おせっちゃんの今日2

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連絡網に話題は移って

2024-05-24 14:00:32 | 時の流れ

昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。

「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」
「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」
「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」
「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」

「ああ、お若い方は、伝達手段がそこから始まるのね。う~ん、時代は急速に流れていますね。私が子どものころには、連絡は、次の家まで、田んぼの中の道を走ったのよ」
「え!?それってどういうこと?わからない!!」
「電話が宝物のように、お金持ちの家の電話室に鎮座させられていた時代があったの!!」
「え・え~ぇ?、今日は運動会決行という日は6時に花火(空砲)があがったのよ」

「わ~お!!。カッコイイ!!」

「やっぱり私は宇宙人に近いかな。おとぎ話を聞くようでしょう」

私の言う昔と、教室の若手がいう昔と、結局、理由は何であれ、乗り遅れたものは、周りに多少の迷惑をかけたのよね。でも、人々はおおらかだった。そのために馬鹿にされたとか、引け目を感じて、委縮したとか、そんなことは少しもなかった。

 


盆踊りが世界平和への扉を開くか

2024-05-13 14:38:41 | 時の流れ

おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。

中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。

コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キリスト教の教会で、盛り上がっているという話も・・・」と。

へ~え、盆踊りから、世界が融合するということは不可能かしら?。おせっちゃんは爆撃の瓦礫が踊りの輪を作るために片付けられ始め、ついには戦いはやめた~といかないかしら、などと夢見たのです。

ところで、大勢がうまく踊るとなると自然発生的にとはいかないとのこと。先ず練習。

と聞いたところで、おせっちゃんの頭には月が∼出た出た、月が∼出た~よいよい。と和的な景色が浮かびました。なんだか、違うみたい
今、若者は、もっぱら西洋風の激しいダンスです。先ず、日本的な民謡風な所作から教えなければならないと。戸惑う外国のお客様も、指導する爺様、ばあ様も、元気いっぱい、仲良しの和(輪)ができるのだそうです。

う~ん、和的な所作を、西洋文化の人に教える絵を描いたおせっちゃん、もう一歩遅れていることに気がついた。日本のリズムで、日本所作を、日本の若者も踊れないのである。先ず、輪を日本人に教えないとと。

一日の汗をさっぱりと洗い流して、糊のきいた浴衣を着て、踊ってみてごらんなさい。きっとファンが増えるから。

 


祭りが消える

2024-04-05 14:03:43 | 時の流れ

昨日の朝日新聞のいわゆる三面記事に、「最後の?狐火」の見出しで京都・高台寺近辺の祭りが記事になっていいました。
え?!最後?また伝統の祭りが消えるのか?寂しさに、小さな怒りにも似た感情を押さえて、目を通しました。
日本古来の伝統のお祭りではありませんでした。20年ほど前に、観光客を呼び込む目的と、その方々を楽しませようとして始まったものらしい。
伝統のものではないとはいえ、地域の人たちが力を合わせて盛り立ててきたお祭りには違いない。やめる理由は、ここも、ボランティアの高齢化が大きな壁のようです。

東北地方、黒石寺の、裸まつりは、、あまりに激しい、男の祭りということで、作ったポスターの男性が、原始的で肉体を晒し過ぎていると、協力企業がポスター貼りに反対して、、その人気は逆に煽られて有名になりました。蘇民祭です。
身を清め、真っ白い晒で体を締め上げ、境内で、裸でぶつかり合い、揉みに揉んで、袋を取り合う激しい祭りです。男の裸は,神聖なものになる。
これも世話をする人が高齢になり、先日最後の祭りとし、1000年の幕を閉じた。
テレビを見ていると、地元の方が、「蘇」は「よみがえる」でしょう。再び違った形ででも、・・・と惜しんでいらっしゃいました。

伝統は、一度注視すると後が途切れ、消えてしまうことが多い。さびしいこと!
せめて、そこに至る経緯を文章で残しておいてほしい。

 

 

 


