おせっちゃんの今日2

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オカンとボクと・・・

2023-05-31 13:54:24 | 徹子の部屋出演者

今日のゲストはリリー・フランキー。もう何年たつでしょうか「東京タワー・オカンとボクと時々オトンという自伝的な小説、ちょっと変わった家族の物語でベストセラーになった小説家ですね。小説だけでなく、幅広く活躍なさっていますね。

「オカン・・・」が売れていたころ、恥ずかしながら私はリリーさんを知りませんでした。バッグに入れていて、隙間の時間に読み継いでいた友人に、「これ、外人さんなの?」と訊いて、、大笑いをされたのでした。友人は、読み終えた本を貸してくれました。惹きつけられて一気に読んだものでした。

オトンとは一年に一度会うかどうかという関係でした。今日は父に会うという日・・・動物園に連れて行ってやるとの約束でした・・・一日馬しかいない動物園でした。(競馬場)

そんな父が珍しくこんなことを言い置きました。

「日本人の男は、女に1+1=2、などという、分り切ったことは言わないものだね。でも、女は分かり切ったことでも言ってほしいものらしいぞ。覚えて置け」
何も算数のことではなく、男女の関係の話だったのだろうけれど、しんみり言ったことがありました。と。

徹子さんは、そりゃあやはり好きとか、愛しているとか、言ってほしいと思うな、と。
リリーさんは、徹子さんはやはり都会の人なんだ。福岡生まれの僕やタモリさんが「愛しとっと」や「すいちょると」といったら女は「あんたなんばゆうとっと」と逃げられますよと二人の話が続きました。

売れるまで、貧乏の限りを尽くしたようですが、特に抑揚もつけない話し方で語る人生行路は、愉快でした。

 

 

 


私の近頃の心配事

2023-05-30 13:56:01 | 健康

あれだけ夜型人間で、夜は1時2時になっても寝床で本を読み、その代わり、朝は起きられなくて起きられなくて、つらい思いをしていたのに・・・。目が覚めてしまうのです。

わが家は、いま、夫と二人暮らしです。夕方5時半から6時に、夫は入浴、私は夕食用意をします。アツ好きお風呂の夫が茹で上がって汗をかきかきあがって来るのに合わせて冷たいビール500ミリリットルを二人で1本、それがディナーの始まりです。1時間もかからないで夕食最後のデザート・・・いえ、老人病の夫の内科医から処方されている薬・・・を間違えなく揃えて、飲ませることで、一日が終わります。
私はその後、夕食の後片づけがありますけれど。

夜型人間が、まるで反対の朝型人間になっています。11時半頃ベッドに入ります。ここですぐ寝てしまえばいいのですが、夜型の痕跡が残っています。未練がましく本を抱えるのです。いつの間にか眠りに落ちますので、はっきり時間は分かりませんが12時頃には眠っていると思います。
2時半から3時半、目が覚めます。ここからが朝型人間です。もうほとんど眠れません。だからと言ってきちんと本が読めるわけでもないのですから、無駄な時間です。ウトウトしては本をめくり、ウトウトしては、眠れないよ~とイラつくという時間を消化します。6時頃思い切ってベッドを出ます。

自分ではこれでは3時間ほどしか寝ていないと思います。医者に訴えると「どうしても必要と思うなら薬を出しますよ。でも、寝てない、眠れないと言いながら、ウトウトの時間を足せば、結構寝ているんじゃありませんか、」といなされてしまっているのです。

老いたりといえども曲りなりに主婦ですから、仕事もあります。夕食の後片付けを済ませて、おコタに座ると、引き込まれるように眠りの世界に落ち込むのです。これは見たいと思うテレビ番組、夫と取り合いをして迄確保しても、無駄についているだけということたびたび。転寝というより、これが一番充実の眠りかも知れません。

朝寝坊をした~!いけない!!飛び起きるのが、大抵9時半から10時。1時間半ほどぐっすり寝てしまうのですね。

この飛び起きた時が不安材料なのです。朝の9時半なのか、夜の9時半なのか全く分からないのです。え??どっち、どっち??

