天保11)年 越中(富山県)大山の生まれ。[揖斐川町三輪に]播隆院一心寺を開いた。厨子を背負って山間部を行者として修業した僧。槍ヶ岳を開いた 🅟123

⑦ 増山 たず子 1917(大正6)年~2006(平成18)年[徳山村]戸入の生まれ。徳山村の人々・暮らし・行事・自然を写真に収める。撮影枚数7万枚を残す 🅟124

 

 

☆ 今日の反省など

① 小野ゆき 16歳で揖斐小学校を卒業、18歳で大阪赤十字病院付属看護婦養成所で学ぶ、22歳で関東大震災に救護要員として参加、42歳フィリピンマニラ野戦病院に勤務、44歳ルソン島カラバン南方の地で餓死する。1944年フィリピンの戦況は厳しさを増し(略)、[食料は]深夜に支給される数グラムの米に水を加えたカユだけでした。[それでも]ゆきは身命をなげうって必死の看護に努めました。しかし、ついに病におかされ回復することが出来ず、46歳の生涯を終えました 🅟4

🅟118には殉職と書いてあり、🅟4では「ルソン島カラバン南島の地で餓死する。」と。この「餓死」の記事読んで、この日何度も涙がでました。この当時(大正8年)18歳で揖斐から大阪に行ったということも凄いです

③ 岸 武雄 揖斐川町鶴見の藤橋城3階に岸 武雄コーナーがありますので、是非ご覧あれ

 

⑤ 上の写真は行市山(余呉町と敦賀市にまたがる)の帰り(下山時)に2014年3月撮ったもの。秀現は則秀の戒名(ウィキペディア)  

⑥ 🅟94~96に上人が南宮山(不破郡垂井町)での修行を終え、伊吹山池谷峰の岩穴で念仏修行を行ったとあります。私は20年ほど前、伊吹山登山の帰り春日村古屋笹又で上人を偲ぶ祭り?に出会い、およばれしたことがあります

⑦ 増山たづ子さんに写真を撮ってもらったことがあります。2枚の写真と手紙が郵送されてきました。手紙に一枚はあなたの母親に送りなさい、と書いてありました

◇ その他

・新選組の近藤 勇を捕らえた[揖斐の]岡田さん 🅟118

・後光厳天皇 北朝第4代の天皇。南朝に攻められ京を逃れ、小島頓宮に2ケ月滞在した 🅟119

 

★ 今日の一枚

昨年撮った写真、今年はこんないい天気なかったなあ!!、もうすぐ新米が食べれます (笑)

 

2014年 9月23日に岡島橋下流で採ったアユ。数年前鑑札を返上したので、今年はまだ天然アユ食べていない 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青葉山(丹波高原)No337

2022-09-15 04:05:48 | 山登り

青葉山 693m 1/2.5万地図[青葉山ほか2]

2022年 9月14日(水)

行程 5:40JAいび本店=坂内経由=8:46中山登山口~10:09東峰10:22~10:53西峰11:13~11:54熊野神社~途中昼食~12:57登山口=16:20ころJAいび(有料道路使わず・往復約280km)

 

 若狭の国道を走ると姿のいいこの山が見える。先日(9/6)野坂岳に登ったときにこの山が見え、よし登ろうと思いました

(青葉山は)福井県大飯郡高浜町にある。高浜海岸からは富士山のような美しい姿を、惜しげもなく見せてくれている(略)。青葉山西峰の巨岩の上に立つと、歩いてきた東峰が変化に富んだ山稜や大きな岩、洞窟、鎖場、ハシゴなどのつづいた道の上に聳えている。←新日本山岳誌より

 では、地図と写真など24枚でこの山紹介します

 

8:44駐車地

 

9:15 いい感じの登山道

 

9:34 展望台着、霧で展望なし

 

晴れた日の展望台からの風景 OHさん提供(今年7月撮影)

 

9:57 霧の中歩く

 

10:07 馬の背

 

10:07 馬の背2、写真の人は岐阜市、関市から来た5人組

 

10:16 地元小学生が育て、移植したオオキンレイカ。昔はこの木が山一面にはえていたが盗まれた、と書いてある

 

10:17 青葉山東峰、神社の横(南)にあった標識

 

10:23 東峰過ぎると岩場現れる

 

10:25 釣り尾根のハシゴ場

 

10:26 ロープ握ってトラバース

 

10:27 ときおり小雨、慎重に歩く

 

ロープ場 同行のMさん撮影。 ウソ!! ザックが写っていない(こわ!!)

 

10:33 長い下り階段

 

10:49 泰澄大師が修行したという釣り尾根の大師洞 Mさん撮影

 

10:57 西峰の神社

 

11:01 岩場の上にあった標識、Mさん怖いと言って登らず

 

11:01 山頂、本当はここから日本海が見えるのだが、、

 

晴れた日の展望、OHさん提供 (今年7月撮影)

11:09 ジグザグに今寺方面に降りる

 

12:41 帰り道にあった案内板

 

12:41 クマいるの?

 

12:58 駐車地着

 

☆ 今日の反省など

・帰り、高野集落の中を歩いていると親切なお爺さんが近道を教えてくれた

・小雨と霧の中を歩いたので、大好きな海が見えず、展望等全くなし

・思ったよりスリルのある道(東峰~西峰間)で、次は天気のいい日に西峰巨岩の上に立ちたいと思いました

・ゆっくり歩いたつもりだが、ヤマップペースは130ー150でした

・OHさん、写真提供(9/15、20:30追加)ありがとうございます

 

ヤマップ地図参考

 

帰り、高浜海岸から撮った青葉山(山頂霧で見えず)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする