奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

揖斐アルプス縦走 No223 0730

2021-07-31 02:55:44 | 山登り

揖斐アルプス:くだらない山登り

2021年 7月30日(金)

 我々(奧揖斐山荘 登山部)は、揖斐の城台山~城ヶ峰~東の山~西の山~仁坂坂峠のコースを勝手に「揖斐アルプス」と呼んでいる。このコースは、山と渓谷「全国隠れ名山:城ケ峰と西の山(中級)2012年1月号」に載ったコースで全国?にも知られている

 またタグで、「くだらない山登り」と書いたが、下地図でわかるように、下山する峠(標高281m)に車をデポ、よって「(山を)下らない山登り」となる(どこかの山雑誌にそう書いてあったが、クダラナイ)

 本日は楽しみをもう一つ用意して、イザ出発

8:21三輪神社を出~9:37に城ヶ峰に到着

冷たいミニトマト(Nさん)とみかん(Sさん)の差し入れ:城ヶ峰を東の山側に少し下った涼しいところで食べる

標高333m展望地、今日のコースはここと標高407m(最高点)手前しか展望地はない。毎週金曜日にこの山を訪れるOさんらグループが我々を抜き、ここで休んでいた

333展望地からの景色

10:27  東の山通過

11:16 最高点を通過し、西の山へ

11:40 峠をPassというとは知らなんだ

 

☆ 今日の反省など

・同行のYさんがヤマップを見て先導した。林道から東の山への尾根に入るところは合格、西の山から峠へ行くところで先にあった赤布を見て北(谷汲側)へ下りかけた(失格)。他人の付けた赤布は信じてはいけないと注意した

・ラジオ深夜便を聴きながらブログを書いています。今日のビンテージロックはローリングストーンズ特集、私の大好きな「悲しみのアンジー」をミックジャガーが今(2:34)歌っています

・もう一つの楽しみ=「萬福」の松花堂弁当で昼食。これで税込み1100円(要予約0585-22-6066)

総てにおいて最高、特に塩サバ(右上)が美味しかった(プロの味)、お酒一本欲しかった(笑)

本日歩いた(赤線)コース

 

 

モンベルでわが登山部のTシャツ(背中に奧揖斐山荘)を2色作った(本日初着用)

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花の人形山 No222 0726

2021-07-27 02:52:48 | 山登り

花の人形山 1726m 1/2.5万地図[上梨]、1/5万[白川村]

2021年 7月26日(月)

 本来は1泊で花の火打山(2462m)を計画していたが、台風8号で中止。行きたかった「ぎふ百山」人形山に変更した。もう7月の末、花は期待していなかったが、揖斐より北?、標高も高い?、標高1500mを過ぎたころから花が咲いていた

 人形山、富山県南砺市と岐阜県大野郡白川村の境界にあり、現在はニンギョウザンと呼ばれているが、古くは「ヒトガタヤマ」と呼ばれていた。5月下旬山頂直下に人が手をつないだ形の雪形が現れ、それについての悲劇的な民話があり、それが山名の由来となった(新日本山岳誌より)・・では花を中心とした写真を紹介します

9:33 第二休憩所

9:45 途中ブナ林

10:13 宮屋敷跡

10:48 山頂はガス

10:58 花1(タマガワホトドギス)

10:57 花2(花の名前わからず)

10:58 花3(アザミと蜂)

10:59  花4(トリアシショウマ)

10:59 花?5

11:26 花6(アジサイ?)

11:13 三ヶ辻山分岐(2名は先客)

11:19 花7(ササユリ)

もうすぐ山頂 Mさん撮影 

11:44 山頂(三角点の少し先)

 

☆ 行程

 5:00JA揖斐=8:00登山口~11:45山頂12:10~14:55登山口

 

☆ 今日の反省など

・飛騨高地の山はさすがに揖斐から遠い(JAいび本店から片道182km)、登山口手前5kmくらい悪路

・アブが数匹山頂付近までついてきた(アブ対策必要)、山頂付近には早、トンボが飛んでいた

・最近体力低下が激しいが、コースタイムでほぼ歩けた

・三ヶ辻山(1764m)も行きたかったが、雨もパラリと来て諦めた

・ぎふ百山、只今94山/120山

 

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あのころ(45年前)の徳山  No221 0722

2021-07-23 06:51:22 | 奥揖斐の歴史など

あのころの徳山(昭和50年代前半の徳山村)

2021年 7月22日(木)

 朝、パソコンを起動中に血圧を測るのが私の日課。ブログを開くとブログ開設777日と書いてあった。書いた話題は220話程、約3.5日に一回ブログを書いた計算になる。カテゴリー1位は「山登り146話」、2位「奥揖斐の歴史など30話」、その他17話、雑談17と続く

