昨日、Kさんから電話をいただきました。「だいたらぼっち」と「区民センター・コミュニテイー」の委員を一緒にした友人です。先日記事にいたしましたが「だいたらぼっち」は100号でひとまず長期休刊に入っていますが、その縮小版を発行しようという話し合いになっているのです。Kさんは委員長を長く務められましたので、巻末にご挨拶文をとお願いしてあるのです。
それの下書きができた、皆で読み合わせする前に、おせっちゃん、ちょっと目を通してくれる?というのが電話の要望でした。いかにも必要な用事のようですが、おしゃべりがしたくなったというのが正直なところだと、自分の気持ちの動きを自覚しながら思ったことでした。確かにおしゃべりに飢えているのです。
マスクはしっかりかけていきました。通された居間には、大きなテーブル、それに斜めに向かい合って小声を意識しながらのお喋りです。
まず原稿を見ながら添削。これは何年も委員会で読み合わせをしていたので、文殊には一人足りませんが、二人でああだこうだと言っているうちにまとまりました。
お茶とお菓子は、マスクを外して素早く頬張りました。
Kさんのご主人は3年以上の闘病の挙句昨年亡くなられました。Kさんは気丈にも、余命1年と言われていたのが3年生きてくれたのだし、その間に覚悟のようなものもできていたからと、明るく前を向いていらっしゃいました。悲しい思い出と、前向きの笑い話と行きつ戻りつでしたが、おしゃべりはかけがえのない元気のもとです。Kさんより、私の方が慰められたのかもしれません。
「だいたらぼっち」はいい口実でした。