おせっちゃんの今日2

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変えられないこと・変えられること

2022-02-28 13:54:20 | 言葉

今朝の朝日新聞にこんな言葉を見つけました。「ひととき」への投書にありました。

神よ
私に変えられないことをそのまま受け入れる冷静さと
変えられることはすぐそれを行う勇気と
それを見分けるための知恵をお与えください。

米国の神学者、ラインホールド・ニーバー の言葉だそうです。
ご主人を失くして幸せな日々との突然の別れに混乱していたころ、出会った言葉だそうです。

人には宿命というのでしょうか、努力や意思では変えられない人生の道筋が与えられているようです。今風の言葉で言うなら、「親ガチャ」はこれに当たるでしょうか。子は親を選べないし、親は子を選ぶことはできない。与えられた運命の糸で繋がれた親子は年頃になって恋の赤い糸で結ばれるよりもっと強く結ばれた縁でしょうか。この変えられぬ結びは有難い生きる力でしょう。

自分の努力や意思で、自分の道は自分に適するように変えていけることが多いでしょう。変える力はただただ真面目にやり続けることでしょうか。きっと自分の後ろに道は開けるのでしょう。
変えられることは、未知の道でも思い切って変えてみましょうか。ためらわず、素早く、勇気をもって!!




人間って愚かねえ

2022-02-26 13:44:53 | ニュースから

予測はされていましたが、不幸な結果の方に時は流れました。
ロシアはウクライナに侵攻し、人々から幸せな生活を混乱、命の危険さえ保証できない事態へと向かわせています。
理由は何にせよ、他国に武力で攻め入り、国土を分捕るなんて暴挙は許されるはずがないと思うのですが。

ニュースでそんな事態を見ながら眠りについたからでしょうか、夢を見ました。自分が、戦場の混乱の中に身を置いているのです。爆撃の音の中、姿勢を低くして逃げています。誰だか分かりませんが同じ状態の誰かが後ろにいます。振り返る余裕すらありません。

そんな緊迫した状態の中、後ろの人のつぶやきが聞こえてきました。

「人間って愚かですよね。人を殺す爆撃に使う武器弾薬、その資金を自国の人のために使ったらどれだけ多くの人が幸せを受けられるのだろう?」
「なぜそんな簡単なことに気が付かないのだろう」

このあたりで目が覚めました。あの言葉をささやいたのは誰だったのでしょう。夢だったんだよね。でも・・・本当のことだよね。

私は戦争の場面を読んだり聞いたりすると、決まって思い出す小説の一節があります。
学生のころ読んだ「チボー家の人々」の一節です。
主人公の兄が戦場に出て命を爆撃にさらしてトーチカにうずくまっている場面です。兄はこんな事を考えているのです。

「敵兵も同じ人間だ。決して戦争を望んでいない。戦いを止めるのは簡単なことだ。双方の兵が、同時に武器を捨てさえすれば。どうしてそれができない?」

簡単な事なのに・・・


励ましの言葉・・・鈴木雅之・桑野信義

2022-02-25 13:48:16 | 徹子の部屋出演者

今日の徹子の部屋、同志友人の素晴らしい励ましに感動しました。

ゲストは鈴木雅之さん。黒メガネにお鬚、以前グループで歌っていたころは子どもたちと一緒に聞いたことはあったが、ソロでの歌はほとんど聴いたことがありませんでした。まず素敵な歌に惹きつけられ、徹子さんとの会話にもひかれました。
特に番組途中から加わった幼い時からの顔見知り、ともに音楽活動をした親友という桑野信義さんへの応援メッセージには感動しました。

今年がグループ結成40周年、記念コンサートを開催する計画ができていた。ところが桑野が大腸がん、それもステージが進んだものだった。それまで病を知らなかったこともあって、落ち込んだ。落ち込んでいる彼のもとにメールが届いた。励ましのこころの詰まったものだけれど、けっして「がんばれ!」の言葉はなかった。

鈴木は言います。「頑張っている人に、重ねて頑張れは言えない。それは励ましにはならないと思った」と。

「お前は大丈夫だ。信じているぞ」
「いつまでも待っているぞ」
「神様はお前の一所懸命を見ていらっしゃる。助けてくださる」
「もしも願い事をかなえてくれない神様なら、俺が許さん」
「待ってるぞ、帰って来いよ」

メモる暇がなかったので言葉は違っているかもしれないけれど、こんな力強い、励ましでした。
そうです、兎角、こうした時に、これ以上頑張れないほど頑張っている人に、追い打ちをかけるように「がんばれ!」を投げかけがちです。
鈴木氏の言葉は見事な生きるモチベーションになった言葉でした。