いよいよ認知機能がいかれてきたか。夫が先に怪しくなって、私に下駄を預けてしまっていますから、私は今、倒れたり、ボケたりはしておれないのですが。

何度か経験しているうちに、どちらかを確める方法が分かってきました。手首を見るのです。昼間の洋服の袖口なら、今は夜。パジャマの袖口なら朝。

見分ける方法は分かりましたが、この症状、認知症の初期でしょうか。


良い子になって欲しいなら

2023-05-29 13:49:36 | 言葉

今朝の朝日新聞「折々のことば」のご紹介から始めます。
子供が幼稚園から、小学生だったころの反省を含んだ思い出です。親が心得なくてはならない態度だと思いますので。若い親御さんの目にとまったら読んでみてほしいとおもいます。

折々のことば、解説も含めて全文使わせていただきました。以下私の思い出です。

私は終戦の年が国民学校の1年生でした。故郷は山口県の瀬戸内側の防府市の市街から外れた片田舎でした。当時の田舎では学校の先生は「先生様」とあがめられる地位でした。子供たちの教育のみが仕事ではなく、時には夫婦喧嘩の仲裁に迄狩り出されるくらいで、村人は、「先生さまがおっしゃることだから」と双方矛を収めたのでした。その位崇められていたのです。

年月は経ち、私は結婚し、幼稚園の子供を連れて東京暮らしをするようになりました。せたがや区立の幼稚園に入園させました。担任は新卒か、1年ばかり経験を積んだかという女性先生でした。熱心な、明るい、先生でした。
そんな先生親たちが泣かせてしまったことがありました。

秋でした。こんな新しい歌を子どもたちは習って、歌っていました。はっきり覚えたいませんが、「リンゴも真っ赤になりました。風でゆらゆら揺れました」というような歌詞でした。先生は「リンゴ」をミカンなどに替えて歌わせていらっしゃいました。四つ目の替え歌だったでしょうか、「スイカ」と発言した子がいました。
「風でゆらゆら」と進むはずの所が子どもたちの声が消えてしまったのです。

父母会の日でした。あとで意見交換の場がありました。先生がまず初めにと、子どもたちの声が続かなかったことを話し始められました。声が泣き声になってきたのです。

子供たちにどうしてゆらゆらを歌わなかったの?と。子供たちが一斉に答えたのだそうです。「ママが昨夜、スイカは土の上になっているので、風でゆらゆらはしないのにね、といったよ。いいの?」

確かにゆらゆらはしないかもしれません。でも秋の果物としては仲間に入れてやっていたのです。スイカを候補に挙げた子供もいるのです。先ず楽しく歌うことが大事だと思って指導していたのです。
理論で正しいことが、そのまま正しいことではないのですね。知ったかぶりの親たちが授業を台無しにしたのでした。

次に述べることは、多分、上の話の続きだったかどうかはっきりしませんが、母から聞いたことだと思います。

小学校の理科の時間、子供から質問が出たのだそうです。先生は子どもたちにきちんと教えるほど専門的なことがお分かりではなかったようです。
「あそうだ、○○ちゃんのお父さんは大学の先生で、詳しくお勉強していらっしゃると思います。先生、お父様にお手紙で習って、皆に説明するわね」

お父様からは丁寧な解説の手紙が届いたのだそうです。それには説明とともにこんな別記が添えられていたのだそうです。

私から習ったとはおっしゃらないでください。子供には、お父さんもきちんと説明できないなあ。でも、先生はきっと本などで調べてくださると思うよ。お父さんも勉強するからね、と言ってあります。子どもたちには先生こそが教師なのです。一番偉い人でいてやってください」と。

 


