おせっちゃんの今日2

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侮るなかれパート主婦の力

2023-02-28 13:32:54 | いろいろ

先日娘Maが帰ってきていた時の話。

「車、新しくしたのよ」と娘。
「そうだね、ずいぶん長く使ったからね。今ほとんどあなたが乗っているんでしょう」
娘夫婦は3人の子供を育てました。飛び切り上等の学校を出たわけではありませんが、それぞれが希望の学校を卒業、社会人になっています。3人それぞれが別々の勤務先で一人住まいしております。おまけに、夫(Maの)が転勤地へ単身赴任してしまいました。つまり5人がばらばらに暮らしているわけです。本拠地の家族の家はMaが一人で守っているわけです。田舎は車社会、自宅に置いてあるのです。

「3人の子供に、ひとつずつベビーチェアー」を付けるために、大型の車だったけれど、今度は普通車にしたのよ。新しくて気持ちいいよ、私が得しているようだけれど、実は半分は私が出したのよ」
「パート主婦の力、あなどるなかれ!!よ。コツコツ働いて、積み立てていけば、半分負担も可能だったわけ。偉いでしょう。パート主婦の壁と言われるけれど、幸いにもとおちゃんがきちんと働いてくれるし、私の給料を生活費にしないですんでいるからね、幸せよね」
「そうね、Mちゃんが学生の頃は、娘をきれいにしておくのに、Ma銀行は支出も多かったけれどね。がんばったね」

パートって何をしているのかご興味ありますか。娘として我が家にいた時は、こんなことをする子だとは思いませんでしたが、紳士服の量販店の寸法直しをやっているようです。肝っ玉母さんで、こうした地味な仕事をするとは思いませんでしたが・・・


車窓の風景

2023-02-27 14:14:57 | 言葉

昨日の「落ち着いた大人」を書いていて、ああ。似たような人間についての言葉がったな、切り抜いてあるはず、と探しました。

「絶景でなく、車窓の風景のような人間でいたい」(安西水丸)

この言葉について折々のことばの解説者・鷲田清一はこう書いています
目立ちたいとも、強い印象を残したいとも思わない。一人ぽつんと立っていても土地に溶け込み、周囲や背後にいる人、いた人のことまで匂わせる、そんなきちんとしたワン・オブ・ゼムでいたいということか。
イラストレーターは、人は「どのように生きるかよりも、これだけはしたくないというものを持って生きる方が格好いい」ともいう。

これ以上の解説はおせっちゃんには書けません。
別の視点で書きます。

決して悪いことばかりではないと思うのですが、今を生きるものの多くが、とにかく一発当てて目立ちたい。あいつは認められているのに、俺は埋もれている。何か突飛なことをしてみるか、と思っているかどうかわからないけれど、どうしてこんなことをやらかしてしまうのだろうと疑問に思うことをしでかす者の多いこと。

例えば、回転寿司屋で不潔な、それも幼稚な悪さをしてしまう若者。一時的には、確かに絶景並みの注視を得るかもしれない。でもその後の長い人生の傷になることは自業自得です。もっと車窓の風景のように、平凡でも、穏やかで温かく美味しいと満足していただくことはできないのでしょうか。

自分の一生を台無しにしますよね。


落ち着いた大人とは

2023-02-25 13:43:55 | 言葉

2月15日の「折々のことば」におせっちゃんは顔が赤くなってしまいました。自分を恥じたのです。

益田ミリさん・(イラストレーターとのこと)・の言葉。
「落ち着いている大人は、かっこいい。私が思う落ち着いた大人とは人の話を最後まで聞ける人である」
続けて「よくいるではないか、相手が話し終わらないうちから話し始めてしまうひと」

おせっちゃんは、ハズカシナガラ、これをやってしまうことがあるのです。相手の話が終わらないうち、ではなくとも、終るのを待っていましたとばかり身を乗り出して話し始めるのです。
ああ、またやってしまった、と反省するのです。

その割には価値のない話です。最近歳とって、時代に置いて行かれていることが多いのに、しゃしゃり出て話題提供するのですが、話の中心がずれたものなのです。
全く大人のすることではありません。老害ですね。

益田ミリさんは、まだ続けて言っています。
「相手が察していても自分の話を言い切らないと気が済まない人もいる」と。そして、なぜみんな「間」が空くのを怖がるのだろう、と言っています。

その場を盛り上げるには、話の間が空くことを恐れているのだと言っていらっしゃるようです。

私の場合、兄弟姉妹8人中、7番目の子供で、ぼんやりしていたら、口が挟めない状態に鍛えられたのでしょうか。三つ子の魂が今悪い方に出ているのかな。いずれにせよこの悪癖は改めないと「落ち着いた大人」にはほど遠いばあさんになってしまいます。


街のでんきやさん

2023-02-24 13:43:05 | いろいろ

23日の日経新聞に、Panasonicのコマーシャルが1ページの大きさで載っていました。
(おせっちゃんが勝手に短く書き換えています)

「ずっと使っとる炊飯器、なんとか直らんかねえ」
長女さんが生まれた頃買ったもので4人の子供の白いご飯を炊き上げてくれた大事な炊飯器なんじゃとのことでした。

ご家庭の家電にはご家族の物語が紡がれていると思う。買い替えてもらう方がおいしく便利かもしれない。でも大事な思い出とともに、ホカホカご飯がこの炊飯器で食べられるよう、心を込めて修理に取り組みました。

