こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
私は高所恐怖症で、建物の4階が限界でそれよりも高いところには行けないです。ジェットコースターなどにも乗れないため、そういう場所に行ったこともほとんどありません。「なんで怖い目に合うために、お金を払わなければならないんだ(笑)」と思ってしまいます。飛行機なんてものは絶望的で、20年前にオーストラリアに行こうと決意したときには、飛行機に乗る前に家族や友人に電話をして「今までありがとうな」と別れの挨拶をしてから旅立ったほどです。飛行機にはそれ以来乗っていません。
こういった高所恐怖症など、特に珍しいものでもないですし(私はひどすぎますが)、閉所や暗所など何か苦手とする場所があるのが普通なのかなと思います。
私の高所恐怖症は、自分なりに分析したところ、それは死の恐怖からきていると思われます。というのも、おそらく落ちても死なないだろうと感じている4階までは大丈夫で、これ以上だったらヤバいなと感じる高さから怖くなっているからです。私のように死と結びつけることによって怖いと感じる人もいるでしょうし、そうではない人もいるでしょうが、何かを怖れているんでしょうね。
暗い場所が苦手なというのもよく聞きます。私も子どものときは、自分の家であっても、夜だれもいない2階に行くことができませんでした。電気がついていれば大丈夫なんですが、真っ暗な闇に向かって階段を上ることがどうしてもできませんでした。暗い場所が苦手な人は何を怖れているのでしょうか。幽霊などの霊的なものであったり、もっと単純に見えないということが怖いと感じる人もいるでしょう。確かに見えないというのは、不便ですし、そこに何があるのかわからないという怖さはありますね。
自分の部屋など、慣れている場所が真っ暗であっても、だいたい何がどこにあるかは把握していますので安心ですが、知らない場所で真っ暗だったら怖くなります。目隠しされて、ある場所に連れて行かれたとし、目隠しを外された所が真っ暗で何も見えないとしたらどうですか? 私なら1歩も動けないと思います。「ここは安全な場所だよ」と言われていても、「もしかしたらこの先には崖があるかも」と思うと踏み出す勇気がでないです。ですが、手を伸ばした先に壁があることが確認できると、一気に安心できますよね。「ここは壁があるから落ちない。こっちも壁があるから安心」というように、たとえ目ではっきり見えなくても、手で壁があることを確認でき、その場所が危険な場所ではないと気づくことで人は前に進めます。
不登校の子どもたちの多くは、こういった暗い場所にいます。どの方向に進めば危険ではなく安全なのか、ほとんど見えていません。無気力であったり、甘えたりしてるわけではないのです。通っていた学校に戻る道が安全なのか、高校や大学受験する道の先には崖はないのか、それが不安なのです。「動くと危険だから、動かず立ち止まっていよう」そう考えている子どもはたくさんいます。
ですから、そのような状態で無理に手を引っ張っても危険を感じてしまいますので、強く反発します。
私たちがまずしなければいけないことは、「君の今立っている場所だけではなく、これから進んでいく道は安全なんだ」と教えることです。はっきりと見えていない子どもに、壁があることを感じてもらい、安心してもらうことです。
本当は、どの方向の道にも崖なんてありません。仮に崖があったとしても、しっかり壁があるから落ちないようになっています。その壁に気づいてもらうためには、道はいくつもあり、どの道もしっかり舗装されてしかも広い道であることを伝えることが必要です。綱渡りのような細い道を歩いていくのではないことを実感できれば、安心して進むことができます。無理やり大人の考えを押し付けて、強引に1本の道に連れ戻すのではなく、いろんな選択ができることを示し、安心感を与えてあげることが彼らと向き合うことであり、そうすることできっと彼らは自分の意志でまた歩き始めるはずです。
ONE-SのHP
私は高所恐怖症で、建物の4階が限界でそれよりも高いところには行けないです。ジェットコースターなどにも乗れないため、そういう場所に行ったこともほとんどありません。「なんで怖い目に合うために、お金を払わなければならないんだ(笑)」と思ってしまいます。飛行機なんてものは絶望的で、20年前にオーストラリアに行こうと決意したときには、飛行機に乗る前に家族や友人に電話をして「今までありがとうな」と別れの挨拶をしてから旅立ったほどです。飛行機にはそれ以来乗っていません。
こういった高所恐怖症など、特に珍しいものでもないですし(私はひどすぎますが)、閉所や暗所など何か苦手とする場所があるのが普通なのかなと思います。
私の高所恐怖症は、自分なりに分析したところ、それは死の恐怖からきていると思われます。というのも、おそらく落ちても死なないだろうと感じている4階までは大丈夫で、これ以上だったらヤバいなと感じる高さから怖くなっているからです。私のように死と結びつけることによって怖いと感じる人もいるでしょうし、そうではない人もいるでしょうが、何かを怖れているんでしょうね。
暗い場所が苦手なというのもよく聞きます。私も子どものときは、自分の家であっても、夜だれもいない2階に行くことができませんでした。電気がついていれば大丈夫なんですが、真っ暗な闇に向かって階段を上ることがどうしてもできませんでした。暗い場所が苦手な人は何を怖れているのでしょうか。幽霊などの霊的なものであったり、もっと単純に見えないということが怖いと感じる人もいるでしょう。確かに見えないというのは、不便ですし、そこに何があるのかわからないという怖さはありますね。
自分の部屋など、慣れている場所が真っ暗であっても、だいたい何がどこにあるかは把握していますので安心ですが、知らない場所で真っ暗だったら怖くなります。目隠しされて、ある場所に連れて行かれたとし、目隠しを外された所が真っ暗で何も見えないとしたらどうですか? 私なら1歩も動けないと思います。「ここは安全な場所だよ」と言われていても、「もしかしたらこの先には崖があるかも」と思うと踏み出す勇気がでないです。ですが、手を伸ばした先に壁があることが確認できると、一気に安心できますよね。「ここは壁があるから落ちない。こっちも壁があるから安心」というように、たとえ目ではっきり見えなくても、手で壁があることを確認でき、その場所が危険な場所ではないと気づくことで人は前に進めます。
不登校の子どもたちの多くは、こういった暗い場所にいます。どの方向に進めば危険ではなく安全なのか、ほとんど見えていません。無気力であったり、甘えたりしてるわけではないのです。通っていた学校に戻る道が安全なのか、高校や大学受験する道の先には崖はないのか、それが不安なのです。「動くと危険だから、動かず立ち止まっていよう」そう考えている子どもはたくさんいます。
ですから、そのような状態で無理に手を引っ張っても危険を感じてしまいますので、強く反発します。
私たちがまずしなければいけないことは、「君の今立っている場所だけではなく、これから進んでいく道は安全なんだ」と教えることです。はっきりと見えていない子どもに、壁があることを感じてもらい、安心してもらうことです。
本当は、どの方向の道にも崖なんてありません。仮に崖があったとしても、しっかり壁があるから落ちないようになっています。その壁に気づいてもらうためには、道はいくつもあり、どの道もしっかり舗装されてしかも広い道であることを伝えることが必要です。綱渡りのような細い道を歩いていくのではないことを実感できれば、安心して進むことができます。無理やり大人の考えを押し付けて、強引に1本の道に連れ戻すのではなく、いろんな選択ができることを示し、安心感を与えてあげることが彼らと向き合うことであり、そうすることできっと彼らは自分の意志でまた歩き始めるはずです。
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