日本が崩れていく

2023-05-26 13:57:58 | 日記

今朝、早めに起きてテレビを見ながら血圧を測ったら、少々高め、夕べ気にかけながら寝てしまった、猟銃立てこもり事件がまだ続いていました。

犯人は、市議会議長の息子で、聞いているうちに死者が一人増え、4人となっていた。銃の規制のある日本でこんな事件が・・・と気が滅入る。

それにしても、礼儀正しく、治安はよく、安心安全の日本と言われていたわが国はどこに行ってしまったのだろう。近頃急激にその名誉の名まえが失われていくではないか。

人がお互い信じられなくなってしまった詐欺事件。それはまだ、だまされる方が馬鹿と言って、自分には関係ないと笑っていたが、次第に大掛かりになり、闇バイトなどで大掛かりに子分を募り、今や一つの企業のようになってしまっている。玄関を訪ねてきた人、電話で連絡が来た人、手紙ハガキ、メール、全てが信じられなくなってしまった。行きつくところ、様子を見訪れてくれたお巡りさんさえ、玄関扉の向こう側で、立ち往生させる有様になった。

冒頭の銃事件より前、押し込んでずぶりと刺し殺すだの、ガラスを割って押し込み、あっという間に高額商品をさらっていくだの、・・・こんな国だったかしら。

何が原因で、このところ急激にこの手の犯罪が増えたのだろうか。ありきたりの考察になるけれども、やはり、コロナ感染防止の孤立生活が原因の一つではないだろうか、

3年ばかり個人または個家族で他人との付き合いなく暮らしたことが、人の心の交流を荒れたものにしただろうか。
また、経済交流も閉ざされて、収入の減少は、公費を配るということになった。ありがたいことではあったけれど、やはり人は、自分の裁量で、自分の働きで糧を得たいものではないか。不足分をつぃて貰いながら、楽しむことなくこそこそと稼ぐのは欲求不満になるではないか。

貧しくとも、のびのびと晴れ晴れと生きたいものです。心の荒れを修復しなければ。

 


[お疲れ様]よりは

2023-05-25 16:21:14 | 言葉

今朝の朝日新聞・声にこんな意見が載っていました。(62歳女性の方のご意見です。おせっちゃんが勝手に要約しました)

かなり前から、やたらに「お疲れさま」と声をかけてくる人たちに、違和感を持っていました。
「お疲れ様」は「こんにちは」を意味しているのですってね。
「お疲れ様」は「今日も一日疲れるまでよく働きましたとか」、「大仕事大変でしたね」と労う時とかに使う挨拶言葉だと思いますので私は「こんにちは」の意味では使いません。

消えてしまった古い私のブログに、同じ意見を書いたことがあります。言葉は時代とともに変わりゆくものとは思いますが、おはようございます。こんにちは。と同じ意味で挨拶には変ではないでしょうか。

古い「おせっちゃんの今日」に意見を述べた時、次のような意見も載せました。確か天声人語に載っていた、ある企業の新社長の言葉でした。

この会社の社長を引き受けて、まずびっくりし、気に入らない挨拶が、朝から会う人ごとに「お疲れ様~」と挨拶を交わしていることだった。今から、一日の厳しい仕事が始まるという時、疲れたコンディションで出社してくれては困るのである。朝は、新たな意欲をもって張り切って仕事に向かってほしい、いや向かうべきだ。

就任大一番の仕事が、この悪癖を正すことだった。「おつかれさま」禁止令を出し厳しく取り締まった。元気よく「おはようございます」「こんにちは」に変えさせたのである。

朝、疲れている人もいるかもしれない。でも空元気でも、ちゃんと弾んだ言葉と声で挨拶を交わしているうちに、会社全体に活気が出てきた。活気が出れば、人間関係、仲間同士の関係も明るく溌剌としてきた。
私はこの機会にもう一つ、役職名で呼び合うことを止めさせた。○○さん・▼▼さん、みんなの力がまとまる気がしたのだ。仕事の工夫や、アイディアも気軽に出るようになったと思っている。

言葉の力はかく大きい。