おせっちゃんの今日2

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政治の三流は人々の三流の判断から

2024-05-30 14:07:58 | 言葉

『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』
片岡 義男 (作家)

鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。
この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」

この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに引っ張って行こうとしている人かわからなくなるのです。結局、今までの道をたどって、党や、派で名に覚えのある人を投票してしまうのです。自分でも、悲しくなりますが、名前が記憶にあると言っても、それがプラス方向のことで知っていたのやら、スキャンダルで覚えたのかさえ分からないこともあるのです。もっと、真実のその人の考え方や、生き方を知る方法は無いものかと思うのです。家事だけで手いっぱいの狭い社会で「政治」に関わることまでは分かりません、という結論になるのです。

政治とお金の問題にしても、その語られる金額があまりに大きくて、見当もつかないのです。日本が、世界が動いてしまうというのもねえ。

一つ望むこと、こうした馬鹿な主婦でもせめて生活に密着した政策で分からせていただけませんか。与党野党、他を貶める突込みばかりでなく、冷静に話し合って、論を戦わせていただけませんか。
怒鳴り合い、ヤジりあいではなく、他者の意見の取り入れたいところ、断然拒否するところ、改善すれば受け入れられるという話し合い、こうした冷静な議論で分からせていただけないものでしょうか。

 

 


『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば

2024-05-23 16:19:28 | 言葉

ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。
彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。

確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。

難しいことです。

おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。
何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。

ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「なさけはひとのためならず」が話題になったのでした。私と妹のらい太と、生意気な口もきくように成長していました。三兄がかるたの意を素直に解釈して、大事なことでよ、と言い始めました。私とらい太、「近ごろはかなりの人が、違うように解釈するんよ」とちゃかしました。

多くの人が、「他人に情けをかけることはその人のためにならない。なさけはかけてはいけないと解釈するんよ」

そりゃあ、間違や。おせっちゃん間違って理解するなんてとんでもないことでよ。本気で叱りました。


折々のことば・・・伊東四朗

2024-05-22 13:43:14 | 言葉

ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。
私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。

『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』  伊東四朗

「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。
「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」
「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。

プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、仕上げてのことなのだろうと、分からないままにも、思いいたすのです。

俳優の汗という時、頭に残っている言葉があります。私は結婚するまで、山口県の片田舎に、暮らしました。すでに幾度も書きましたけれど、時代は戦後で、日本が貧しい時代、我が家は、父が追放され、貧窮の時代でした。新生活を始めた福島市から、東京に出てきて、舅に会うことがありました。舅は、私をお芝居に連れて行ってくれました。確か、水谷八重子の「女の一生」だったと思います。

幕が上がると茶店のようなところで、何人かが雑談をしているよう。そこへ八重子氏の登場です。この時の場の変化が、今も私の脳味噌のしわに刻み込まれています。一瞬劇場全体の空気が変わったのでした。

後にお芝居を観に出かけることもしましたけれど、夏の盛り、今ほど冷房完備でもないところで、涼しい顔で勤める女優さんに感心したものです。後に雑誌か新聞かで読んだ知識だと思いますが、大女優が「あせは出ない!!」と思えば出ません。帯の下には出ても、顔には出ないものです。と言い切っていて、これも私の折々のことばのひとつとして残っています。


古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉

2024-05-21 13:49:52 | 言葉

不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。

『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』 アリストテレス

ここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。

人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。
「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。

自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。


12日間も・・折々の言葉から

2024-05-20 13:30:19 | 言葉

『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』  ジョン・E/・スタインベック

暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。

今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。
決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。