 では、ラッキーNo777の記念に、タイトル奧揖斐山荘の名にちなみ、ほぼ45年前に撮った奧揖斐 徳山村の風景(フィルムで撮ったものをデジタルにしたもの)を紹介します

 徳山村徳山(本郷)のメインストリート

 昭和53(1978)年ころの9月21日(横断幕参照)電話がダイヤル化された。それまでは電化された黒電話ダイヤル0を回して(停電時は旧型電話の右のハンドルを回して)交換に〇〇番と話して通話先に繋いでもらった。「ここ徳山村では昭和38(1963)年ころまで、村の生活は明治以後と、あまり変わらなかった。この年になって、中部電力の電気導入があり、テレビをはじめ、いろいろな電気器具が購入され、生活も急速に変化した(徳山村史p3~4)。電気導入時、反対者がでたと聞いた。その理由は「※」、本当かどうかは聞いた話だから分からない

 徳山村役場と右に消防倉庫

徳山診療所、医師と看護師数名がおられた。山で転んでけがした時、こめかみの下3針縫うと言われたが、麻酔が効かず2針にまけてもらった

 

徳山小学校

徳山駐在所

徳山郵便局 就職して結婚するまで郵便局で毎月1万円現金書留で母に送った。22歳当時の手取りは寮費を引くと4万円切っていた

上開田にあった、岐阜県徳山ダム現地対策室と徳山村徳山ダム対策室

私が一番行った飲み屋さん、村の人はどこで(旅館?)飲んだか、小料理屋などは村にはなかった

バーがあり、ときどき飲みに行ったが、上司からは、夜は余り出歩くなと言われていた

徳山(本郷)の旅館前に、いつもこのトラックが停まっていた。日中に荷を積んで、翌朝出発するのだろう

上開田のメインストリート、子供がおしゃれだ

山手のメインストリート

戸入、旅館 増山屋 徳山のカメラばあちゃん、増山たづ子さん経営の旅館

本郷から上開田へ渡る池田橋。上開田は昔「池田村」といったし、揖斐川右岸(山手を除く)は池田郡であった(左岸は大野郡)

徳山橋:下開田から徳山(本郷)方面

山手橋(揖斐川左岸から右岸へ)の欄干

ダム建設が進む中、欄干の銘板がどこもかしこも剥ぎ取られたりした(剥がれた写真載せず)、誰かが記念に持って行かれたと思うが、私は寂しい思いがした

山手(揖斐川右岸)から山手橋を望む

門入、西谷川本流を下流側から望む

村営バスのバス停 門入

 看板では、朝9:10発と夕方4:45発がある[昭和45(1970)年11月開通、冬場(11月下旬から4月中旬は運休(徳山村史p10)]

 

☆ あとがき

・奧美濃のヤブ山(矢代竜也 著)の”あとがき”にでてくる”奧美濃ヤブ山登山”の主(ヌシ)の某氏は門入出身、昭和30年代はまだ本郷へ行くバスはなく、門入の若者は高校へ行くとき、日曜午後に家をでてホハレ峠経由で坂内川上まで歩き、バスに乗って揖斐へ、帰りは土曜の午後、川上バス停から同じコースで門入に帰っていたと聞いた。片道15キロ?3時間?

・徳山の方達が、徳山村から移転されて30数年。新聞その他、徳山の記事などが少なくなった(あるのは年1回の元服式くらい)。ダムで移転された人々のことが忘れられていないか?

 

注:徳山村には、徳山(本郷)、下開田(漆原村)、上開田(池田村)、山手、櫨原、塚、戸入、門入の8つの集落があった(漆原村と池田村が合併して開田になったので、徳山村の大字は7つしかない)

※ 電気導入時、反対者がでたと聞いた。その理由とは” 夜ばいができなくなる ”、本当かどうかは聞いた話だから分からない

 

徳山郵便局消印切手(44年前の7月22日)

 昨年9月1日のブログ「昔の切手など」で、公共施設等であれば、この切手、差し上げますと書いたが、希望者なし。この切手などの徳山グッズ、僕の代で廃棄か!!

