昼ご飯をいただいて、少し安静にして血圧を測って記録しておかねばならない。月1回主治医の先生に見て頂く表です。その休憩時間に大抵「徹子の部屋」を見るのが私の日課です。
北大路欣也さんのお話
幼少期が戦後だった。敗戦直後の世の中、何年か(それほど長くはない)たって同じところに立った時、「こんなに世の中って発達しちゃうのか」と驚きにも似た感想を持った。
これだけ発達する世の中で、大事にすべきことは、我々が生きていくために先人に教わった、いわば「文法」のようなものを受け継いでいくことだと思った。
世界に誇るべき独特の文化・生き方・知恵が与えられている。自分の仕事はこうした伝統の「文法」への愛情や熱を時代劇を通じて体現し伝えることだと思った。
中島朋子さんのお話
まず北の国からからお話が始まることは言うまでもありません。倉本聰さん、田中邦衛さん・北海道の大自然、その中で俳優としても、人間としても成長していったこと。
珍しい趣味を持っている。「空中ブランコ」。サーカスでおなじみの演技だ。まだ基礎的な演技しかできないけれど。学んでいる。徹子さんの「空中ブランコのどこに惹かれたのですか」にこんなことを答えていました。
「一緒に演技する人との呼吸が合わなければ成功しません。ハイ、の掛け声で飛び出すのですが、掛け声と今だと踏み切る間には瞬間的にではあるがためらいがあり、動作に移すまでのタイムラグがある。ということは現在と過去を生きるということです。その呼吸が面白くて」とおっしゃっていました。
コロッケさん
今日の出演者はコロッケさん。デビューして40年になったのだと。初めはお母様にも認められず5年経ってやっとあれは息子だと知人にもおっしゃるようになったのだとのこと。
徹子さんに促されて自分がやっているボランティア活動を紹介。東日本大震災の後、現地に入り、笑いの大事さを教えられた。一人の女性が近づいてこられた。コロッケさんでしょう、なにかやってよとおっしゃる。え?ここでそんな事やっていいのですか。女性はおっしゃる。もう何日も笑っていないのよ。笑いたいの。笑ったら元気が出ると思う、と。自分は、物まねをやっていて、こんな冗談や、タレントを馬鹿にしたような演技に価値があるのだろうかと、時に思い悩むこともある時期だった。ところが「笑いたいの」というリクエスト。やったら近くにいた人がみんな笑ってくれた。感謝された。
それからです。自分の芸も役に立つと本気になれたのは。