時の流れはこんなところにも

2023-11-10 11:14:21 | 時の流れ

二人の子供が同じ年の春と秋に結婚し、私の主婦業も一段落。ほっとしたと自覚することもなかったと思うのですが、なんだか時間を持て余す気がしていました。以前から見知っている先生にお願いしてお茶とお花の弟子の末席に加わったのです。

先生は、長年その道を究めていらっしゃる見習うことの多い方でした。

その先生が、ずいぶん興奮した声と態度で、「おせっちゃん、聞いて聞いて、こんな事ってあるかしら」とおっしゃるのです。
「孫のお嫁さんがね、私の手からもぎ取るようにスプーンを取り上げたのですよ。『おばあさま、虫歯菌が移ったらどうします!』今後一切禁止です」というのよ。お味噌汁の中のお豆腐をフーフーして、厚くないか唇で確かめて、スプーンで与えようとしただけなのに!!」

目上の方には逆らわないと育った私には、聞けても、今のお若いお嫁ちゃんには・・・

私の育児期には、まだそんな説は言われていませんでした。ただ、先生の年代の方のように、まるで口移しの様に与えることはしなかったと思いますが。古い映画などで、大家族の食事風景と言えば、先生のように、お味噌汁の中から拾い上げて、与えるというシーンがあったような気がします。ほほえましい風景として。

なぜこんなことを書き始めたのかというと、古い(と言っても1年ほど前)新聞切り抜きの中から、この与え方について書いたものが出てきたからです。
世の中進みますねえ。いろいろな説も時代の流れで替りますねえ。

スプーンなどを介して、赤ちゃんの口に大人の唾液が入ることで、アレルギー性疾患の発症リスクが低下するというのです。アトピー性皮膚炎の発症リスクアレルギー性鼻炎、なども低くなるという検査結果なのだそうです。先生と、お嫁ちゃんの問題の虫歯については書いてありませんが。

自分が子育てをした時の経験こそが正しいとは,言ってはいけないようですね。
時の流れは、時に、家族を対立させるかもしれませんね。


米を売る

2023-09-30 16:17:18 | 時の流れ

昨日の夕方、ニュースでこんなことが話題になっていました。

東京都が、物価値上げで困窮が考えられる所帯に、無料で米を配った。私は、非常の場合の備蓄米を放出したのだなと思いました。一日よ食に減らして生きている人もいると聞きますし、助かったと家族で喜んで白いご飯を頂いただろうと思いました。

ところが、予想に反しました。無料配布米がネットで売りに出されているのだそうです。テレビ画面には都知事が出て、「転売禁止と袋には明記しましたし、にもかかわらず転売されたのは残念です」とがっかりした様子で会見打ち切っていました。

私は自分の思い描いたことと、現実は全く違ったことにびっくりしました。
そうか、転売されたコメは、気に入られなかったのだ、「コメはブランド米でなくっちゃ、こんな米食べられないわよと好意を無にし、おまけに自分の気に入らないものを、それでも金に換えようとしたのか」と、残念だと思ったのでした。

私は全くそんな景色とは違った映像を思い出していました。
小学生の私はべそをかき、涙をためたまま、どうしよう、いけないことをしたと固まっていました。
すぐ前に、「明日学校にお金を納めなくてはいけない、用意して」と言ったのでした。母は困った顔をして黙っていました。「ねえ、あしたよ」と念を押したのです。半べそをかきながら。

母は米櫃を開けました。中には、やっと配られた配給米が入っていのです。今から家族が食いつないで行かなくてはならない大切なコメなのです。母はそれを升に入れて図りました。5合だったでしょうか、一升だったでしょか、どなたかに買ってもらおうとしたのです。これを売れば、家族が食べる米は確実に減るのです。それでなくても足りない米です。
私は自分が困ったことをしたことが分かりました、母の手を止めることはできませんでした。ただ固まっていたのです。

ネットで売りに出されている米が、全てが、こんなもの食えない、と売りに出されたものでしょうか。中に何人かでも幼い私と同じ苦しみを感じながら、食べずに金に換えざるを得なかった人がいたのではないか。本当はそういう人にだけ配りたいよね。一袋ではなく、二袋でも、三袋でも。