 

 

コメント (2)
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夏山をなめたらアカン No220 0715

2021-07-15 22:04:58 | 山登り

夏山をなめたらアカン

以前、鳥海山の麓の山小屋の壁のポスターに、そう書いてあった 

 

2021年 7月15日(木)

夏山と聞いて、何を思いましたか?、ここでいう夏山は揖斐の山ではなく、北海道の話です

 今から12年前の北海道での山行、日本百名山のひとつトムラウシ山(トム)で遭難事故、2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる死者を出した惨事です

 このツアーのガイドは3人、2人はトムに一度も行ったこともない、この事故を解説すると長文となるので詳しくはネット等で調べてください。参加者もツアー会社も、夏山をナメていたと思います

 北海道の2000m級の山は、北・南アルプスでは3000m級の山と思う、以下の写真は、2012年7月15日から20日、私の山友Iさんと登った大雪山山系写真です、その山の雰囲気を伝えたいと思いました

7月15日7時15分 旭岳温泉からロープウェイに乗って旭岳へ

7月15日10時11分 旭岳から次の山へ、7月でもこれだけ雪が残っている

7月15日12時39分 花、花、花

7月15日12時39分 

7月16日6時45分 花、花、花

7月16日7時44分 15日は白雲避難小屋に泊まりヒサゴ沼テント場に進む途中の景色

7月16日11時37分 遠くトムとニッコーキスゲ

7月16日12時02分 トムまで5km、美瑛岳へ19.3km

7月17日6時10分 日本庭園?

7月16日12時56分 ヒサゴ沼 

ヒサゴ沼避難小屋(キャンプ地)対岸(写真右側)に親ヒグマが悠々と歩いていた

7月17日9時7分 トムの手前

7月17日10時15分 トム山頂

7月17日11時33分 トムに登り、南沼キャンプ地に早めのテント

7月18日5時49分 双子池キャンプ地に向け出発 前列の登山者4人はツアー客でした

7月19日3時18分 双子池キャンプ地での夜明け

7月19日7時26分 双子池キャンプ地を抜け、トムを振り返る

7月19日12時02分 美瑛富士避難小屋(キャンプ地)着

7月20日8時16分 もうすぐ十勝岳

7月20日11時38分 十勝岳を下る(若者は私らと関係ありません)

7月20日13時13分 ビールに餓えて走って買いに行ったが休業中で買えず

 

☆ 反省など

・北海道の2000級の山は北、南アルプスでは3000級の山、テント泊なら夏でも寒さ対策(同アルプスでいうと春山装備)で行くべし

・私らの5泊6日(旭岳~トム~十勝岳まで)の縦走、ビールは重たいのでカット、食糧は2日分(予備1日分含む)余ったが、焼酎は4日目で無くなった’(遭難事故のツアーはトムからトムラウシ温泉に下る)

・途中、女性ソロ二人と会う、一人は日本庭園付近で、もう一人は双子沼付近で会い、富良野岳から旭岳まで行くという。ザック20kgはあるだろうというと、(20kg)少し切っていますと笑顔、やるね、横浜の人だった

・写真で見るように、北海道の山は、花が素晴らしいです

 

☆ 事故の反省など

・ネットでの「事故の原因・要因・背景」では、天候判断ミス、撤退判断の遅れ・欠如(中略)・・低体温症を引き起こした。参加者を登山力量に応じて選ぶ方法が不十分だった。文言上は「現場では安全優先」(中略)実際には「経済優先」で安全が後回しになった。事故当時、日中の気温は8~10度、風速は20~25mの台風並みだったという

・このツアーを企画したA・T社(設立時は福岡市)は、2012年12月旅行業の取り消し処分を受けた

・私が参考とする札幌のアルパインガイドノマド(注)の日高の山のツアー参加条件は、①日高の山に登った経験があること、②12kgの荷物を背負って8時間以上歩けること、③ヒグマと遭遇してけが人が出たら即山行中止(記憶で書いています)。ガイドに頼るならそれなりの会社を選ぶことと、自分の実力も考えよう(ノマドはネットで調べると昨年4月に廃業していました。残念です)

注)ノマドの山行は利用したことはありませんが、ガイド料を見て、その山の難易度を想像しました[1839峰(78千円/人)伏見岳~幌尻岳縦走(68千円)、カムエク(63千円)、クワウンナイ川(53千円)、エサオマントッタベツ岳(49千円)、中の岳(45千円)、トムはなし  ← 北海道の山岳とバックカントリーガイド(株)アルパインガイドノマド 2014年6月、7月より]

 

☆ 余談

・私の愛用のカップには「夏山をなめたらアカン」、ポットには「気のゆるみはないか」、「経験・知識・体力・装備」と書いたテプラを貼っています(笑)

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山のエチケットその2ほか No219 0706

2021-07-06 18:45:30 | 雑談

山のエチケット(その2)ほか

2021年 7月 6日(火)

 

Ⅰ 山小屋にて

1.どこの小屋かはか忘れたが、朝、まだ寝ていると突然電気カミソリで髭を剃る奴がいて、その音で目が覚めた。何時と思っているのか、音の出る電気カミソリ、小屋の外で剃ってください

2.朝起きると、レジ袋で帰る用意をする人(主に女性)がいる。シャカシャカシャカとうるさい。荷物の仕分けは音の出ない袋にしましょうね

3.消灯後、小屋の外でヒソヒソと話すペアがいて眠れない、トイレのついでに” 消灯後だから寝たら ”、” 声が聞こえるよ ”、というと、静かに話しています、と反論された

 

長野県王滝村〇〇氏の差し入れ。何日も前から釣った渓流魚を燻製にして我々に、最高のご馳走でした!

