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奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

天蓋山 No210 0529

2021-05-31 16:03:13 | 山登り

天蓋山 1527m 1/5万[有峰湖)

2021年 5月29日~30日、同行2人 

 天蓋山は、以前「ぎふ百山」をやっているS氏と2018年3月17日に桑崎山に登ったときに通過(※)したところで、その時以来登りたいと思っていた山。ガイド本では片道2時間の優しい山、病み上がりの私には丁度いい、ナビで調べると我が家から片道200キロメートル、車運転の好きな私はモリモリ村で買った春日樫炭と吉田ハムの飛騨牛その他一式を車に積み、早朝出発する

 行程、時間等は以下のとおり

では登山コースを写真で紹介します

8:35 登山口発

 

8:47 快適な登山道

 

8:57 快適な登山道、沢の右岸を歩く

 

9:21 親切な看板

10:07 雀平標高1380m

 

11:11 薬師岳(左奧)と北の俣岳

 

11:18 山頂(写真の3人は別グループ)、すべてで登山者15人位でした

 

12:58 登山道の花(その1)

 

13:06 登山道の花(その2)

 

13:17 駐車地着、向こうに夕顔の駅

 

 思ったより、登山口に早く着き、ゆっくり登ってもコースタイムで到着、山頂はどんより途中で雨が、すぐに下山、15時ころの下山予定が13:20登山口着、キャンプ地は予約していたので、そのまま泊まることにした

 受付で近くに風呂はないかと聞くと、割石温泉が近いと紹介され行く

 

14:11 温泉着

 

その由来

 

いい湯でした

 

☆ 夕顔の駅のおばさんの言い方では、近くても温泉は10キロメートル以内位と思ったが、走ると夕顔の駅から27キロも離れていた。行ってみると、桑崎山の帰りにS氏と入った湯でした

 

16:41 少し早いが、炭を熾して、肉炙って食って、缶ビール2本と焼酎1合で18時に就寝・・・ まだ外は明るい・・

 

泊ったキャンプ地、左炊事場、コテージ、バンガロー、テント場となんでもあり(写真はバンガロー(小)が3500円)。別に入場料大人300円(すべて税別)

 翌朝、高山市内を散歩して、豆天狗の中華そば食って、土産に塩せんべい買って、揖斐に戻りました

※ 桑崎山に登ったと時の駐車地はここより1キロほど北(山吹峠よりの除雪が終わったところ)でした

 

☆ 今日の反省

・夜のバーべキューは、6人位いないと盛り上がらない?

・久々のキャンプ、たわしは持って行ったが食器を洗うスポンジと洗剤を忘れた

・只今、ぎふ百山は94座ほど登っている。あと少し?、イエイエ「ぎひ百山」は124座あるのです

 

☆ 天蓋山

 岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町山之村)に聳える名山。山名は、山容が仏像の上をかざす絹笠である天蓋に似ていることに由来するといわれる(新日本山岳誌)←←← 思えば、この新日本山岳誌は桑崎山に同行したS氏にもらったものでした

 

☆ まだまだ勉強中

 

・門入出身のIさんは「食べた」と云ったが、ここでは「食用にならない」と書いてある

・ヤマナシと金箔細工の関係については、6月に、明治15年申請の杉原道開設絵図(徳山村史p773)とともに県立図書館で調べてきます

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滝谷山 ほか No209 0525

2021-05-26 02:44:43 | 山登り

滝谷山 398.1m 1/2.5万地図[岐阜8-1]

2021年 5月25日(火)

 2月に痛めた左足も大分治り、先週大谷山(356m)に登り(普段の倍の時間かかった)、昨日三輪神社~城台山~揖斐川民俗資料館~神社と90分ほど散歩、今日は今まで(1ヶ月以上寝て暮らした)の鬱憤を晴らすため滝谷山までの散歩に挑戦した。結果、初級程度の山なら登れるとの判断、これからは無理をせず、ゆっくりと安全登山に心掛けます

 

 

 この写真は、大谷山から滝谷山に行く最初のピークから南方面です。大谷山一帯を含む野村の山(大野の友人はそう呼ぶ)は、民地です(途中の看板に書いてあります)。以前、ここで勝手な登山者が道を拓き、赤布をあちこち付けて道を造ったと自慢していました。昨年はなかったこのテープ、大野町役場が財産区の要望かなにかで張ったのでしょうか 

