少し前に聞きかじった話です。
いわく、本物がうけている、と。
それは見た目キレイに整えた、どこかで見たようなものではなく、まさに(ゲームでいえば)制作者の手によって生み出された、その制作過程が伝わるようなもの、ということらしいです。
おそらくこの業界でいえば、AIで作ったような、見た目それっぽいけれど、よくよく見るとどこか魂が存在しないような目をしたキャラクター絵などの対角線上にあるものなのかもしれません。
とはいえ、よその著作権を侵害してるなどというわけでもない限りは、AIだろうが、マーケットリサーチの上に成り立った寄せ集めみたいなものだろうが、偽物とは言えない気がします。
ただ、ここまでゲームも含むデジタルエンタテインメントの数が広がると、受け手側の見る目も否応なしに鍛えられますし、誰でも真似できるタイプのコンテンツは、偽物感が出てしまうのかもしれませんね。
子どもの頃、陶芸家がこねた器よりも、工場から出てきたようなピンと整った皿の方が美しいじゃないかと感じていたことを思い出しました。
陶芸や彫刻の良さが理解できる人は少ないと思いますし、自分もそうです。しかしデジタルエンタテインメントはあまりに身近なところで大量に日々制作されているが故に、歴史が浅いにもかかわらず、もしかしたら本物、を嗅ぎ分ける力を持った受け手が増えてきているのかしれません。
ようやく秋めいてきましたね。でもまだ夏の名残が陽ざしの中に感じられます。しばしばテレビで「鑑定団」を観ます。値打ち物かどうか。その筋の専門家が判定する番組ですね。わたしにしてみれば、少しでもうまく小説を書きたい。その一心でこの十年あまり励んできました。ありきたりでない、その人独自の感受性、それも個性がきわだつ。そんな作品。天才でないと、大願成就ならぬ。そうと知りつつ、日々努力しています。
考えてみれば、鑑定団という番組が成立するのも、たいていの人には、所有者ですらその価値がわからないものの方が多いということなのかもしれませんね。
時々、夢うつつで良いアイディアを思いつくことがありますが、形になることは希です。
そのアイディアが、その時代にうけるかどうかは別にしても、制作者が良いと感じたものを形に出来るかどうかは技量次第。日々の修練を重ねていくしかありませんね。私も頑張ります!