今日は大晦日。
昔だったら、大晦日だよドラえもんがみたくて仕方がなかった日。
こたつに入って、まどろんだり起きたりの繰り返しで、行く年来る年をみて、年越しそばを食べる日。
そんで、翌朝には年賀状が何枚きているかなぁ、などとどきどきしながらポストをチェックする日。
そんな圧縮された時間だったはずの年末年始も、今となってはただの日常に成り下がってしまった。
帰るべき、田舎の消滅。
ともに過ごす、友人らはそれぞれの家庭を持ち。
気がつけば、百平方メートルに一人。という状況。
今後、十年、二十年生きるとして、その間どのように過ごすべきか、そろそろ方針転換をしなければならないようです。
来年は、職場も変わりますし。もしかしたら、書籍として本屋さんに松浦の本が並ぶかもしれません。
どちらにしても、二月末までにはおおかたの見通しは立つでしょう。
桜の咲く頃。
笑っていられるといいですね。
あの空気には、晴れやかな気持ちが似合います。
最後になりましたが、今年一年このブログを読み続けてくださった皆様、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
昔だったら、大晦日だよドラえもんがみたくて仕方がなかった日。
こたつに入って、まどろんだり起きたりの繰り返しで、行く年来る年をみて、年越しそばを食べる日。
そんで、翌朝には年賀状が何枚きているかなぁ、などとどきどきしながらポストをチェックする日。
そんな圧縮された時間だったはずの年末年始も、今となってはただの日常に成り下がってしまった。
帰るべき、田舎の消滅。
ともに過ごす、友人らはそれぞれの家庭を持ち。
気がつけば、百平方メートルに一人。という状況。
今後、十年、二十年生きるとして、その間どのように過ごすべきか、そろそろ方針転換をしなければならないようです。
来年は、職場も変わりますし。もしかしたら、書籍として本屋さんに松浦の本が並ぶかもしれません。
どちらにしても、二月末までにはおおかたの見通しは立つでしょう。
桜の咲く頃。
笑っていられるといいですね。
あの空気には、晴れやかな気持ちが似合います。
最後になりましたが、今年一年このブログを読み続けてくださった皆様、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。