奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

徳山の料理(番外編)ほか No216 0626

2021-06-26 05:18:18 | 奥揖斐の料理など

徳山の料理(番外編)ほか

2021年6月26日(土)

 徳山の料理については、2019年6月に「徳山料理入門」(※)、同7月に「地獄うどん」など紹介したが、今日は徳山の人が教えてくれた夏の料理を紹介

 

★ アユ鍋=鮎(頭と尻尾とはらわたを取る)を煮て、味(アユの香り)がでてきたところで豆腐、白菜、なめたけ、他臭みの出ない野菜を煮込み、ポン酢(馬路村の柚ポンがいい)で食べる

 戸入出身のH先生、〇市にある離れ(別荘)の囲炉裏でアユ鍋をご馳走してくれた。離れの前には長良川、当然、友釣りで採った鮎。なんと贅沢なオモテナシ。他にアユのなれずしも馳走になり、後日レシピも頂いたが、達筆すぎて読めなかった(笑)

 昭和50年ころ徳山の人が観音岩付近の河原に招待してくれ、釣ったばかりの天然鮎(といっても放流鮎)を炭火で焼いて数十人で食べたのを思い出す

 オーナーの意見=徳山村を流れる揖斐川源流部は、水深が浅いことによって川底に日当たりが良く、栄養満点の藻が石に成長、それを食べるアユは体高もあり形がいい。長良川に例えるとその支流、板取川、吉田川の鮎のようなもので美味

 

鮎鍋の写真がないので、塩焼き(串の刺し方が素人だね!! I山荘にて)

 

★ キュウリの辛子風味:新鮮なキュウリ10本くらい、粉末の辛子25グラム、塩25グラム、砂糖60グラム用意。キュウリは薄皮を三筋ほど剥き、塩で板摺り。容器にキュウリとあらかじめ溶かした辛子、砂糖に残った塩を入れ、冷蔵庫で寝かすと三日目から美味しい。キュウリを食べたすぐ後に、辛子が鼻にツ~ンくるのがたまらない

 櫨原出身のS氏の奧さん、辛子風味のほか、タケノコのから揚げ、アジメドジョウの素揚げ(ご主人が登り落ち漁の名人だった)などいろんな料理を教えてもらった(というより自宅に押し掛け、いろんな料理を食べさせてもらった)

 

 写真は、門入出身I氏奧さん作、キュウリの一夜漬け。間に挟まったシソとショウガの香りが旬のキュウリの美味しさを増す。左は新ジャガ、ストーブで焼いて食べるのもいい

※ 今朝の奥揖斐山荘ブログ人気記事を見ると、「徳山料理入門」が一位でした。なんという偶然

 

★ 余談1

 

 家の中を整理していると、柔ちゃん(田村亮子氏)の色紙がでてきた。もう30年近く経っている

 私の親父は柔道をしていた。「柔道をする人に悪い奴はいない」が口癖で、子供4人(私は四男坊・姉2人)に柔道を教えた。長男は高校で全国優勝(団体)、明大柔道部では神永昭夫氏の1つ先輩、20歳で四段とったのは福岡県歴代3人目、が自慢だった。次男も金鷹旗高校柔道で優勝。坂口征二氏の2年後輩だった。大学は福岡市内(三男は高校から野球、四男は高一で柔道挫折・敗退)。色紙は、次男が柔ちゃんの師匠と友人だったから貰ったもの

 親父は、自宅座敷に柔道畳(今みたいな畳ではなく、畳表がない縫い目がある藁だけのもの)を敷き、近所の子供たちを集め柔道を教えていた。この自宅道場で、あの「木村政彦(全日本選手権13年連続保持)」氏がうちの親父と柔道した。氏は戦時中福岡県大刀洗飛行場近くで兵役中、親父と上下関係があり、親父が自宅に招待した。道場で親父が氏を押さえ込み「木村、こんなもんか!!」というと、片手で撥ねられたという。親父も郡大会で優勝の経験があり、柔道四段(後年の名誉段含む)だったが。・・信じてもらえないでしょうが、これ、本当の話です

