お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

the great terracotta army of china's first emperor 兵馬俑 国博

2016-01-10 | 日記

 3日に浅草の正月を見ました。

 これはこれでとてもよかったんですが、なんか忘れているような・・・

 

 そうでした。

 混まないときに是非と思っていた始皇帝の兵馬俑展でした。

 チャリンコですぐに向かいます。

 

 ありゃ~ チケ売り場まだ開いてないんですけどもう列ができてます。

 まだ前の方だから・・とも思うんですが、施設として入場した中も引換券や前売りなんかの会場入場待ちの列ができてるんですよね・・・

 

 

 心配も不要で、イントロから順次比較的余裕を持って見ることができました。

 もちろん、”立ち止まらないでください~” とか何しに来たかわからんような案内もありませんでした。

 

 秦の国姓は嬴(えい)氏。始皇帝の字は政。

 ”二世皇帝は扶蘇。”  始皇帝には、そういう思いがあったと言われますが、表明する前に死去します。

 長男扶蘇は、父始皇帝の政治に諌言したため辺境の地に半ば幽閉されていました。

 辺境に追われる建前は、拠点防衛。 ”秦を滅ぼすものは胡” という予言によるとされます。

 始皇帝と同行していた末子胡亥は、取り巻きとともに遺詔を改竄し、有能で人望もある扶蘇に死を賜ります。

 扶蘇は重臣から偽詔である旨を諭されますが、疑うことこそ不忠と死を受け入れます。

 その他の公子への扱いも推して知るべしですね。

 

 胡亥が引き継いだ秦の苛政に対し、”王侯将相いずくんぞ種あらんや” と陳勝・呉広の乱が勃発します。

 これ自体は平定されてしまうのですが、もはや秦への反抗心は抑えようがないものとなっていきます。

 文字どおり ”胡(亥)” によって秦は滅ぶのです。

 また、胡亥自身も重臣に謀殺されます。 もともと御しやすしとして皇帝に担がれた身だったのでしょう。

 

 有能な扶蘇が皇帝を承継していれば、圧制に直結する大事業はやらなかったでしょうから、この ”army” も存在しなかったかもしれませんね。

 後世の我々はこういうものがあってくれたことに ” (^_^) ” ですが、皮肉なものです。

 

 記念撮影コーナー

 最前部の1名が跪射スタイルの弩弓手、初列軽装歩兵、次列重装歩兵・・・

 これらの作陶は従来からの秦の版図の者、危険な土木作業は被征服地の者という区分があったことが墓誌から明らかだそうです。

 

 実は、もう一枚斜めから撮ったものがありました。

 するとすぐに追いかけられて消去を求められたんですよね。 撮影許可エリア外が写り込んだと・・・

 かなり厳格です。むずいですね。

 

 

 

 一般展(常設展)も覘いて帰ります。

 

 行書かなと思いますが、なんという書体でしょうか。

 美しいです。 こんな書を書いてみたいです。 しかも、これが齢80の作だと・・w(*゜o゜*)w

 

 

 同じく感銘。

 

 

 最近、刀剣に人気があるようです。特に女子。 ガラスへの写り込みも女子です。

 

 

 

 刀剣類はその装飾も見事なものですね。

 

 外国人、特に子連れに受けているようです。

 

 「水滴」です。 凝ってますね~

 

 さ~ お寺ふぁんがお寺に見に行ってる世界です。

 

 密教法具である三鈷杵が本来武具であることがよくわかる造像です。

 

 まさにお相撲さんですね。 西域風でない曲刀を持っています。和刀ですかね

 

 

 舎利宝珠

 

 陽射しもあって思ったほど寒くありません。

 

 新春特別公開だそうです。

 

 浅草本願寺、現東本願寺ですが、富士がよく見えていたんでしょうね。 今はこのあたりからは無理ですね。

 

 当時の美人 ・・・ん~ん・・・

 

 牡丹餅が良く出た備前と志野の名品です。 ”いい仕事”過ぎて触ると危険といったところでしょう。

 さわることもないでしょうが、落としたときの精神状態どうなりますかね・・駅伝に犬をけしかける気分かな~

 

 だいぶ時代が新しくなってきました。 旅はつらし・・

 

 高円宮根付コレクションです。

 

 これはもう食べられますね。 象牙製品なんでもう新たにはできないんでしょうね。

 

 これは展示なんでしょうか? 実用のようですが、展示でもいいくらいになってきました。

 

 

  インバウンドのお客さんです。

 日本の正月を堪能してもらえたでしょうか。

 

 

 

 

 

 よく晴れた一日でした。