昨日は木曜日、週1回のパソコン教室の日でした。もう20年近く通い続けた4名のクラスです。
もう何度か書きましたけれど、授業は勿論ですが、合間の質問から始まるあれこれのおしゃべりが無駄なようで、そうではなく、時に授業より老いの道に差し掛かったおばさん(お婆さん?)の宝物になっているのです。
昨日は、音楽コンサートのことから始まって、ドラマや、映画、新旧の俳優さんの動向など、話に花が咲きました。
切っ掛けになった映画の題名も、俳優さんも、私は知らない方でしたが、こんな言葉が盛り上がりをより強くしました。
「○○は、ずいぶん歳をとったけれど、私、今の顔の方が好きだわ」
「そう。歳月が磨いたのよね」
「確かに、真剣に生きた人は顔のしわ一本にも味があり、深みを感じさせ、人に対する温かみを増し、言うに言われぬ魅力をつけていくのよね」
「一人一人の人生行路、華やかな道を行く人があれば、名誉を得た人の陰で、目立たないけれど我が道を厳しく歩む人もあり・・・。でも目立てばいいというものでもないわよね。如何に真剣に生きたかが問われるのかしら」
齢85、真剣に生きたかと問われて、「はい」と胸を張れるようなことも無き人生行路でしたが、とにかく歩んできていることだけで、花丸でしょう!?
おばあさんたちの、思わぬ生き方講座になりましたが、聞いていて、私には一人の漁師さんの顔が思い浮かびました。
夏休みを使って、クラスの生徒の家庭訪問をしていました。列車通学の人も多い、範囲はかなり広いのです。若かった。私は自転車で回っていました。「秋穂」と書いて「あいお」と読む漁村に行きました。ご両親は留守でしたが、おじいさまが相手をしてくださいました。
潮風と、船上の作業とに真っ黒に焼かれたお顔は、今でいう「イケメン」ではないけれどなんとも魅力のある、歩まれた行路が想像できるお顔でした。
お暇しようとすると、「もうじき、夕立が来ますけえ。それを避けてからおいでませ」とのこと。空はカンカン照りの夏空です。夕立?!胸のうちで、馬鹿にしました。
降ってきたのです。まさに、大夕立ちでした。
海と空、大自然を何年も生きてきた人の勘、恐れ入りました。