 

★ 余談2

・徳山関係など私のコレクション、あのころの徳山は、私が徳山村で働いていたころの出来事を小冊子にした

 

左から2番目の成瀬氏の山写真、美濃の山のガイドブックにこの人の名が出てくる

  

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花の能郷白山 No215 0621

2021-06-21 18:01:54 | 山登り

花の能郷白山

2021年 6月21日(月)

 山仲間から、能郷白山を誘ってもらった。足の回復を確かめるため、また、探してみたい ”ノウゴウイチゴ(能郷苺:※)”もあり、2つ返事で参加した

8:56 先ずはツクバネソウがお出迎え

9:47 続いて、ユキザサ 笹の葉に降りかかる雪にたとえられた名といわれる(※2)

10:09 コバイケイソウ 山頂付近は少なくなったという(※)

サラサドウダン Tさん撮影

ノアザミ 名は、花の美しさに惹かれて触ると葉のトゲに刺される。欺くことから由来(※)Sさん撮影

ギンリョウソウ 透きとおるような白い色をした植物で、別名をユウレイタケともいう(※2)Nさん?撮影

 他に、マイズルソウ、ナナカマド、ヤグルマソウ、カラマツソウを確認しました

※ 能郷白山 開山1300年記念ガイドブック(本巣市観光協会)から

※2 ヤマケイポケットガイド② 山の花より

 

ノウゴウイチゴ 見つけたら幸運だって!!!(※)

 

☆ 行程=7:00 織部の里=8:30 温見峠登山開始~10:22 一等三角点~11:04 山頂11:35~13:00 登山口= 織部の里

山頂から南西方面を見るおっさん(Sさん撮影)

 

★ 能郷白山温見峠コース=1988年に拓かれたコース。高低差は峠から567m。距離2.3km。1492m地点(コロンブスピーク)までは急登。あとは緩やかなコブを3つほど経て頂上に至ります。5月から6月は尾根上に多くの花が咲きます(※抜粋)

 

☆ 今日の反省など

・リーダーのペース配分と、花を探す時間とがあいまって、楽に往復できました

・ときどき足が痛むが、片道3時間程度までなら、グループでも登れると確認した

・花に詳しい人が1人いて、今日咲いていた花の名前、すべて教えてもらいました

・コロナ禍対策ではないが、6人で2台の車で行きました

・次は能郷谷コースでノウゴウイチゴを探しに行きます(参加者募集)

◇ 登山そのものより温見峠までの運転が大変と感じる人が多いです。特に国道157号では能郷から黒津までの倉見渓谷は断崖が続き、対向車とのすれ違いもできない箇所が続きます。遠回りでも樽見から大須、越波、猫峠、大河原と迂回した方が無難です。いずれにしても狭い道です。運転には十分注意しましょう(※)

 → 本日は行きは対向車なし、帰りのすれ違いは、小型車1台、軽トラック1台だけで幸運でした(笑)

 

★ オーナー談 遠回りでも5~10kmくらいと思います。帰りは、遠回りが安心です(帰り道は谷側を走りますので)

 

※ 道の駅「織部」の山門の中の観光協会で貰えます(A5版)

 

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籾糠山 + この一冊 No214 0612

2021-06-12 21:02:52 | 山登り

2021年 6月12日(土)

☆ 先に、この一冊

清水克宏 著 岐阜百秀山 

 

 以前、一緒に登っていた山仲間が本を出版した。この著者とはグループ、個人的に「ぎふ百山」など10数座登った。一緒に登った山々がこの本に載っていたので、早速に手に入れ、読んだ

 結論、” 素晴らしい ”の ひとこと”、売り切れる前に早く買って、あなたの岐阜山のバイブルにしませんか!!

★ 1 何が素晴らしい?

