おせっちゃんの今日2

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ドラえもん

2024-02-29 13:30:38 | 思い出

ブログを休んでいる時のある日、「今日はやけにドラえもん関係の記事が多いなと感じた日がありました。
我が夫婦が漫画に興味を持つ頃は子どもの親にとっては漫画は本の中で一段劣ったもので、子どもには与えるべきではないという意識があったような気がします。経済的にも余裕のないわが家でしたから、漫画を買うということはなく、従って私より年上の兄たちが残していった漫画というものもありませんでした。だから、子供を通じてドラえもんが我が家を訪問してくれたのが、我が家の漫画事始めだったかもしれません。

わが家で漫画が話題に上る時、決まって登場する一つ話がありました。母の実家の従兄たち、その母親の会話です。漫画に夢中の従兄たちを叱って伯母が注意していた時のことです。やめさせようと説教をしていた伯母が、教育のためにもと少し読んでみたのだそうです。その時図らずも言葉が漏れました。
「マンガはくだらない、詰まらんものと思うちょったけれど、まあ、面白いねえ」だったというのです。

テレビ番組でも、ドラえもんは大人気者になりました。そして今に続いているのですね。

朝日新聞朝刊一面「しつもん!トラえもん」、という小さなコーナーがあります。ほんの2・3行の短文で、毎日いろいろな質問が発せられるのです。答えは朝刊のどこかに書かれているのです。一面で受け取った質問を意識して、答えを探しながら、親子で話ができる妙があります。
それが5000回を迎えたというので、ドラえもんがスター扱いの日だったのです。子供にもわかる、子供が興味を持つような質問ですが、時には大人にも難しい質問もあります。勉強させてもらっています。

私が大学生生活を送った山口市、まだ日本の貧しい時代でした。甘いもの・菓子などは無かったような気がします。ずっと後に同じ研究室の友人にちょっとしたお礼を送りたいと思ったことがありました。さて、彼は何が好きだっただろうか、チョコレート?嫌そんなものはなかったしな。考えてみたら、当時の学生のお喋りには、茶菓子などは無かったのです。親しく付き合った彼でしたが、、菓子の好みは分かりませんでした。

そんな時代でしたが、小さな町のささやかな商店街に、どら焼きを焼いて、温かいうちに売る店があったのです。甘いものに飢えている学生には、高根の花ではありましたが、印象に残っているものでした。山口ではどら焼きのことを「回転焼き」と言っていました。

時代は過ぎて、娘がふるさと山口の方と結婚して暮らし始めました。何かの時、「ああ、米屋町、あそこの、お土産屋さんの店頭で回転焼きやってたのよね」と不意に記憶に浮かんだことを大声で言ったのです。
「ああ、ありますよ~今でもちゃんとありますよ」婿殿の打てば響くの答え。「あら、懐かしい。青春の思い出だわ」「買ってきましょう」。若者は行動が早い。あっという間に求めてきてくれたのでした。

便利ポケットのない人間は、動かなくっちゃ。


こんなこともありました

2024-02-28 15:00:25 | いろいろ

リフォームをしている間に、こんな事件(?)がありました。

時々このブログに登場してくる、妹・らい太の長男はアメリカ・カルフォルニアに暮らしています。向こうで生まれ育った二人の子供(らい太からは孫)は、日本語より英語の方が得意な子どもに育っているようです。

毎年お正月には、家族の写真に、その暮らしぶり、成長ぶりなどを詳しく手紙にして年賀状として送ってくれます。それに対して、私は自作の年賀はがきに一筆添えて送ることにしています。アメリカ式の宛名書きもたどたどの私ですが、今まで日本の年賀はがきに、少々運賃の切手を貼り足してポストに入れるとちゃんと届いたようでした。

それが・・・

2月も半ばだったでしょうか、我が家の郵便受けに見覚えのある自分の賀状が舞い戻ってきていました。あれ・れ・れ・・・

よく見ると当て先の住所の上に下記のような紙が貼ってあるのでした。
「この郵便物は、名あて国から返送理由が表示されず、到着しました。  川崎東郵便局」。

私にわかることは、甥の家に配達されないまま、何らかの理由で、配達不能で送り返されたらしいという事だけです。

何かスパイの極秘のハガキに間違えられたのかしらん。
どなたか送りかえされるわけがお分かりの方、教えてください。

 


こんな言葉も聞きました

2024-02-27 13:35:49 | テレビから

休んでいる間のテレビから、こんな考え方を聴きました。堺 正章さんの言葉です。

物の置き場も生活場所もがらりと様変わりしてしまった家で、職人さんが2時間ほどはここは通れませんよ~、と声を掛けてくるという生活が続きました。ちょうど、気温の変化の激しい時で、私の気象病はかなり重体です。でも、倒れるわけにはいきません。頑張りました。

職人さんが引き揚げたのち、夕ご飯をしたくし、その片付けをしたら、欲も得も無く転寝に落ち込む日々でした。10時を回った頃に、ふっと目が覚めます。テレビはつけっぱなしで、夫も寝込んでしまっています。オヤオヤと消そうとすると、画面には堺正章さんが出ていました。同じバラエティには、何とか坂の女の子たちが出演です。女の子グループのトップの子でしょうか、堺さんに教えを乞うています。
「この生き残りの厳しい芸能界で、ずっと地位を保って人気者でいるためには何が必要なのでしょうか、どうしたら、生きていけるのでしょうか」と尋ねていました。

