おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います

2024-05-18 14:11:56 | 徹子の部屋出演者

gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。

gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。

昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。

最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。
人が発する言葉が、時に耐えがたいほど軽くなっている、とのご感想。その尻馬に乗って、私が算成文を書いているのは笑止のことですが。

人間は、考えるという動作は、言葉で行うものだと思うのです。言葉がなければ考えられないと思うのです。その言葉全体が、どうにも、怖くなるほど軽いとおっしゃるのです。たしかに「すごい」「無茶苦茶」だけでは考えるところまではたどり着けない気がします。

折々のことばと匹敵するほど、よく見るテレビ番組に「徹子の部屋」があります。お名前を忘れましたが、女優さんでした。最近お子様を出産なされ、子育てに奮闘。周囲の理解もあって新しく女優の道を再び歩み始めたと言っておられました。

その方がつくづく言っておられました。「子供が、びっくりするほどのスピードで、言葉を覚えるのです。私が自分の言葉に気をつけていないと、ついつい若い方々の今風言葉が混じってしまうのです。子供はこれを本当に素早く取り込みます。私は、半分出掛かった口を押さえるようにして話すことたびたびです」と。

そうなんですよね。若者中心で、流行のものが蔓延するのは仕方がないともいえるし、もしかしたら、言葉の発展の一過程かも知れないのです。でもそれに年長のものがへつらって、自分の言葉を捨ててしまって迎合してはいけないと思うのです。時代時代に生きた言葉があるのは当然のこと。自分の言葉を発して日本語を守りましょうよ。お若い方も、流行に乗ることばかりが、かっこいいのではなく、時には怒りさえ買うこともあるのだと知って、考えてみてください。

 


僕を導いた言葉・・・清塚 信哉

2024-03-21 16:44:15 | 徹子の部屋出演者

家にいる時は「徹子の部屋」は必ずと言っていいほど見ます。いろいろな人生を歩んだ人が呼ばれて出演します。それぞれが聞く価値のある人生修行者で、教えられます。

2・3日前、出演者はピアノ演奏家の清塚信也さんでした。お母様の勧めでピアノを習いだしたようですが、それはそれは厳しい母親であったようです。子供の健康を心配するより「倒れるまで寝るな倒れるまで練習せよ」という母だったとのことです。
氏には二人のお子さんがいらっしゃるようですが、二人にはピアノはやらせていない、あれだけ厳しい練習をしなければならないものを、子どもにやれとは言いたくないと。

そうなんですよね。一流のプロになる人はみな、こんな思いを乗り越えられた人なんですよね、と思うことでした。

歩んだ道で、ありがたい人だった、あの人のおかげでここまで来られたと思う人がいますと。16歳の時、奨学金の給付を受けることができるというオーディションを受けたことがありました。若くて生意気だったのですね。審査長の人と口論をやってしまいました。勿論不合格しょんぼりしている僕の所へ来て声を掛けてくださった方がいらっしゃったのです。
徳永二男さんでした。
「僕は君の考え方好きだよ。くじけずやりなさい」と励ましてくださったのです。
この言葉が僕を導てくれました。この言葉がなければここまで来られなかったと思います。僕の人生は違ったものになったと思います。

僕だけの糧になったのではありません。僕が後輩に接するとき、この徳永さんのこころが影響するのです。温かい励ましの言葉をかけるのです。その気持ちが後輩へ、後輩へ伝わっていくのです。
本当に素晴らしい言葉をかけて頂いたと思っています。と。

言葉には、大変な力があるのですね。


やって止めるか、止めて食べるか

2024-01-27 14:54:04 | 徹子の部屋出演者

つい最近のことです。徹子の部屋に、ひと昔、ふた昔、今の若者から言わせると、昭和の人という人が再放送されていました。「入江たか子」という女優さんです。私が、文化から遠い、田舎で育ったからか、生活に余裕がなく、映画など見に行かなかったからか、近い時代を生きた人なのに、よく知らない女優さんでした。

何でも高貴なお生まれの方のようですが、子供を抱えて苦労もなさった人のようです。仕事のためならと、少しも自分を卑下することなく、化け猫役もなさり、それを「苦労とは思わなかった」とおっしゃっていました

今日の話に関係ありませんが、私が結婚して、今の場所に住み始めた時、最寄りの電車の駅の北側、小高いところに新しいお家が建っていました。線路が南側ですから、とても日当たりがよく、立派な家に見えました。夫が「化け猫役の入江たか子の家だよと」教えてくれたのでした。

さて本題。徹子さんが、今でも芸に関心がおありですか。いつまでもお綺麗でうらやましく思います。生活には気を付けていらっしゃるのでしょうね。どんな生活をしていらっしゃるのかしら?と質問しますと、「ごく平凡な、化粧も最低のものですよ。規則正しい生活は心がけているかしら」。「睡眠はしっかりとります。夕方早くご飯をいただいて、用がなければ8時には。用があれば夜更かしもしますよ。」「あら、そんなに早くご飯を頂いたら、また甘いものなど摘まみたくなりません?」「いいえ、もう習慣になっているのでしょうか、特には、それに歯を磨いてしまうこと!!磨いちゃったらもう、また食べて磨くは億劫でしょう」
「そうですね。その習慣をつけるまでがね。私は頂いてしまいますよ。もう一度磨かなくてはいけなくても、それを振り切って」「まあ、おほほほ」