1 文章が読みやすい、岐阜県内200座以上に足を運んだ著者が、秀でた山を妥協なく愛情をこめて100座を選び、名山でなく秀山と呼んだところがいい

2   また、出版するにあたり、県内の一流の登山家(H山岳会のK氏など)に査読してもらい(査読しなくても内容は一流)、全体に一部のスキもない完成度、この一冊にかけた彼の情熱が読み取れる

3   文章を書くとき、私は最初の一行にこだわるが、著者は最後の一行にこだわった?、その山の最後の部分を読むと、次のページ(山)も読みたくなる

★2 気になったところ

1 不動山、千回沢山を100秀山から外した割にはコラム6でこの2山を6ページにわたり解説している。普通「コラム」とは、「ちょっとした記事」のこと

2 著者は花にも詳しい。その6ページと見出しの「岐阜県の山岳概要」を削ってでも、花の秀山として10座ほど特集(コラム?)組んでほしかった → 私だけの勝手な意見 

 いろんな意見はあるだろうが、近年山に関する出版物の中では、秀でた本であることは間違いない、早速入手して読んで欲しい

 

☆ 本題 籾糠山 1744m 1/5万地図[白川村]

2021年6月12日(土)登頂

 今週月曜の蕪山に続き、新しい山仲間と「ぎふ百山」というより、花の名山「籾糠山」に登ってきた。その山名は、左甚五郎(日光東照宮の猿3匹の作者でもある)の伝説に由来するもので、天生峠近くの山中で甚五郎が作った木の人形に魂を入れて稲作を始めさせたところ、収穫期に風に乗った籾殻がうず高く積もって籾糠山になったと伝えられている。・・・ 天生峠から登山道を南に入ると、広大な天生湿原がある。国内分布の南限となる寒地系植物が群生し、一帯はオオミズゴケやムラサキミズゴケに覆われ、ワタスゲ、ホロムイソウ、ヒメシャクナゲなどの天然記念物を含む貴重な植物が自生している。この辺りにはブナの原生林が残り、県立公園に指定されている[( )以外は新日本山岳誌より]

では写真でコースなど紹介します

写真1 6:45 駐車場のマップ

 

写真2 7:57 先ずは、サンカヨウがお出迎え

 

写真3 8:00 キヌガサソウ

 

写真4 8:24 水辺の花は、リュウキンカ

 

写真5 8:47 ムラサキヤシオ(高山市内の女性登山グループが名を教えてくれた)

 

写真6 9:50 山頂から、穂高、笠、槍、乗鞍、御岳など同定する(左の4人と登った)

 

写真7 10:28 ランチタイム、フライパンで焼いたソーセージと卵焼きが差し入れ、タケノコは私、今日はノンアルコールビール忘れず

 

写真8 11:42 下山途中の見事なブナ

 

写真9 12:32 タテヤマリンドウ(カメラマンが咲いているよと教えてくれた)

 

写真10 12:26 少し遅い、ミズバショウ

 

☆ 今日の反省など

・峠の駐車地、僕らが早朝に来たときは車数台、帰りは登山者以外も湿原のみを訪れるのか車は満杯だった。その人気の度合いが伺われる

・差し入れのソーセージに瓶入りの粒マスタードが添えてあるのには驚いた

・今日の参加者5名、コロナ禍(密)で2台(2名+3名)の車で移動、早くコロナ禍、終わってほしい

 

行程:4:30関市内= 荘川IC=6:45天生峠駐車地~カラ谷登山道~9:45山頂~10:25ランチタイム~木平探勝路~13:00駐車地=白川郷見学=荘川IC=16:20ころ関市内解散

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ちょっと一服(涼しい話題)奧揖斐の沢ほか No213 0609 

2021-06-09 03:52:29 | 雑談

ちょっと一服(涼しい話題)

2021年 6月 9日(水)

 3ヶ月山を休むと、”こんなに体力がなくなるのか”とびっくり。それはそう、私、来年は古希(数え年だから今年?)、落ちた体力はもう回復しないだろう、さて

 6/7、休みの月曜、蕪山に登ってきた。山頂近くで息切れ、けど美味しい差入れで元気100倍

ブラックベリーだそう、山頂で半解凍、冷たくてとても美味しかった(生まれて初めて食べた)

