おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

金髪ちゃんとトーマくん

2022-11-30 13:31:18 | いろいろ
夫が病を得てから、明るく過ごそうとは思いますが、ともすれば気分が沈みます。そんな生活の中で、どうにか楽しめるのは公園でのウオーキングで出会う顔見知りの人との交流です。
ワンちゃんパパママとは、しばらく犬をなでながら世間話もでき、私の狭い社会の窓も少し風が通るのです。大人の顔見知りより思わず笑みがこぼれるのが就学前の子供たちです。保育園から先生に指導されながらお散歩にやってくる子はみんな可愛い!!

中に特別仲良くなった子がいます。以前ご紹介したと思いますが、パパがアイスランド人、ママがカナダ人、パパは日本語ペラペラ、ママは5月2番目の赤ちゃんを産んだ人です。
このご夫婦の長男が、名前を聞くのも・・・とわたしは「金髪ちゃん」と呼んでいるのです。ほんとにつやつやとした黄金色の髪の毛なのです。同じ時間の周回路で毎日のように会っていましたが、だんだんお友達が欲しいほどに成長して、保育園に入園しました。お休みの日しか会えなくなりました。
土曜日、久しぶりにパパと一緒の金髪ちゃんに会えました。顔、覚えてくれていました。見ないうちに大きく成長。キックボードで周回路を回っていました。以前から必ず持っていたボールを今日もご持参です。サッカーが好きなのだそうです。パパから投げてもらったボールを蹴って返したり、両手で受け取ったり、上手いものです。そして私にも投げてくれたのです。私が上手く受け取るとにこっとして、両手ぱちぱち。褒めてくれるのです。最後手を広げて私の方へ。え?、なになに?そうかハイタッチだ。ぱちんと合わせてさようなら。

つい最近お友達になったトーマくん。ママはお勤めだそうです。おじいちゃんがお守役のようです。トーマ君はとても愛嬌の良い子です。裸足で駆け回り、転んでも泣くことはないのだそうです。
まだ知り合って間がないのに、初めから、ニコニコニコニコ、仲良くしてくれます。おじいちゃんも気さくな人で、私を見つけると「トーマ!!ばあちゃんがきたよ~。ご挨拶して」など、身内扱いです。
土曜日は落葉が公園に降りしきっていましたが、しゃがんで拾っています。そして走って来ると、そのはっぱをくれるではありませんか。何と良い子。ばあちゃんはすっかり元気になりました。

近頃、いろいろな挨拶で、異口同音に「元気をもらいました」「感謝です」というのが定番のようになっていて、偏屈ばあさんは少々いやになっているのですが、このトーマ君のプレゼントには、ほんとうに「元気をもらいました」

新聞の切り抜きから・・国語世論調査

2022-11-29 13:30:59 | 言葉
文化庁の2021年度の世論調査では、本来とは違った意味や言い方が広がっているとのことさて、みなさんはいかがでしょう。

★ 「姑息な手段」。どんな手段?
「卑怯な」を選んだ人が≪73,9%≫。本来の意味は《一時しのぎ》。
《姑息な手段》は根本的にやるのではなく、一時しのぎに、その場限りにやるやり方
★ 「説明は割愛した」。
「不必要なものは切り捨てる」が、65,3%。本来の意味とされる「惜しいと思うものを手放す
」とした人は23,7%に留まった。
★ 「大きな声を出すこと」の言い方は?
「声を荒らげる(あらげる)」が79,7%。
本来は「こえを荒(あら)らげる」。12,2%の解答。

テレビを見聞きしていると、え?それ変じゃない?あなたアナウンサーでしょ。と思って一人画面に向かって小言を言うことがある。言い捨てで忘れてしまうので、記事になりにくいのですが、印象深く、災難に会っていらっしゃる方に、申し訳ないのではないかと、強く記憶んとどめている言葉があります。
山崩れで、大きな岩が落ちてきました。トンネルの屋根部分を突き破り、ちょうど通りっかかった車の屋根の上にのしかかっています、のしかかった岩をどうにか取り除こうと必死な救助です。
その時、アナウンサーの声。「あ、いよいよ佳境に入ってきました!!」。