こんな些細なことで,それぞれの歩む道が決まっていくのですね。徹子さんがしみじみと。

 

 


医者の言葉・・・阿川佐和子・徹子の部屋

2024-01-13 13:05:02 | 徹子の部屋出演者

つい先日、阿川さんのことは「さ・し・す・せ・そ」で書きましたが、同じ出演で、もう一つ私の記憶に刻まれた言葉がありました。今週はこの言葉で笑って(もしかしたら寂しいことかもしれませんが)閉めましょう。

佐和子さんの父上は猛烈な怒り爆発人物だったようです。父上亡き後、佐和子さんがその思い出話を書かれて、私も読んでブログに書きましたけれど、その爆発ぶりはなかなかのものでした。妻である佐和子さんの母上は、結婚してすぐ「お前は着物が似合う、というか、しか似合わない、俺の前では着物で過ごせ。洋服は許さん」と命じられ、佐和子さんの記憶では、守り通した人だったようです。

93歳まで生きて、天寿を全うされたのだそうです。晩年は、認知症を患われ、佐和子さんは病院に付き添うことがあったようです。その病院での話です。
医者は母上がそのまま無事に長生きをなさるように、さんざん日常生活のいろいろを注意なさったのだそうです。佐和子さんは、「先生、母はもう93歳まで生きました。頑張って元気に生きています。これ以上仰る我慢をして不満を抱えながら生きるのでしょうか」と。
医者は、カルテを見て「はあぁぁぁぁ、93歳。よく頑張っていらっしゃいます。食事もちゃんと摂っていらっしゃる、えらい!毎日を満足して機嫌よくしていらっしゃることこそ花丸です。無理な我慢をして、不満足でしかめっ面をしているよりこれは立派なことです。この調子で愉快にやりましょう!!」とおっしゃったのだそうです。

ここからわが夫のことになりますが、先日、老人の精神科に連れて行きました。検査の結果、少し結果が進んだものになっています。薬を増やしましょうか」などとのご相談です。夫は今でも内科の方でかなりの種類の薬を飲んでいる、あまり飲みたくはないと嫌がったようでした。医者、カルテを見て、「ああ、90歳なのですね。90になってこの程度なら上等でしょう。いやなものは嫌ですよねえ。今までどおりをもう少し続けましょうか、それでいいと思いますよ」。夫も納得したようです。医者は続けて言いました。「リハビリはちゃんと行っていますか。ああ行ってるのね。それは薬を飲むより有効です。これは続けましょうね」と、無罪放免になったことでした。

夫に死んでしまえとは言いませんが、医学の進歩だか何だか、分かりませんが、人間少し生き過ぎているのではないかしら?とちょっと思ったことでした。患者本人は、医者の言葉をどう聞いたものやら。


ヨーデル話法・・・タモリさん

2024-01-11 17:03:08 | 徹子の部屋出演者

年末最後の徹子の部屋はタモリと決まっています。彼にかかっては、真面目な話も、笑い話も、広い彼の知識に裏付けられながら、どこかすっとぼけた、思わず笑って許して、心が軽くなる話題になるのです。今回も、自分の売り出しの頃の話、物まね、声帯模写、真似て歌う楽しさ、30分、年末のせわしなさを忘れて笑いました。

終わり近くになって、タモリは面白いことを言いました。
「最近の若者の話し方に僕はヨーデル話法と名付けているのですよ。特に若い男性社員に多いような気がします」「顕著なのは、商品などの売り込みをする社員言葉です」「売り込むべき商品の性能の説明などで顕著です。ここぞという時、急に声が高くなり、早口になるのです。(ここで声帯模写)」「そこがヨーデルに似ていると思うのです。可笑しいほどみんなやるんですよ」

ここから先は、おせっちゃんの一方的な思い込みかもしれない、勝手な話です。もしお気に障る方があっても、笑って許して、スルーしてください。

おせっちゃんは、音楽のことはさっぱり門外漢です。もうこの世に85年生きた婆さんです。もしその85年の間に、学んだことがあっても、それは時代の波に消されそうな古い古い感覚でしょう。

そんなおせっちゃんがタモリのこの説を聞いた時、「あ、解る・・」と思ったのです。

常日頃、最近の若者が夢中になっている歌が、分からないのです。音痴です。自分で歌うことなどできません。そのくせ、歌手が歌っていて音を外すとあれっと外したことが分かるのです。(自分が分かると思い込んでいます)。
そんなおせっちゃんが聴くと、歌のサビの部分で、高音が外れているのです。高音が出ていないのです。それを隠すためか、裏声で誤魔化しているのです。そのようにしか聞こえないのです。折角の歌が、台無しのように聞こえるのです。プロではなく、カラオケで鍛えた歌に点数をつけて、争う番組があります。こういう半プロの出場者には、まだ、サビの歌い上げがマスターできていないのでしょうか、私(素人聴き手)には、うなづけないのでした。

タモリが、ヨーデル歌唱とお笑いの歌にしてしまったのは、おせっちゃんのこの感想と同じだったのではないかと思っているのです。