丑三つ時に目が覚めたから、というわけでもないのです。
ただ漠然と、人の気配がまったくない自分の部屋で、真夜中に目が覚めたときに感じた恐怖についての話です。
エアコンと冷蔵庫の音がかすかにしていて、あとはなにもない。
そういう状態です。
そんなとき、突然「ああ、こうやってあと何年か過ぎると親も死んで。いよいよ病気にでもなったらそのまま自分も死ぬんだな」と悟ってしまった恐怖。
悟っているのに、怖いと感じるのはおかしい話ですが。まあこの場合の悟は、わかってしまった、というくらいの意味でとらえてください。
年に何回かは体を壊して倒れていますが、ここ数年を振り返ると親が車で出動してくれて病院に運ばれるケースが多いです。
外部の助けという意味では、一度東京都の救急相談に電話をしましたが近所の病院の電話番号を教えてくれただけでした。ちなみにその病院は電話をかけたら受診をやんわりと断られたので、何のための案内だったのか今もって不明です。
歳を取って、いわゆる超常的な恐怖からはすっかり卒業しましたが、今度は何とも味気ない恐怖に駆られたものです。
考えてみると、生きている限りは(生物的な意味で)何かしらの恐怖を感じ続けるようにできているのかもしれませんね。
ただ漠然と、人の気配がまったくない自分の部屋で、真夜中に目が覚めたときに感じた恐怖についての話です。
エアコンと冷蔵庫の音がかすかにしていて、あとはなにもない。
そういう状態です。
そんなとき、突然「ああ、こうやってあと何年か過ぎると親も死んで。いよいよ病気にでもなったらそのまま自分も死ぬんだな」と悟ってしまった恐怖。
悟っているのに、怖いと感じるのはおかしい話ですが。まあこの場合の悟は、わかってしまった、というくらいの意味でとらえてください。
年に何回かは体を壊して倒れていますが、ここ数年を振り返ると親が車で出動してくれて病院に運ばれるケースが多いです。
外部の助けという意味では、一度東京都の救急相談に電話をしましたが近所の病院の電話番号を教えてくれただけでした。ちなみにその病院は電話をかけたら受診をやんわりと断られたので、何のための案内だったのか今もって不明です。
歳を取って、いわゆる超常的な恐怖からはすっかり卒業しましたが、今度は何とも味気ない恐怖に駆られたものです。
考えてみると、生きている限りは(生物的な意味で)何かしらの恐怖を感じ続けるようにできているのかもしれませんね。