お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

Fedora 15 "failed to load session gnome" もんじゅ

2011-06-15 | 日記

 あれ~ なんだか急にgnomeにログインできなくなっちゃいました・・の答がみつかりました。

 ちょっとタイトル違いますけど同じことで解決です。

- switch to command line with ctrl-alt-f2, as above
- su
- yum install gnome-panel
-restart computer

http://forums.fedoraforum.org/showthread.php?t=263693

 

*上記 f2は環境によってはf3~f6だそうです。

 なお、コマンドラインのときはインジケータonでもnumlockはonになっていないようです。

 

 

 今日のもう一点

 数日前「もんじゅ」の動きがあったようですね。

 福島は逐一ニュースになるのに・・・やはりパニック防止で報道禁止になっているんでしょうか?

 知らない方がいいけど、いきなり”臨時ニュース”だけは聞きたくないですね。


fedora15  安土城 観音寺城 そして観音正寺

2011-06-12 | 日記

 fedora15 gnome でgoogleearth文字化け解消! と喜んでいたら今度は gnomeにログインできなくなってしまいました。(failed to load session "gnome")  トホホ・・・

 kdeでもログインできるようにしてあったのでなんとかそれで動いていますが、どうも使いがってが・・・ウィンドウズには近い感覚なんですがね・・・

 

 雨もまだのようだし、観音寺城を見に行ってみます。

   まず、安土城考古博物館に立ち寄ります。

 

 山を見上げます。この山も観音寺城の一部とも言えるでしょう。

左の古民家の中

 寒いだろうな・・・その分家族が暖かそうだ・・って生活も厳しかっただろうけど

 

 本館の展示は、団体さんのボランティアさん? うるさくてゆっくり見てられません。熱心なのはわかるけど・・・(#`Д´)凸

 

 林道を走って繖(きぬがさ)山に登ります。料金所で私の車から”待て!”になってしまいました。上の駐車場がいっぱいのようです。

 外に出て撮ったものです。天気が良ければのどかな麦秋でしょう。正面の山も城跡のようです。このあたりの山という山は当時の軍事施設だったのかもしれませんね。

 

 もうすぐお寺。なぜだかわからないけどねずみだそうです。

 

 風が強いようです。山の上ですからね。

 

 お寺。徒歩だとこの石段を登るようです。

 

 おや・・直刀を差した貴人。

 このお方は昭和人にとって極めてありがたい方。福沢さんより価値が高いような・・

 

 うめが実になっています。

 

 寺からの眺望=観音寺城からのにらみ   

 新幹線が走っています。天気のせいもあってか走行音がよく聞こえます。

 

 たかが300mですが、こういうのって”きけん”なんですよね。 登ったり、降ったりで・・・城跡は上なのにここは一旦下っています。

 

 庭の原型ですかね

 湧水は豊かなようです。籠城大丈夫ですね。

 

 お寺っぽいですね。活花原型?

 こまねこ 歳が行ってばけねこに近くなっているようです。

 

 

 今日は、お城も見にきています。

 400年超の長い時間がうっそうとした森に変えてしまいましたが、このあたりも含めて全山城塞です。

 あちこちに石積 巨石がふんだんにあり、石材には事欠かないようです。

 林道下の畑状平面。 自然地形ではなく、削平したものでしょう。曲輪跡ですね。

 

 しっかりした踏み跡があります。 訪れる人が多いんですね。

 なんという木でしょう。虫の大ご馳走のようです。羽音がぶんぶんいっています。

 

 城域は入りきっていません。

 なんて大々的な山城を作ったものでしょう。 佐々木六角氏おそるべし。

 これだけの城なんですが、信長がキタ~ となったら抗戦せず降参なんですね。

 お城好きの人で大きすぎて手に負えなかったんじゃないかと・・・

 

