おせっちゃんの今日2

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おおきくなるっていうことは

2022-12-17 16:21:19 | 言葉

それでなくっても苦手な歳末の主婦仕事、目出度いことながら、急遽決まった孫娘の結婚、なにか落ち着きなく過ごしています。
そんなわけで、いつもより早いブログの店じまいをいたしたいと思います。
きょうも「折々のことば」から、そのままをご紹介いたします。
来年まで雲隠れします。皆様良きお年をお迎えくださいませ。

この言葉を読んだとき、頭に浮かんだのが預かった幼児に暴力を加えたという保育士の女性たちのこと。自分の子供を育てている母親だと言います。自分の子供と、預かった子供と、どう認識していたのでしょうか。鬼の保育士が、自宅に帰るまでの時間にくるりと聖母になれたのでしょうか。
私も決していい母親ではありませんでした。世にモーレツ社員という言葉が流行った時代でした。その日のうちに帰ってくれば上等でした。元気で勤めてくれればと思うよりありませんでした。子育て家事仕事は全てが主婦に背負わされました。
正直なところ、常に寝不足。それでも「三食昼寝付き」と揶揄されていたのです。

子供の泣き声に思わず怒声が出たことも度々でした。

今日の言葉のように育て育ちする子供の成長を望みたいですね。そして保育の立場の人も、余裕をもって子供に接していけるような環境が欲しいですね。


時間の節約は・・・

2022-12-16 14:35:56 | いろいろ

昨日のブログ、正直に申し上げますと、もう少し続きを書くつもりでした。つい最近読んだ折々のことばに、続けるいい言葉を見つけて、確かに切り取ったぞとそれを頼りにするつもりでした。
切り抜きをきちんとスクラップブックにはしていませんが、ひとまとめにはしています。・・・と思ったのです。それがなかったのです。こころあたりを探しても探しても・・・
あきらめて、そこで無理やり打ち切って夕食づくりを始めたのでした。

あったのです。昨日出来上がった、カレンダーの卓上型をじいじフレンドに送ってやろうと、昨夜夜中に自分で印刷したものをレターパックにしていました。宛名書きをしようとしたらその手帳に挟まっていたのです。
前置きが饒舌でしたね。要は自分の老い、頓馬さを告白してしまったわけです。
さて本題に入ります。

「時間の節約は命の延長につながる」

解説者の鷲田清一氏が、居酒屋の貼り紙で見つけた言葉のようです。解説文も前後を省略しますが、そのまま使わせていただきます。

「いのちに限りがある以上、何事も時間をかけずにさっさとやれば、生涯にできることは増える。長生きしたと同じになる。一方、急いてばかりいるより、満ち足りた時にそれこそ時を忘したる方が幸せである」

ここ2・3日探し物ばかりしたおせっちゃんは、残り時間の無駄遣い、即ち寿命を縮めたことになったのだなあ。オヤオヤ。

この居酒屋さん、なかなか作文力に優れていますね。わしの居酒屋で飲むのは、寿命を縮める時間の無駄遣いでhないぞ、と言っているのかな?


短く感じる時間・長~く感じる時間

2022-12-15 16:50:36 | パソコン教室

今日は木曜日、パソコン教室の日です。新しいことを学ぶ楽しみもあるけれど、授業の合間合間のおしゃべりが嬉しい。なんでもない雑談から新しいことを発見したり、世界が広がったりします。狭い世界で生きる主婦にはこの雑談が価値があります。
10月から頑張った来年のカレンダー、業者に出していたものが印刷されて帰ってきました。なかなかいいものが出来ました。

これはまた、月初めにお目にかけることにします。請、ご期待!!

出来上がったカレンダーを見ながら、誰もが一様に漏らす言葉。「いや~、あっという間に年末ねえ。速いねえ。あっという間の一年ね」

NORI先生がクイズ問題。「歳を取るほど短く感じるって、何故だと思う?」一同一寸考えて、「脳味噌に、今までの経験が詰まり過ぎて、新しいことはいる余地が無いのではありませんか」
「そう私もそう思ったの、でもチコちゃん(NHK)が言っていましたよ。そうではないと」
「へえ~え、じゃあどうして?」
「歳をとると感激する心が無くなって来るんだって。子供若者は、新しいことに大いに興味を示し、感激し、印象深く感じ取るんだって。強く感じたものは長く残るのでしょうね」
「では、歳とっても、物事に興味を持ち、好奇心を働かせて感激すれば、有意義な長~い時間が持てるわけよね」
「う~ん、結局自分の心の持ち方かあ」

それから授業に入りました。

チコちゃんの説は正しいかもしれないと思います。
興味を持って、夢中でやっていることは印象深く記憶されます。その記憶は長~い時間として脳に留まるのでしょうか。逆に、退屈で居眠りしながらいやいや聞いた話などは、その長すぎる時間も、何も残らないのでしょうね。
充実した時間を過ごすことが大事なのでしょう。