 

6/8、休みの火曜、通称「長良川テラス(小島山トンネル北信号近くから登り百々ヶ峰に行く途中の最初のピーク)に行った。骨折での左足首の腫れも少し引き、今日初めて登山靴を履いた(6/7までは長靴)。靴が窮屈で左足小指が帰り痛くなった。まだ北アルプス登山は無理かな(7月、8月に行く予定)

長良川テラス、牛丼に味の素の餃子、食後のブルックスモカコーヒーで至福のひととき、((-。-)y-゜゜゜)

 

 6/7の山友は「ぎふ100山」の不動山と千回沢山は難しいと云っていた。不動(五葉倉~私の体力では2泊3日)はともかく千回沢はそうでもない、貝月谷で練習し、1泊泊まりを覚悟すれば千回沢は普通の体力で行けます

貝月谷の沢歩き(2020年 6月 6日ブログ参照)

 

千回沢沢歩き(※)写真はテント場(2020年 6月 29日ブログ参照)

★ 千回沢は2mを越えるような滝はなく、1泊の装備と沢靴さえあれば登れます(経験者と一緒に行ってくださいね)

※ ロープを使わない沢は沢歩き、使う(懸垂下降など)のは沢登りと私は使い分けしています

 

☆ 今日の反省など

・コンロとフライパンの間に置く”バーナーパット(熱を分散する網)”を忘れ、餃子が火の中心部分で焦げていた

・ノンアルビールを忘れた

 

☆ 余談

6/8朝収穫 の真竹、破竹が終りこれから真竹になります(8日は真竹のみ大野町の ”よってみ~な” に出荷しました)。写真奥に破竹の写真 → 真竹は午前中で完売

 

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門入 弘法穴 No212 0605

2021-06-05 04:51:41 | 奥揖斐の歴史など

弘法穴(旧揖斐郡徳山村門入の茂津谷右岸)

No112 2021年 6月 5日(土)

No111コウモリ穴に続き、弘法穴を紹介します

 

☆ 弘法穴6度目の挑戦で探す2017 年9 月2 日

 茂津谷(西谷川支流)にあるという弘法穴(下記※2)については、Iさんがどうしても行ってみたいところ

① 2015.10、② 2016.10.1、③同10.22、④ 2017.5、⑤同6.6 と弘法穴探検を5回挑戦したが見つけられず総て敗退

 Iさんは、5回挑戦しても屈せず、昔弘法穴で働いていたN氏に会って絵図を書いてもらい、門入おこし協力隊(下記※3)としては5度の挑戦で見事に弘法穴を発見した

 

写真ー1 Nさん(揖斐川町在住)に書いてもらった絵図

 

 当日の探険にあたり、Iさんに見通しを聞いた。Iさん曰く、Nさんは、弘法穴は茂津谷を上流に向かって右側最初の谷の左の谷。右岸の大きな平(ワラビが多くでる平)の直前の谷、穴の標高は谷入口から尾根へ1/3 くらい登ったところと聞いた。都合3 年で延べ5 回も皆で探したが、今日見つけられなかったら、これをもって私は最後にしたい。と

 今回は6人で挑戦。絵を元に穴は、※1でいうアオミガボラと確信してI山荘を出発。谷から数十メートル登ると谷は二つに分かれ二班に分かれて谷を登る。すると15 分そこらで右に登った班から“あったー”の声。穴の大きさは、幅5 メートル、高さ1.5 メートル、入口付近は10 畳ほどの広さで、左の穴に入ると中は奥深く続いていた。3 メートルほど更に進むと真下に掘られた穴があり、蝙蝠が逆さにとまっていた。穴に落ちると危ないので、その先へは行かなかったが、ライトを照らしても明かりは奥へは届かなかった ※1美濃徳山の地名p247⑰、茂津谷右岸の沢