 この時点で雨降りです。もう少し全容の見える写真をとりたかったんですけどね。

 それにしても、もうこのお寺(=お城)には来たくないですね。駐車料なのか通行料なのかわからないですが、林道は有料(@500)です。問題は有料ではなく、狭さです。退避場所もそこそこあるんですが、”対向車来るなよ”と願いながら走るんですが、来るんですよね・・・たくさん(TT;)

 

 雨の麦秋のなかを帰宅します。

 (奥は瓶割柴田の由来となった城跡の山)

 

 

 

 

 

 

 

 


fedora15 googleearth6の文字化け

2011-06-11 | 日記

 たまに家でボサッとするのも”吉”でした。

 

 googleearth6 の文字化け(表示されない)が解決できました。

 

 fontのインストールだけで済みました。fedora-forumsを参考にしましたが、再度見つけることができずにいます。

 ”玉に瑕”状態だったので得した気分です。(^^)

 

 インストールするフォント

(「ソフトウェアの追加/削除」から)

    cjk uni- ukai-fonts

   japanese-bitmap-fonts

 

 あっ! 西武vs阪神 阪神2点先制・・・

 

 

 

 

 


雨 退屈

2011-06-11 | 日記

 朝から雨です。

 明日も雨のようです。

 今日、明日のどちらかで播州の雪彦山か江州の観音寺城址を見にいきたいと思っていたのですが・・・残念です(´-ω-`)

 家にいてもつまんないし・・・

 

 ~たく・・・

 上限1000円も終わろうかとしている貴重な土日に・・・

 

 しかし、1000円全廃ということにしかできなかったのでしょうかo(`^´*)?

 ある程度の行楽客の減は見込まれているんでしょうが、パタッというのはないんでしょうかね? あっちからもこっちからも”客がこないよ(T T)” とならないことを祈るばかりです。

 パソコンでもいじって過ごそうっと・・・


緑の大池寺 千草越え 永源寺 石榑峠道路 

2011-06-04 | 日記

 明日6月5日は雨のようです。 今日出かけます。

 湖南 大池寺小堀遠州の作庭を見ます。

 堀切になっています。ここの森はささやいているのです。よく見ると地下水がしずくになって落ちる音なんですね。天然の水琴窟です。

 

見えました。

 

 琵琶湖を象っているそうです。

 お寺自体がこの池に浮かんだ感じです。はすが咲いています。

 

 水琴窟がありました。

 

 お庭を見せてもらいます。

 赤が映えています。

 一幅の絵というところですね。

 

 茶室は青。

 

 樹齢350年だそうです。

こんにゃく? まむしぐさ?

 

 見送ってもらいます。

 屋根には火除けのため水にちなむ物を揚げるようですが、こんなに直接的な物はどうなんでしょう? 珍しい?

 大池寺を後にします。

 

 

 永源寺へは国道421号を行きます。八風(はっぷう)街道という古くからの街道に沿うようです。今も通称となっているようです。
 また、街道の八風峠は、徒歩越えであり、このルート上には無いようです。

 道すがら甲津畑に向かいます。
 甲津畑は、千草越えの近江側の入り口になるところです。
 寄り道です。良く言えば探究心旺盛、正直に言えばやじうま心がひんひん言ってききません。

 この山なみのどこかを越えるんでしょう。 田植えも終わってのどかです。

 だけどナビの案内でこのまま進んだら、道が細くなってしまいました。 山の口のところはコーンで半分閉ざされています。 ・・・不安の香りいっぱいです・・・ヾ(´゜Д゜`;)ゝ

 田植え機洗っていたおっちゃんに聞いてみます。

 「甲津畑に行きたいんですが・・・?」

 「この道で行けるには行けるんだけど・・・ね~ 信号右に行った方がいいよ。」

 それって戻りだけど、信号なんか近くにあったかな・・・と、どうにか行き着きます。

 城・・といっても砦みたいなのの跡があるとのことですが、まるでわかりません。

 いかにも岩魚とかいそうな渓谷までも行ってみたのですが・・・ この山がルートでしょう。きっと。

 