初めは半分茶化していた境さんも、相手が真面目な尾を見て本気になったようでした。
「簡単なことですよ。トップにならないこと」・・・女の子たち一同、あれ?と不審顔。
「二番手、三番手でいることですよ」・・・私もちょっと不審顔。

人間、トップに立つとどうしても慢心が出るのですよ。慢心は、滅びの始まりです。トップの人が上にいて、自分はまだまだ、こんな点が足りない、こんな点は磨ける。と向上心を持っていてこそ伸びていけるのです。
慢心が生まれての毎日は、自分自身が退屈になってきます。これはただだらだらと現在の世界に籍を置いているばかりです。
トップを目指してして日々努力があってこそですよ。頑張ってね。

 


思わず長くサボってしまいました。

2024-02-26 13:29:29 | 言葉

今日からまたぼつぼつ始めたいと思います。
お見捨てなく、よろしくお願いいたします。

まず小手調べに、日曜日、日経新聞の広告欄で見つけた言葉のご紹介から始めます。相も変わらず、他人の何とかで・・・ですが、お許しください。

『何をやってもうまくいかないと感じた時には、思い出そう。
飛行機は追い風ではなく、向かい風によって離陸することを。』

ヘンリー・フォード・・・フォードモーター・カンパニーの創設者 の言葉だそうです。

彼は、デトロイトで失読症、失敗、破産、と戦いながら、自分の道を突き進んだ人だったようです。

ちなみに、今、失読症をネットで調べました。ご参考までに記します。

「学習障害のひとつで、会話能力にも問題はなく、眼にも異常がないにも関わらず、文字の読み書きや文章を読むのに困難を抱える読字障害。 が言語を処理できないことで症状がおこる。」とありました。

向かい風こそが、飛躍の原動力か!

向かい風と言えば、一つの景色が私の頭には浮かびます。 私は大学4年間を、山口市で暮らしました。 本州の西の端で、おおくのかたが、「九州の方の人なのね。あたたかいところかな?」 とイメージされたかもしれません。 違うのです。 大陸から吹き付ける寒風を遮って、日本海側に雪を降らせ、太平洋側には晴天をもたらす地形。 本州に長々と横たわる山脈は、山口県ではもう低くなって、遮る力は弱くなっています。 冬の間中、ちらちらと小雪の舞う寒々しい冬なのです。 ついでに申しますと、後に私共が暮らした北九州は、山脈は無く玄界灘を渡ってくる寒気に、積雪も度々でした。 イメージとはかなり差があります。

閑話休題。 ある年、ちらちらどころか、下校時間にどっと吹雪が襲ったことがありました。 下宿させてもらっていた母の里は、街の中心からかなり離れたところでした、日暮れも早く、それこそ向かい風に逆らって体を丸めて突き進まなければなりませんでした。

淋しい山道、人にも出会いません。 心細さはかなりのものでした。
でも突き進んでいるうちに、身体のどこかから、力が湧き出てきたのです。 何か歌でも歌い始めようかと思うくらい高揚してきました。 「負けるものか」「もっと吹け・降れ!!」「負けてたまるか」
雪だるまになって、下宿の玄関にたどり着いたのです。

私にとっての向かい風はこんなイメージです。 幸というか、不幸というか、85年の生きてきた道で、貧乏はしましたけれど、打ち負かされるほどの不幸にも会わず暮らしてきましたが、なにかの時はあの時の吹雪に立ち向かった自分を思い起こして進んできました。 この後、閻魔様に裁かれるまで、向かい風に力を尽くしましょう。


しばらくブログお休みします

2024-02-03 15:07:11 | いろいろ

住んでいる家をリフォームすることにしました。いえいえ、横文字で言うほどのことではありません。ほんの修理です。子供たちが大学受験の頃、夫は転勤先の北九州小倉から東京に転勤しました。舅から受けついだ土地を兄弟で分け合てそれぞれが家を建てたのです。それから、40年が経ったのです。新築の家に暮らし始めたという意識は変わらず、生きているうちに家のことで悩むことは無いと思っていましたが、月日はどんどんたつのですね。住人が年寄りになるのと同時に、家も古くなります。あちこちガタが目立ちます。我慢するだけでは切り抜けられないようなのです。どうしようもないところだけ手を入れてみようということになったのです。
いろいろ問題はありましたが、とにかく最小限のリフォームをすることになったのです。

期間中、どこかアパートでも借りてという方法もありますが、夫と二人、工事に引っかからない部屋に逃れ逃れて、切り抜けることにしました。先日来、家具など工事に差しさわりのないように、割れ物などは片づけ、私どもは邪魔にならないように、あちらにこちらに流浪の民になれるように片付けていました。パソコンも同じく動かさなければならないでしょう。

そんなわけで2・3週間お休みいたします。皆さま春まで、お身体ご大切にお過ごしくださいませ。