 

写真ー2 13:07 弘法穴から外を見る

 

写真ー3 弘法穴右手の穴:すぐに行き止まり

 

写真ー4 左の穴:この穴から中に入ると上の穴、下の穴あり

 

写真ー5 左の穴を入ると上の穴(正面)と下に穴(立て穴)。下穴は落とし穴みたいで、跨ぐのが怖く、ここで引き返した。第7回調査ではロープ(命綱)を持っていったので、この穴を越えて先を調査した

 

写真ー6 穴内側から外を撮影

 

写真ー7 弘法穴全体 2018年10月23日 大垣63のKさんと再再度訪問時撮影

 

写真ー8 茂津谷から弘法谷(青実洞)を写す=この谷を登る

 

☆ 反省など

・2回目の探険は、岩穴谷(青実洞の2つ上の谷を登った)、標高800m付近からトラバースして上流へ進むが藪がひどく目的とした場所に近寄れず。9人参加

・3回目は、遺跡ウォーカーのデータ参考に青実洞を登るがわからず、時間があったのでその上流のジャリボッタ(谷の名)も探した。3人参加

・4回目は、昔作業した人の絵で岩穴谷右岸に水飲み場と宿泊小屋が載っていたので、そこ中心に探すが、探せず。同じ道をくだるのもと考え、尾根まで登り、三角点「船ヶ丸」経由で門入に戻った。今回も見つけることができず、参加者声も出ず。5人参加

・5回目は、写真ー1の図でもって青実洞へ行くが探せず。3人参加(私は欠席)

・6回目、6人で探し当てる(バンザイ)

・7回目、洞窟の寸法などを測りに行った。7名参加

☆ 穴を見つけたのは、Y隊員、はっきり言って偶然!!、今思えば、奇跡だったと思います

 

☆ 翌年(2017年)、11月 4日に再調査

再調査の模様その1

 

再調査の模様その2 右上&左の穴上、コウモリの襲撃を受ける

 

※2 弘法穴=往古から採掘された謎の鉱山穴で、実際昭和30年ころ5年ほど採掘していた。以後忘れられ、鉱山跡への道はやぶの中に消え去り、近年現場を確認した旧村民はいない。弘法大師が掘ったという伝説の水銀鉱山穴。昭和20年代後半には地質学者が現地を調査して、高濃度の水銀を検出している(大垣山岳協会機関紙わっぱ2017.1.15から抜粋) 

 

※3 門入おこし協力隊=Iさんの提案で当時の徳山ダム管理所職員数名(うち一人が事務局)、揖斐川町役場職員数名、イビ電Y氏、私、その後門入を訪れる登山者(大垣SK、大阪WK)、新聞記者(T.G2社)も合わせ延べ23名参加。弘法穴再調査後、協力隊メモ完成・全員に配布したところで自然解散・・現在、奧揖斐山荘登山部がその趣旨を引き継ぎ活動中

 

 表紙、裏、目次、本文、参考記事込みで全58ページ。イビ電のY氏が毎回メモ、私が撮った写真に合わせ、Iさんに内容を確認してもらい、事務局は転勤したので私が編集・印刷した(非売品)

 

☆ お詫び 岐阜県立図書館が 6月20日まで休館のため、金箔細工と山梨の木の関係調べれていません。しばしお待ちを!!

 

★ 三つ目の穴、カワウソ穴は、「カワウソ穴探検」2019.11.18でブログアップしています。ご覧あれ~

 

 

コビクラ(小飛倉)の滝(黒谷支流)2017.9.3 撮影 黒谷本川から約20分です

 

★ この一品(美味)

 破竹(筍)の先端の柔らかいところを除いてせん切りし、鯖缶(水煮)と唐辛子(輪切り)にイチビキのつゆでもって辛めの味に。我が家の竹藪の破竹は5月初旬から出~ぼちぼち終り。今は真竹のタケノコが出ています 6/4夜料理

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