 千草越え。 織田信長は、”顔を貸せ”と再三京に呼びつけてもこれに応じない朝倉氏を討つため、出兵します。
 しかし、妹の嫁ぎ先である浅井氏が朝倉との同盟関係から出兵、織田軍は挟撃を受けることとなり、必死で京に逃げ帰ります。
 その後、本拠地岐阜に帰還しますが、その際に通ったのが鈴鹿の峰々を越えるルートの一つ、千草越えです。

 ここで事件が起きます。
 善住坊という鉄砲名人が、信長を狙撃したというものです。
 袖をかすめただけで、しくじりました。歴史にifは無いとは言うものの、善住坊が成功していたら現在の歴史の登場人物ががらりと変わってしまうような劇的な大事件だったでしょう。

 信長亡き後はだれが? 武田信玄が天下を取ったとしたらこれも問題、彼もほどなく病死します。
 信玄の天下を前提とすると家康も滅んでいるかもしれません。
 本能寺では、信長後継も同時に死亡し、その謀反人を討ったということで秀吉が一躍出てきましたが、テロリスト一人を討ち取ったとしてもその栄誉は無いでしょう。第一、後継者が存在します。
 後継者(信忠)が成功すれば、秀吉は出番さえ失ってしまったかもしれません。
 逆に織田政権にとっては政権長期化の端緒とも・・、一方まだ群雄も健在、戦国の終わりが見えなくなってしまったかも・・・

 所詮私たちは過ぎた事実を今知るだけのことなんで、後世への影響を知りえない以上、大事件かどうかはそのときはわかりませんね。


 寄り道なんで先へ進みます。

 永源寺到着です。

 きれいな水です。 飲めそうです。

 ・・・建物は便所ですけど。 いまどき”便所”? ってそう書いてあります。

 

 

 山水画のモチーフのようです。

 新緑がいいです。 段数もけっこうあります。

 こんにちわ~

 まだ眠そうです。

 いいですね・・・ 大きさもあります。

 門からの眺めがまるで絵のようです。

枯山水を曲がると方丈でした。

 ”こんにゃくのさしみも少し梅の花” どんな句なんでしょうか?

 

  

 緑がまぶしい・・

 草を抜いて花は残す。 手入れもむずかしいんでしょうね。

 これもひとつの”禅”なんでしょう・・・

 結構山深いです。

 

 食事にします。「ふるさと」というドライブイン風の店でした。

 あまり期待してなかったんですが、うんうん・・てんぷらうみゃい・・・

 これで帰路ですが、八風街道の石榑(いしぐれ)峠道路が開通しているということなので通ってみることにします。
 またもうまがひんひん言います。

 今年の3月26日開通、国道建設事務所のホームページに取材の申し込みは3月11日までとなっています。
 もともと大きなニュースにはならないと思いますが、それにしてもこの時期ではね・・・

 国道421号は”酷道”として超有名らしいです。そこを通らなくても三重に抜けられるようになったということです。そういえば永源寺にも東海ナンバーが多かったです。

 三重、名古屋、岐阜・・・鈴鹿というのもあるんですね・・・

 

 酷道部分も残るということで多少覚悟して行きましたが、1.5車線が少しあるだけで渓谷美を眺めながらの快適な道路でした。 一人なんで写真はありません。 ライダーやチャリダーが多いですね。


 時折、にょろにょろ道路が見えます。 対向車に怯えながら走る幅ですね・・・

 これだと走れません。


 かつての近江商人だったらどう思うでしょう?

 他国の商人が”この山(鈴鹿山脈)さえなけりゃ商売楽なのにな” と言ったら、”この山があるからこそ、われわれ山越え商人が商売できる。ありがたいことだ。” と言ったそうな。

 便利になったものです。

 帰路は、桑名まで抜けて東名阪、新名神と走りました。 しかし、まー深い山に道を通したもんだ! と関心しました。

 

永源寺の新緑