 門入への思い、門入への思いその2では、沢山のコメントを頂きました。皆さんが、門入が大好きだ、ということがわかりました。看板は警告、テープは通行止め、これを跨いでいく人はいないでしょう

 

☆ 余談

 箪笥を整理していると私が22歳、入社した年に作った赤いシャツが出てきました。卓球部のユニフォームでした。背のタグ?にTAKENAKASPORTSGIFUと書いてあります。玉宮町の竹中スポーツでしょう。その近くに今は日野にある楽山荘がありました。間口の狭い店で、シュナイダーの赤いザックを買ったのを覚えています

 黒いシャツは、24歳のとき香港のデパートで買ったカンフーシャツ。当時「燃えよドラゴン」が流行っていたので、ツアーの途中抜け出して買い物しました。デパートのマネキンには「ブルース・リーシャツ」と。香港は治安が悪いので勝手な行動するなと怒られました。ガイドは ”クンフー”と発音していました  ・・物持ちがいいですね

 

愛車1839号、3年と3ヶ月で7万1千キロ走りました、タイヤつるつる、新品に交換、どこでも案内します

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小秀山 No208 0525

2021-05-25 05:47:26 | 山登り

小秀山 1982m 1/5万地図[加子母]

2021年 5月25日(火)

登った日 5月23日(日)

大垣5:30=王滝登山口8:20ー10:10(山頂食事)11:00ー下山駐車場13:00=大垣16:00天気よく最高

 奧揖斐山荘登山部の 4人が23日小秀山に登り、そのコースタイムが届きましたので、以前私が撮った写真とともにそのコースを紹介します(私は今回も欠席)

 小秀山は山の西麗にある岐阜県側乙女谷から登るのが一般的ですが、今日のCL、SLは何度も登っているので、簡単に登れる王滝村白巣峠北からのコースにアタック

 

このコース図の時間は2020年12月12日に私が登ったタイムです

 

9:04 登山口にある案内

 

9:42 小秀山みゆ

 

10:33 雪現れる

 

10:53 登山道は赤布だらけ(写真では見えにくい?)

 

11:06 9合目

 

11:17 山頂から御嶽山

 

11:17 山頂看板と登山者

 

11:38 東丸の粉末出汁でなべ焼きうどん+ベーコンエッグ、フラスコの中は・・、鍋のシールは「夏山をなめたらアカン」と書いてある

 

12:13 山頂の案内板

 

下りに見つけた看板

 

13:36 下りの景色

 

ユニークな看板(634mはこの地点の標高とスカイツリーの高さ?を書いている  

 

☆ 僕のコースタイムは、登り2:20かかっているが、今回の4人1:50で登っている、私はゆっくり写真を撮りながら上ったことにしましょう 奧揖斐登山部、次回は6月中旬、揖斐の烏帽子山に沢でアタック予定、私の足が治れば私も参加します

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門入への思いその2 他 No207 0524

2021-05-24 18:47:17 | 奥揖斐の歴史など

門入への思い その2 、山梨の皮、ほか

2021年 5月24日(月)

☆ 5月21日、門入への思い、という記事を書くと、私ブログ中最大、いいね、続き希望、コメントと沢山の反応を頂いた。といって明確な回答が書けないのが残念、文章の行間を読んでご理解ください

☆ 本題に入る前に、昨年7月31日に書いた(ホハレ峠3-2)の一節を再度掲載します

 今日は、Iさんが書かれた、門入おこし協力隊メモの「はじめに」を紹介します
 Iさんの門入への想いが、皆さんに伝わるハズです

 徳山(岐阜県揖斐郡徳山村)には八つの(※1)があり、西谷の奥の奥、門入村(昔の門入)は他のとはほとんど交流はなかった。坂内村や木之本方面との交流が多く、門入からホハレ峠越えの道が唯一生活歩道であった



門入集落(1955年~昭和30年代)