 

ついでに「物は言いよう」でやりがちな言葉かけ。

病気の人の見舞いに行く。病人さんは心身ともに弱って、起き上がることもできない。見舞った者から見ると、幼い子供のように見える。言葉をかける時、ついつい赤ちゃん言葉風な使い方になりがち。
これは介護をなさっている人から聞いたことですが、これは失礼極まると。

状況を見て、しっかり考えて、相手の気持ちを汲んで対処すべきですよね。掛ける言葉が思い浮かばないなら、変な言葉をかけるより黙って手を握っているほうがいいのかもしれないですね。


お寺の鐘雑学

2022-02-24 16:16:13 | いろいろ

昨年の暮れ、31日の天声人語が切り取ってありました。富山県高岡市の「老子製作所」(江戸時代から続く鋳物メーカー)の会長・元井秀治さんの文章です。
今夜は除夜の鐘、一年暮れるなと感慨深くスクラップしたものらしい。
お寺の鐘についての諸々の知識、雑学と言っては失礼ですが、面白いので書いておきます。

梵鐘は仏教とともに日本に伝わった。スリムなものが多かったが、時代とともに変化。裾に向かって分厚くなり、ずんぐり型が増えたのだと言います。

鐘の頭部・腹部・裾を、竜頭・池の間・駒の爪と呼び、突き棒が当たる部分を「撞坐」と呼ぶのです。「撞坐」は千年かけて下へ下へと位置を変えた。音色もジャーン・カーンからゴーンという重低音に変わった。
中国や、韓国の鐘はジャーンという銅鑼のような派手な音だけれど、日本では遠くまで届く穏やかな音が特徴。

国民性、民族の好み、面白いものですね。日本人の美意識ではやはりわびさびに向かっていくのですね(おせっちゃんの感想)

お寺の釣り鐘も、苦境に泣いた時もあります。廃仏毀釈で棄てられたこともあり、世界大戦の時は、金属類は回収されてしまったのです。

おせっちゃんの頭にある田舎のお寺、鐘撞き堂はあっても鐘は下がっていませんでした。

夏休みなどに、子どもたちが揃って帰省し、父を囲んで墓参り。そんな時父の一つ話が始まります。「まだ鐘があった頃、男の子を連れて墓参り、子どもたちは撞きたがった、撞け撞けと許したんじゃ。もっと前には自由につけたもんじゃったからの。ところがその頃は、この鐘は、村の非常事態を知らせる音になっちょったんよ。大叱られしたもんじゃ」。反省するというより自慢げでありました。

や〰まのお寺の鐘が鳴る♪♪夕焼けの色とともに思い浮かぶ日本人の原風景ですね。


そこに愛はあるんかあ

2022-02-23 13:37:42 | いろいろ

テレビから流れて来るコマーシャル。社運を賭けたものだろうからなかなかうまく作られて惹きつけられます。昨今私が好きなのはアイフルのものです。元宝塚女優、大地真央がセリフ風にいう言葉と、歌い上げる歌と上手くつなぎ合わせて「そこに愛はあるんかあ」と決めるのです。馬鹿らしいと言えばばからしいのですが、明るく面白くて好きなのです。

先日来、子どもの親による虐待の暗いニュースが報じられます。何とも酷い折檻で心が冷えます。
と偉そうに言いますが、私は暴力こそはほとんど使いませんでしたが、地声が大きく、ついつい大声で怒鳴って𠮟りつける躾(?)は頻繁にしたものでした。今思い出すと至らない母親だったと穴に隠れてしまいたくなる態度でした。

そうした反省をしている時、このコマーシャルは酷く堪えるのです。

子どもは褒めて育てろ、と言われるようですが、私は必ずしも褒めるばかりがいいとは思いません。折檻や暴力沙汰は勿論いけませんが、どうしても教えていなければならない躾というものもあると思うのです。人間としてしてはならないこと、例えば友人との付き合いで卑怯な陥れをしたりすることなどは、本気で叱ってとことん教え込まなければならないと思います。甘やかしていればいい、ということは決してないと思います。「ならぬことhならぬのです」の精神で教えなければいけないと思うのです。

ただその教えの過程で、このコマーシャルが大事なのです。「そこに愛があるんか?」です。その子の一生を貫く、歩の道が真っ直ぐであるように、愛情をもっていたい、教えたいものです。