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尾鷲と海山とを結ぶ標高332メートルの馬越峠はツヅラト峠と同じように,伊勢神宮と熊野三山とを結ぶ信仰の道として多くの巡礼者が往来してきた峠道だ.尾鷲側の登り口前にある駐車場にオートバイを停めて,峠を目指して歩ていく.
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まだ朝が早いため,辺りは静まり返っている.シダや尾鷲ヒノキの緑がまだ覚め切らない目に優しく映る.幽玄という言葉がぴったりな雰囲気で,山伏あるいは天狗が現れてもおかしくないような感じがした.この雰囲気を味わえるだけで,来た甲斐があったというものだ.
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それにしても,序盤から急勾配の道が続く.早朝のため肌寒く,汗をかくほどではないが,息がきれてくる.そんな時はまわりの景色を写真に撮ることにしている.踊るようなシダの葉が本当に美しい.そして,写真を数枚も撮れば,あがった息はすでに落ち着ている.
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馬越峠の特徴は,何と言ってもごつごつとした大きな石畳の道だ.降水量がかなり多い尾鷲において,路面の流出や崩落,シダなどの繁茂を防ぐためには石畳がなくてはならない.この石畳は遅くとも十七世紀前半に紀州藩の街道整備によって敷かれたものだと推定されている.
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道中には唯一,桜地蔵と言うレンガ造りの御堂の地蔵尊がある.レンガ造りということで,明治時代の香りも残っている気がした.今は面影もないが,この地蔵尊の周りには桜が咲き乱れ,尾鷲の名所だったという.地蔵尊の前には水がちろちろと流れている.かつて,旅人たちはここで桜を見ては,喉を潤したと言われている.
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そして,歩き続けてしばらく経つと,まわりの雰囲気が徐々に明るくなってくる.かなり登ってきたようで,峠が近いことを悟る.ごつごつとした石畳はおな続き,樹木の根が露になった豪快な切り通しのような道が連続する.
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ようやく尾根筋に近いところまで登ってきたようで,鬱蒼と生い茂る樹木の向こう側には,朝日で淡いオレンジ色に染まる空とまだ青白い海がちらちらと垣間見えた.峠はどのような景色になっているのか,気持ちが高ぶっていく.
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そして,無事に馬越峠までたどり着く.峠は樹木で覆われ薄暗い.すぐ目に付くのは,可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑だ.近江国の俳諧師,桃乙は旅の途中で尾鷲地方に滞在し,地元の人たちに俳句の指導をしたという.嘉永7年(1854年),弟子たちが桃乙を偲んで,この句碑を建てたそうだ.句碑には次のように刻まれている.
夜は花の上に音あり山の水
桃乙
桃乙
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かつて,峠には馬越茶屋があったという.茶屋の主が祀った地蔵尊には享保8年(1723年)の銘があり,それから明治中頃まで多くの巡礼者や旅人をもてなしたと言われている.今は何も残っていなくて,桃乙の句碑と木製のベンチが何個かあるだけの暗く寂しい峠になっている.
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峠からの展望はあまりよくないが,尾鷲市街と西国第一の難所と言われた標高627メートルの八鬼山とを望遠することができる.尾鷲の上空には,きれいな青空が広がり始めていた.
ところで今回,馬越峠に来た理由は他にもある.馬越峠から続く,天狗倉山に行くことだ.さて,休憩もそこそこに出発することにしよう.
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