街のでんきやはお売りするだけが仕事ではありません。まだまだ買い替える気にはならない、そんなお客様の思いに寄り添える電気屋でありたい。(広島市志和町 上島デンキ 社長 上島勇介さん)

おせっちゃん、戦後の物のない時代を知っています。炊飯器などありません。思い切の蓋の釜で、薪で焚きました。長年の使用にそこに穴が。いかけ屋が回って来て小さな釘状のものでを打ち込み両側から叩いて穴を塞いで使ったのでした。

コマーシャルの中で修理を望む人の言葉が理解できます。同じような修理を頼んだ経験もあります。でも、いつの間にか、こうした行動はとらなくなってしまっています。
家電製品を買う時は、電機量販店。街のでんきやさんは、電球1個、電池8本組などを飼う所になってしまっています。
量販店で、幾度言われたことか。「直すより、買う方が安いですよ」
「炊飯器も中に組み込まれたパソコンが動かしています。そこがやられては、もう修理は無理」。こんな言葉に慣らされました。

昨年末で、小さな街のでんきやさんがわが町で店を閉じました。店主が歳をとり、後継者がいないんだと。こちらが先に歳とって、高いところの蛍光管の取り換え、頼んだこともあったな。でも続けてとはいえないお得意さんに過ぎなかったのだから。


2月22日・・猫の日

2023-02-22 13:29:09 | わが家の話

今日、2月22日はニャン・ニャン・ニャンの猫の日だそうです。単なる語呂合わせですが、家族として可愛がっていらっしゃる方々には特別な日なのでしょうね。

わが家はどうもペットを飼うような優しさに欠けた家風だったのでしょうか、実家も。わが兄弟姉妹の家でも飼ったことは聞いておりません。数少ないそれに類する話を書いてみます。

母の話
父が亡くなって、実家の家に母一人が残されました。70後半になっていた母はまだ元気で「誰かが帰ってくるまで一人で大丈夫」と気丈に実家を守ってくれたのでした。長兄が言いました。「寂しいだろう。犬を飼ったらどう?」。打って響くように荒げた声で返事がありました。
「いやよ。そんなもの飼う気はない!。20年おむつを洗い続けて8人の子を育て、どうやらみんな独立してくれて、今、やっと難しい父さんを送って、今からが自分の自由な時と思っているのに、なんで犬の世話をしなければならないの!!」。
子供8人、皆都会に出てゆき、帰っても来ないことを、こう言う言葉で言ったのだと、子どもたちは声なしでした。
その頃は、山口が田舎だからということもありますが、猫はペットとしてではなく、野良ちゃんが勝手にウロウロしていました。犬は数少ないけれど飼う人もありました。都会ではどうだったのでしょう。

わが家の子供たち
今住んでいるところに広い古い日本家屋があり、そこに暮らしていました。子供は小学生だったでしょう。道を挟んだお向かいに、どちらがどちらの家の子か分からないくらい仲良くしていた兄妹がいました。
ある時、4人がこそこそやっています。そ~っと冷蔵庫を開けて牛乳を出している気配も。
ああ、今朝から野良ちゃんの子供がうろついていた、あれを飼おうとしているな。と私にはオミトオシでしたが、黙って成り行きを見ていました。夫は犬猫などを好みませんでした。特に野良ちゃんが庭に糞をするのを嫌がっておりました。おなかをすかせてきた猫ちゃん、私も可愛いとは思いましたが「庭に来るのは仕方ないけれど、飼うわけにはいかないよ」と言い渡したのです。一晩離れの縁の下でにゃあにゃあ言っておりましたが、あきらめたのでしょうかいなくなって、事件は解決でした。
「ママに言っても飼ってはもらえないと分かっていたし・・・」と言います。「怖いおばさんだったからなあ」と少々恨んでいたようです。

息子Kのお嫁さんMiちゃん宅を訪ねた時
Kが26歳だったでしょうか、Miちゃんとの婚約がととのいました。息子と私ども夫婦で、ご挨拶に行くことになりました。出発前、Kが真面目な顔で言いました。
言っておくけど、Miちゃんちは猫を飼っているからね。3匹。家族でとても可愛がっていらっしゃるんだ。
わが家は、猫を見ると反射的に『シッ・シッ』と邪険に追い払うでしょ。今日はだめだよ。絶対しないでね。家族でとても可愛がっていらっしゃるんだから」厳命です。
応接間に通されました。席についたころが分かっているように、猫様たちもお出ましです。色艶のいい毛並み、真ん丸な金色の目、のそりと入ってきて、お父様の膝の上に。この上ない優しさで撫でながら「猫は目が素晴らしいですよね。本当に宝石みたいにきれいでしょう」。恐る恐る背中をなでて、どうにか無事に訪問を終えたのでした。

野良の子供たちが4匹、見事に毛色は違うのですが、じゃれながら遊びに来ます。乾ききった喉で水を求めてくるようです。中庭の蹲にぴょんと飛び上がって飲んでいきます。
夫と、可愛いんだけどね・・・と暫く見ている今日この頃です。