 

Ⅱ リーダーの云うこと聞かない

1.登山道にザックを置く人に、置くな、というと、登山者が来たら、どかしますとの答え

2.岩場の手前で、ストックはザックに付けて、3点確保で岩場を登れ、というと、(バンドを)手に通して登るから大丈夫、と答える

3.沢登りで、滝の上からシュリンゲを垂らしてやると、要らないと、どけた人

 1.~3.の人、皆さんどう思います?  → 3.は、大丈夫です。くらい言ってほしいね!!

 

Ⅲ ザック

1.モノ(カラビナ、水筒など)をザック外側に付けない、外側ポケットに入れない

 ザックにモノをつけると木の枝、岩などにモノが当たり、自分が転倒したり、モノが谷などに落ち、それを拾うために“ 滑落“なんてこともある(※)。なんでザックが縦型(昔のキスリングは横型)になったかを考えよう

 また、ザックのポケット中のモノ(虫よけスプレー、日焼け止めetc)を他人に取って、と頼むひとがいる。自分で取るのが礼儀、モノを探すのにも余計に時間がかかります!

 

※ 昨年秋、花房山の痩せ尾根でストックを落とし、拾うとして60mほど滑り落ちた高齢者がいた。パトカー、救急指導車、救急車、レスキュー車、捜索隊 4人が山に登った。結果ヘリで救出

・ストックを痩せ尾根で落とした人、Ⅱの2.ではないが、私がリーダーだったら、ストックはザックに仕舞えと言ったと思うが、その人が仕舞ったかどうか!

2020年11月 花房山で遭難(ストック滑落)した人を救助するためレスキュー車(写真)他出動

 

2.小さなザック 

 昔、4人で沢テント1泊で不動山(※2)に行った。ベテラン女性が“上手にパックしてきたでしょう”と自慢した(35㍑+10㍑ザックで来た)。計画書には60㍑以上と書いてある。自慢した女性は、共同装備は(ザックに)入らないと断った。テント、調理道具、食材は皆が分担して持つもの

 

3.差し入れ

 どうしても不動山(※3)に行きたい女性を6人が沢テント2泊で案内した。その女性、瓶入りのワインを差し入れと云って、出発地“ホハレ峠”で出した。共同装備をしっかり持っている私にテント場(約8時間)まで運べというの?。差し入れ(志し)は自分で運んで誠意を示すもの、ワインは車に置いて出発しました

※ 2.3.ともに西谷川→励谷→五葉倉→山頂コース。他に不動の滝経由、千回沢山経由などあるが、千回沢から不動はゲキヤブ、残雪期に揖斐川を渡って行ってください

 

道迷い防止に赤布は有効。結ぶ枝のない高所は、竹竿(2~3年乾燥させた篠竹)に赤布を付けて持って行く

写真は御嶽山8合目付近!

 

☆ なにが言いたい

・Ⅰ~Ⅲに書いたこと、エチケット違反ですよね、人の振り見て、わが振り直そう

 

★ その他 柔道の話

・先般、No216で柔道家、木村政彦氏のことを書いた。内容に間違いがあるといけないので、親父が書いた自伝を探した。木村氏の部分を転記します

「天下無敵といわれた元日本選手権者の木村政彦氏と、戦時中に戦線の余暇に稽古をしたことがある。このとき木村氏は上官の私に気兼ねをして、投げられてばかりいた。そこで「気合を入れんか!」と言うと、がっしり押さえ込んでいるはずのけさ固めを、片手でいとも簡単にひっくり返され、愕然としたものである。」

・・・片手で跳ね飛ばされたことは事実のようです

 

木村氏の写真= 7月 7日 18時に追加= ブログ書く前から探していた新聞記事、別の物を探していたら出てきた。9年前の記事、よくとってたもんだ   

 

自伝は、タイトルでネット検索したら、古本屋で1000円で売っていました。親父の名前(私のことも)がわかるので、本の表紙写真は7/7 18:00にカットしました 

コメント (3)
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