 1963年(昭和38年)八幡神社竣工式での餅まき風景、落ちてくる餅が流れて写っている

 日本一素晴らしい徳山ダムができて、きれいな水を流し続けてくれる門入の自然とホハレ歩道は先祖代々からの見事な形見で何時来ても幾回来ても変わった喜びと夢を与えてくれる
 行き来する度びホハレお地蔵様に野花一輪をお供えしお参りする。力と勇気を与えてもらい、下り坂を一足一足昔を忍びながら進むが寂しさも苦も感じない
 時々立ち止まり、周囲を眺めたり昔を振り返ったり、足元の山菜を摘んだりして、ポツンとした小屋に到着する。小屋の内外から周囲を一眺めして一段落し、感謝の気持ちで一杯です。道中摘み取った山菜の夕食が楽しみ。一人で食べるのがもったいない気がする



 黒谷を下り西谷川合流点手前、引隠(0609千回沢山参照)から見た牛尾山(1001牛尾参照)

 昔はこのちっぽけな門入の伝統文化と自然を振り返ってくれる人はいなかったと思われる。日本一の徳山ダムとセットしてもらい、多くの方が年々門入に行きたいとの声が頻繁に聞こえてきます。嬉しいです
 門入の自然は皆んなの共有です。きっと大切にしてくれると思います。協力隊に御苦労かけますが何時までも徳山ダム、門入の自然の道標であってほしいと思います

 この文は「門入起こし協力隊メモ」を作成するにあたり、2017(平成29)年2月門入出身のIさんに書いていただいたものです

※1 徳山村には、揖斐川左岸下流から、本郷(徳山)、櫨原、塚、右岸下流から下開田、上開田、山手、揖斐川支流西谷川を上って、戸入、門入という8つの集落がありました

 

☆ 本日、門入への思い、で書いた「無断立ち入りを固くお断りします」の看板について、Iさんと話してきました。Iさんは冒頭で紹介したように門入を愛されております

Iさん曰く、

1 門入の自然(景色、川の水、山菜etc)は皆のもの、ただ(地に生えた)山菜は地権者のもの、(自分が楽しむ以上の)山菜を採るのはよくないと思う。(そこのところを理解して)” 私は自然を見に来たのだ、と云えばよい ” と言ってIさん私に笑ってありました

2 また、岐阜県に話してこの看板を立てたかどうかがわからない

[門入の山の80パーセントは共有地含めて(ダムで買収された水没地、道路用地etc以外の土地は)公有地化で岐阜県が買っている。] とも

3 土地には「赤道(※2)」というものがある。赤道は誰のものではない、私(奧揖斐山荘オーナー)は公図でホハレ歩道に沿って赤道があることを確認していないが、Iさんはホハレ歩道には赤道が沿っているのでそこを歩けと言いたかったのか?

※2 赤道とは、公図上で地番が記載されていない土地(無籍地)の一つで、道路であった土地をいう。公図にある赤い色の線がそれ。幅は3尺(約90㎝、肩幅+α)が一般的と私は思っている

 

☆ 結論

・看板に無断・・と書いてあるので、私はこの1年、しばし静観しようと思っています。この看板を見て登山者含む一般の人たちがどのような行動をとるのか、が今後の共有地権者との解決の糸口と思います → 誰も見ていない、は絶体禁物、門入には冬場以外人がいます

・Iさんみたい(見出しの文章でわかるように)に、門入の自然を見に来てほしい人もいます。どうしても入山されるなら、絶対に釣り竿は持たず、門入の自然を見ることのみにしてほしいものです

 以上は私の結論、Iさん、管理会長さんと相談したものではありません

 

☆ その他

・コメントで道路工事で入山禁止という意の表現がありましたが、工事は現在実施していません

・最近(この2~3年)、何時、どこで、誰が山に入って魚を釣ったか、私は10人位知っています。釣った人(根洞谷へ)、釣ってその魚を食べた人(不動山登山でテント泊)らが自慢したりするからです。もう魚釣りはやめましょうね

・徳山ダムが建設される平成11年ころ、トラスト運動と言って徳山村徳山(本郷)の共有の権利(1筆の一部)を100人位が買い、その100人が反対運動をしていた時期がありました。門入黒谷で山菜採りをしていた人にIさんが話しかけると、私はここの共有地権者だと言ったそう。いくら愛知県〇〇市の人でも自分が買った土地、本郷と門入を間違う訳ないよね(笑い)→ 嘘はいけないと注意したそう   

 

☆ 山梨の皮

 Iさん、山梨の木そのものが門入にはなかなかない。姫りんごの大きさくらいの実がなって、霜が何回か下りないと酸っぱくて食べれない。木(材質)は重たく餅つきの杵に最高と親父が言っていた、と。金箔細工にどう使うかについては、わからないというでした