これ同じようなシチュエーションで、時々聞きます。そのたびに、ああ、当事者の方が聞かれなければいいけれど・・・と心を痛めるのです。

ワクチン接種(5回目)ご報告・・追加

2022-11-28 13:32:53 | いろいろ
この度も悪影響はなく終わったと思っていましたら、少し遅れてちょっとした変化がありました。いえいえ、大した音ではありません。でもご参考までに報告を追加いたします。

接種日は先週の水曜日午後、明けて木曜日のことです。パソコン教室の日でした。カレンダーづくりに励んでいたら、仲間のKさんが
「あらっ、おせっちゃん手どうしたの?浮腫んでいない?!」
この時、私は自分の手なのに特に気が付いていませんでした。
「ああ、そう言えばそうね。でも足など狭窄症のいたずらで浮腫んでいるのよ」
それで終わったのでした。

金曜日の朝、目覚めて起き上がろうとしました。先ず、注射箇所が痛みました。これは今までもあったこと。気が付いて昨日指摘された手を見ると、明らかに腫れて、色も他の所より赤みが酷いのです。
「おや、おや」とは思いましたが痛み、かゆみ等、何の実害があるわけでもありません。ただ腫れている分握ったり開いたりが、素早くはできません。
もしかしたら、ワクチンの副作用の一種かな?注射箇所が治れば同時に治るだろう。月曜日には、月一回の診察日だからその時先生に訊いてみよう。次第に腫れは小さくなって来たようでしたし放置祖ました。

今日かかりつけの医者に行きました。訳を話して副作用でしょうか、と聞きますと、
「う~ん、そんな症状聞いたことないけれど、繋がっているところだから、その可能性はあるね。ワクチン接種で、腕が何らかのバランスを崩して、水分を貯め込んだのかもしれない。まあ、心配はいらないと思いますよ。注射後の晴れが引くにつれて、こちらも治っていくでしょう。いずれにせよ、心配はいらないでしょうとのことでした。

ここからは、おせっちゃん医者(???)の独断。今朝から異常に尿が近く、量も多く出るのです。ひどい時は15分もすると・・・。行くたび量も出るのです。
ははん、ため込んでいた余計な水分が出るんだな。今、2時になって尿意は落ち付いたようです。余分がみんな出たかな。

読んだ本の紹介‥・村山由佳「雪のなまえ」

2022-11-26 13:53:39 | 読書・映画
読書の量は減ってしまいましたが、私はやはり、余暇の趣味はと問われると、読書が浮かぶ世代です。
本はほとんど買いません。歩いて5分の所に、世田谷区の図書館がありますので、そこで借りるのです。

あまりなじみのない新人の本は、なんとなく敬遠です。若いころからの名前になじみのあるものに手が伸びます。老いて、あまり筋書きの複座tなものは能力を越えます。

この度は、私としては冒険をするつもりで、村山由佳著・「雪のなまえ」を借りてきました。何が冒険かというと、この作者の作品は、読みごたえがあると言えば一寸内容より難しく聞こえますが、抵抗なく読めるものと、びっくりするほど私には合わない、ポルノではないかと思われるほどの物があるのです。立ち読みで前者かどうか確かめて借りてきたのでした

