おせっちゃんの今日2

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昨日は失敗の日

2024-05-31 13:32:36 | 日記

子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。

結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。
次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。
その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。

その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。

ここで、問題が発生。おせっちゃんには子供が二人います。子供ですからそれぞれの段階で、それなりにお祝をやっていました。孫に打ち切り宣言をする時期が来ても、子どもは子どもです。子供の打ち切りは無いのです。孫たちが何だか変だねと言い始めました。復活宣言をして、おめでたいことだもの、いいよいいよということになったのです。

と前置きがだらだらと長くなりました。上でよくわからない説明をしましたが、我が家では、親は4人、旅立ちました。夫と私、子どもたちは貰う方になれてしまって、じじばばにお祝をとは思わないようです。夫婦二人で美味しいもの食べに行くくらいかな。内孫・外孫合わせて5人。あっさり結婚生活を始めた孫が一人です。その新しい孫ちゃんをを加えて「家族」と祝う人が12人となったのです。

これを忘れないように送るのが私の役目です。6月2日が、孫娘の誕生日です。少し余裕を見て、早めにと、昨日振り込みに行きました。このごろ現金書き留などは留守の多い独り者には受け取れませんから、振込です。忘れず振り込んだのは上出来ですが、あっ!!間違えた、娘Maに振り込んでしまったのです。
失敗失敗。MちゃんとMaにその旨ラインで謝る。

Maからの返信。
「ホーホー、もらっちゃおーってわけにはいかんから、今度帰省した時に渡しましょう」。

ばあばも惚けたねえ、と言わなかっただけ良い一日かな。


政治の三流は人々の三流の判断から

2024-05-30 14:07:58 | 言葉

『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』
片岡 義男 (作家)

鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。
この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」

この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに引っ張って行こうとしている人かわからなくなるのです。結局、今までの道をたどって、党や、派で名に覚えのある人を投票してしまうのです。自分でも、悲しくなりますが、名前が記憶にあると言っても、それがプラス方向のことで知っていたのやら、スキャンダルで覚えたのかさえ分からないこともあるのです。もっと、真実のその人の考え方や、生き方を知る方法は無いものかと思うのです。家事だけで手いっぱいの狭い社会で「政治」に関わることまでは分かりません、という結論になるのです。

政治とお金の問題にしても、その語られる金額があまりに大きくて、見当もつかないのです。日本が、世界が動いてしまうというのもねえ。

一つ望むこと、こうした馬鹿な主婦でもせめて生活に密着した政策で分からせていただけませんか。与党野党、他を貶める突込みばかりでなく、冷静に話し合って、論を戦わせていただけませんか。
怒鳴り合い、ヤジりあいではなく、他者の意見の取り入れたいところ、断然拒否するところ、改善すれば受け入れられるという話し合い、こうした冷静な議論で分からせていただけないものでしょうか。

 

 


まま、ずるいよ。当然だよ。

2024-05-29 13:28:54 | わが家の話

年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。
それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。
子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。

その夕食時
「先生、困っていらっしゃるようだったよ。給食は完食が目標なんだって」
「お腹いっぱいになるんだもん。食べられないよ」
「特にトマト一口も食べないんだって?!」
「あれは無理!。ママだって食べないんじゃあないの!!」
「お腹いっぱいなのに食べろったって。食べろ食べろと言われるとますます食欲なくなるよ」
「ママだって!」
「ママはトマトだけだよ、食べないのは。他は残さないでしょ」

「まま、ずるいよ!!お料理するのはママでしょう。自分の食べたくないものは作らないんじゃないの!!好きな物だけならたべられるよ~だ」

参ったな!!

それ迄長い間、食事時間が楽しい時間でなく、食べろ食べろの小言時間だったことを反省させられました。
食べる量など個性だよね。夕食だ食べなければ、食べたくないのに押し込むことないよね。明日の朝にはお中、空くでしょう。そしたら食べられるよね。そうだよね、無理はしないでおきましょう。そのうち食べたくなるよね」

子供から教えられました。食べる量など決まりがあるわけではないだろう。楽しんでいればいいんだよね。

5年生、そろそろ食べ盛りという年齢になってきました。
「ただいま~。今日のおやつ何~?ああ腹減った!!」。
チビはチビなりに成長していきました。

子育ては自分育てでもあります。親も学ばなくてはですね。


親も時代に即して生きなければ。

2024-05-28 13:44:32 | 知人友人

親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。

今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papa told me] 巻24の中の言葉(らしい?)

『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。

次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。

私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時代でした。明治生まれの親は、子どもたちをどうにか一人前に育て上げることに必死の思いを抱いたのだろう。特に下二人・おせっちゃんとらい太を嫁に出してしまうことを望んでいたようでした。
「おなごは学問はいらんじゃろう」
「女の幸せは結婚して子供を育てること」。呪文のように言い聞かされました。日本の大きな方向転換もものともせずに自分の生きた時代をそのまま踏襲していこうとしていました。4兄が、時代の変化を話して聞かせ、経済的にも援助してくれるというので、やっと地方大学に行かしてもらったのでした。

結婚も追い出されるように、毎日お相手を探さねばとその望みばかりを押し付けられました。見合いという制度が、必ずしも悪いとは限らないけれど。

親も時代を学び、そして流されず、あたまを進歩させなければ。

 

 

 

 


子育ての思い出 1

2024-05-27 13:42:51 | 思い出

先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。

頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。
私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。

夫と私の会話

「うちの子は、こうした玩具は欲しがらなかったね。ねだられた覚えがないよ」
「ふ~ん、仕事が忙しくて、子育てはほとんど任せっきりだったけれど」
「フィギアを並べ立てるなど一度もなかったような気がする。うん、そうか、私が怖かったんだろうね。
きっと、欲しいと思ったこともあったのかもしれないけれど、ねだっても買ってもらえないと端からあきらめて言わなかったのかもしれない。うん、それが理由だね」
「怖~いかあちゃんだったからね」

息子Kが2年生の時だったかしら。北海道の方で起こった悲しい子供の自殺。スキーの板が古くなったから買い替えて欲しいと親に頼んだけれど、買ってもらえなかったからと、自殺したという悲しい事故が起こりました。担任のO先生は、HRでこのことを話題に話し合いの時間を持たれました。

その後まもなく、父母会がありました。会が終わって教室から出ようとした私に先生がおっしゃいました。
「K君はこう答えましたよ。こんなことで死ななくっちゃいけないのなら、ぼくは毎日死ぬことになると言っていましたよ」
肯定のお言葉か、困った親だと非難のお言葉か? 私は不謹慎にも、声をたてて笑ってしまいました。

家で。「K君、そう答えたんだって?」
「うん、そうだよ。本当のことだろう!怖~いかあちゃんだからね。いらない争いはしたくないよ」
「親戚のおばちゃんが、お誕生日祝いと、ガンダムかな?組み立てる奴をプレゼントしてくださった、しばらく遊んだけれど、すぐ飽きて、置き場に困ったようだった、年下の甥っ子に上げたよね」