政治家があんまりキレイじゃないっぽいお金を寄付しました。これで脱税の疑いはなかったことに……。
みたいな話を聞いて、ふと「寄付という行為の本質ってなんだろう」と考えたので、その話です。
ちなみに寄付は罰金でもなんでもないので、悪いことをしたのなら寄付しても(例えば、裁判にかけられて外国みたいに社会奉仕せよという判決を受けるように、寄付せよという判決があるとかなら別ですが)許されることは何もないという立場ですが、今日の話は考えたいスポットが違うのでそこは触れません。
寄付というのは、たとえば先日火災から再建されたパリのノートルダム大聖堂なんかもそうですが、その対象となった事業なり、組織が恩恵を受けるものですよね。火災で焼けてしまったノートルダム大聖堂なら、世界にいくつもある宗教のひとつが、ピックアップされて資本を受けられる。
となると、寄付を受ける側の善悪とか、困っているかどうかなど、気分の問題は別にして、社会の限りあるリソースを寄付する人の意志だけで寄付を受ける対象に集める行為であろうと思うわけです。
ここで最初の、政治家があんまりキレイじゃないお金を寄付する行為に戻るのですが、例えば今日、2025/01/08に時事通信社は「自民党が8億円を寄付した」という報道をしていますが、この8億円が例えば議員報酬として議員個人が受け取ったお金を貯めていたもので間違いない、ということが確認出来るのであればセーフだと思うのです。お給料で生活している人が、お小遣いを寄付するのと同じですし。
でも政治家として活動する上で手元にある、色々と雑に混じっているお金を寄付するとなると、今日考えたように寄付がある特定の対象にリソースを移動させる行為だとすれば、これはみそぎ云々ではなくて、この寄付行為そのものがやっていいことではないだろうと思うのです。