内容を詳しく書くことは、作者に対して失礼ですから、ごく要点を書いてお勧めいたします。
東京の学校でいじめにあった主人公の中学生の女の子。懸命に通学するが、とうとう通えなくなる。
二人ともお勤めをしている両親。どうしても我慢できない時は無理に学校へ行く必要はない、との柔軟さで寄りそう。一流企業に勤める父親は思い切って、おじいちゃんおばあちゃんの家に越す。母親は、迷った挙句逆単身赴任。2週間に一度田舎に訪れることで家族は再出発をする。
農家の生活。祖父、祖母の温かい、自然環境に根を下ろした仕事ぶりで、孫娘を包む。父親は、慣れない農家仕事にも意欲を持ち、また、近所の物置を改造して誰でもが立ち寄れる気軽なカフェを目指しながら娘に寄りそう。人のいい田舎の人々。学校へ行かない子、というだけで、怪しいと排斥しようとする人もいる。母親は穏やかながらきちんと事情を話す。だんだん受け入れられるようになる。子供は子ども同士、遊びに来てだんだん近づく子どもたち・・・その家庭の人々の会話がなんとも味があって親しめる。傷ついた魂をすくいあげるのはこうした環境が必要と思わせる、暖かな、教育的場面が多い。

私はもはや、子ども孫から逆に教育される身ながら、同調して読みました。
それにしても、いじめの実態は、・・・と考えさせられる。
この主人公の女の子は、ある日ある時を境に、急に仲間外れにされる。全く理由も分からないという設定である。これは怖いとつくづく考えさせられた。


スマホ脳と早送り読み

2022-11-25 13:46:23 | テレビから
今日取り上げた話題は、少し古いワイドショーで取り上げていたものです。古いだけでなく、なんだか決まった時間までに出かけることがあって、ながら聴きで得たことです。間違ったことがあるかもしれません。その点お許しください。

★ スマホに熱中しすぎると認知症になる
専門に研究なさっているお医者様がゲストでしたから、真面目な番組だったと思います。
スマホの、あの小さな画面と、光と、熱心に長時間み続ける人の脳と、これらが激しくなると、脳から何とかいう物質が出てくるのだそうです。それが溜まることが怖いんだと。

ゲームで遊ぶにしろ、動画を見続けるにしても、仕事で使うにしても、とにかく日本人の若い人が見続けている時間は尋常ではないのだそうです。

あの小さな画面から、跡切れもなく情報が入ってくる。その量は異常である。その情報を処理できる量を越えてしまう。有効な情報でも、処理能力を超えると害を及ぼすようになるのだ、というのが簡単な結論のようです。

★ 倍速読み
上の論を聞いていて、ふと思ったのが倍速読みである。今、学生や若者が、コロナのせいで始まったオンライン授業や映画、テレビ番組などを見る時、速度を速くして必要だと思う所だけを見て済ませるのだそうです。忙しいのに、さして必要ではないところはうざったい、とばしますよ~、時間の倹約、とあっけらかんと答える人。

この婆さんはよく例に引くのですけれど、電話さえなかった頃、子ども時代を過ごしたのです。学校からの連絡事項は、次の子の家まで駆けて伝えに行ったのです。PCだのスマホだの、までたどり着くだけで大変な思いです。この壁は乗り越えるのが難しい。

でも婆さんは考えるのです。ここ迄急いで、有り余る情報を処理しきれないほどかき集めて、挙句が認知症への道ですか。情報を集めることはできても、それを整理して、自分のものにして、考える・・・こんな大事なことをとばしてしまっていませんか。
壁を乗り越えることのできないばあさんの負け惜しみの繰り言。でしょうか。

私も読書のスピードがとても遅くなってきています。一つは脳の老化、読解力、創造力、などなどの衰えです。悲しいことですが、1冊の本を読み上げるのに時間がかかります。でも気が付いたのです。遅い読み方が、案外快適なのです。会話を方言で書いている小説もあります。気が付いたら、それを声までは出しませんが、自分で朗読しているのです。作者の考えていただろうことなどが、想像できるもとになっていると思うことがあります。

学生の頃、仲間たちとのおしゃべりで、「映画が先か、原作が先か」が話題になったことがあります。「そりゃあ、原作が先、先に映画を観るとその演技をした俳優の顔が思い浮かんで、自分のイメージを楽しめない」というのが大多数でした。読むことは、自分が、行間を考え、想像して膨らますことでしたから。