 

木に登る熊

昨日(5/23)、13:20頃撮影

 揖斐川町鶴見(藤橋城がある周辺)、花房山へ行く揖斐川を渡るどんどん橋の手前で熊を見ました。カメラを取りに行く間、一旦見失いましたが、すぐ横の木の枝が揺れているので、よく見ると、熊が5メートルほど登っていました。望遠レンズ(1000mm相当)で撮影。2歳くらいの熊ですか!、花房山へ行くとき、単独行動はやめましょう

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門入への思い No206 0521

2021-05-21 09:49:48 | 奥揖斐の歴史など

門入への思い

2021年 5月21日(金)

 私は、門入が大好き、奧揖斐山荘は門入(イメージ)に建っています

 ブログ奧揖斐山荘、今朝の人気記事1位=ホハレ峠3-1、2位=徳山小話(杉原道)、3位=ホハレ峠3-2、4位=ホハレ峠3-3、5位=門入沢歩き。と、5位まで徳山のこと、うれしいです

 私の尊敬する門入出身のIさん、平成12(2000)年~3年間、仕事でお付き合いしました。当時門入共有財産管理会の会長をされていましたがその3年間は仕事だけの付き合いでした。私が2012年退職して揖斐に戻っていますとIさんの提案で門入おこし協力隊を結成するということで私も参加しました(2015年)。文献にない徳山、門入の歴史・風俗などを残したい、というのがIさんの趣旨で、ある団体(※)が主に、役場の職員、新聞記者(2社)、最後は門入に来る登山者まで協力隊活動に参加しました(2017年協力隊メモ・ページ数56の小冊子は私が作成)。そんな付き合いでIさんを尊敬することに

 ブログ、ホハレ峠3-1~3-3に書いていますが、メモ完成(2017年)までに10回ほど門入に泊まりましたが、その後も年3~5回泊まって、Iさんとの交流を図っています・・そんな中

写真ー1 復元された観音様(2019年 5月19日撮影) 

 今年も門入のIさんの小屋に泊まりに行こうと、19日ホハレ峠までの林道の下見に行きました。昔からあった地蔵様はなくなり、後任?の観音様が復元されたのを確認し、車から降りると真新しい看板が立っていました

写真ー2 門入への歩道入口に看板が、よく見ると

写真ー3 赤い字で「無断立ち入りを固くお断りします」と書いてあります

 

・無断とは、誰に相談すればよいのでしょう(上記Iさんはすでに管理会会長を引退されてある)

・もう(門入の)山には入ってくれるな、ということでしょうね

 

★ 我ら登山者は何をしたのでしょう、そう

1 採捕禁止の看板(写真ー4)は知ってたのに、釣り竿持って、アマゴ、イワナ釣って、焚火して串焼(※2)あるいはフライパンでバター焼きして食べ、金ヶ丸にテント張って(2010.8)翌日、三周ヶ岳に登って帰った、など

2 登山者以外でも、魚(アマゴ・イワナ)釣ったり、山菜(ウド、山葵など)採って、持って帰る。今は黒谷沿い山葵ほとんどなくなった

 昔(2007年ころ)、門入の人達は、僕らが山葵採ってても笑って許してくれた。今は根こそぎ持って行く人が多くなった。採り方にもルールがあることを忘れている。これでは管理会の人が怒るのは仕方ない

 

☆ 門入への思い

  これから、不動山、千回沢山、蕎麦粒山などホハレ峠から山に行く登山者の方、この看板見てどうされます?

・ 私は引退されてあるIさんと相談して今年の入山を決めたいと思っています

・ 会則を作っているような品のある山岳会は入山遠慮するのでしょうね!!、慎重な行動をお願いしたいです

 

※1 起し隊結成時は賛同された団体、今は消極的、で、団体名は伏せました

※2 門入(金ヶ丸谷、励谷)でアマゴの串焼にかじり付く会員数名の顔写真を持っていますが調理人は私、私も同罪です(以前私が入っていた山岳会の会山行、個人山行にて!)

写真ー4 期間更新はされていませんが、この看板は以前から今もあります(2021年5月19日撮影)

 

写真ー5 いっぷく (-。-)y-゜゜゜(どこ?)

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