なぜ女性だけ制服なんですか

2022-12-14 15:02:12 | 時の流れ

10日の朝日新聞夕刊第一面にタイトルの文字が問題を投げかけていました。詳しいことはそれを読んでいただくことにして、ざっと記事をまとめてみました。

金融機関の窓口の女性職員はそろいの制服というイメージがある。でも、
女性だけが制服を着ていることに違和感がある。
制服姿の女性は男性に比べて補助的な立場だと社内外から見られているように感じる。
などの意見が出てきた。

制服には店の統一感を高めたりお金を扱う上で、大切な公私の切り替えができる。との意見もあるが、なにを着れば、お客様に好印象を与えるか、を考えて働く方が結果的に信頼を得られる。と制服廃止を決定した。
男性女性の性別での区別を失くすること、今や一番の条件なのですね。

英語が全くダメなおせっちゃんが、アメリカの女子高校生を2週間ホームステイさせたことがあります。妹のらい太が、私より積極的で、新しいことに挑戦するタイプの人間です。らい太家・おせっちゃん家どちらの子どもたちも学校に行っている頃のことです。ホームステイを引き受けていた、らい太が、検診で胃がんの診断を下されました。手術は早い方がよいと、急遽入院ということになったのです。おせっちゃんは突然後を引き受けざるを得ないことになったのです。Kは大学4年生で、就職の内定は出た夏休みのことです。あちこち連れて行くのは彼が引き受けてくれましたので、おせっちゃんは、要するに飯炊きおばさんでした。

単語を連ねたり、手ぶり身振りで意思を伝えたりの2週間でした。
エイミーというアメリカ娘はらい太家の娘たちと、Kも高校時代は通っていた日比谷高校に生徒として入学しました。制服はらい太家の娘のものを借りたのでしょうか、私服だったのでしょうか。
ある時、制服の話になりました。「みんなが同じ制服を着ることをどう思うか」との話し合いになったことがありました。

エイミーの返事は「コンビニエンス」でした。自由だといろいろおしゃれをしたくなるし、決まっていれば、それさえ持っていればすぐ身支度できて便利〰というのでした。

この時代には、制服の男女差別などまったく問題にもなっていませんでした。
以前書きましたし、私の恥ずかしい歴史の一ページですから、なるべく書きたくないのですが、大学卒業後、3年間だけ、不真面目教師をしました。今はもう全く違った高校に変わっていますが、当時、その学校は言いにくいのですが、県立を落ちた子が入る2流校でした。中には風紀を乱すような子も出てくるのです。知識を教えることに加えて、風紀問題が指導の大きな部分でした。
兎に角締め付けを厳しく、きちんとした服装が正しい高校生を作るという一点張りでした。制服のスカートの長さ、上着を改造してないか、ネクタイはきちんと結んでいるか、眉毛を描いていないか、前髪が眉毛にかかっていないか、などなど、調べるのが教師の仕事でした。

ここまでやられると、もはや制服の便利さも、統一感もあったものではありません。
自校への誇りも何もあったものではありません。この教えの一端を担ったのだと思うと、ますます、自嘲したくなります。

 

 


娘Maのマラソン観

2022-12-13 13:51:16 | いろいろ

最近でも、冬場の体育の時間はマラソンが取り入れられているのでしょうか。交通の激しい都会では道路を使っての長距離はないかもしれませんね。
わが家は子供二人が高校生活は北九州小倉で過ごしました。都会ではありますが、冬場の体育はマラソンの予備訓練があり、2月ごろでしょうか、マラソン大会と銘打って全校生徒が走って、競争をするのが習わしのようでした。

いま走ることに情熱をかけているKは高校時代はさして打ち込んではいませんでした。まあ、普通、と言ったところだったでしょうか。
日頃徒競走ではビリではなくても、決していい成績ではなかったMaはマラソン大会では頑張って、上位に食い込んでいました。
1・2学期は球技も苦手、水泳もおぼれない程度で、教室に通うこともしませんでしたから、ペーパーテストと足しても大した点は付ませんでした。
3学期、マラソン大会の順位が、評価に加わるとぐんと評価が上がるのが常でした。

ある時、そのMaがつぶやくように言いました。
「3学期、マラソンは評価されるけれど、運動部の選手のようには評価対象にはならんのよ。県内で優勝する選手などがやはりいい点とっていくのよね」、というのです。
「私、評価されるされないと、決して文句を言うわけではないんだけれど、考えてみて。人生を歩んでいくときに、本当に役に立つのはどっちだと思う?。勿論オリンピックで100分の一秒を争って勝つ選手、偉いと思うよ。素晴らしいよ。でも人生、コツコツと牛の歩みで一歩一歩田圃を耕し、作物の車を引いてゆっくり、けれども根気良く歩む牛がなぜ評価されないんかね。短距離よりも、長距離を走り終える方が、人生にはより必要かもしれないと思わない?持久力、根気、これはもっと評価されていいと思うけど」

単なる負け惜しみではない、人生行路の一つの考えでした。。