時々このブログに登場する、孫H君が昨日来ていました。彼は、老いたじいじばあばの様子を見るためか、それとも上昇しているホテル代を浮かせたいからか、少しの暇を見つけては、訪ねてくれます。昨日は、勤め先のお正月休みが取れたからと、来てくれたのでした。例によって、高いところの作業、重いもの、その他手伝うことあったらするよ~と言ってくれました。
初めから、夕ご飯、何でもいいから食べさせてもらえると嬉しい、ということだったのです。
夕方になりました。「今日、夜中の最終電車迄おらせてもらえるかな。最終で羽田に行き、明日の朝いちばんの早朝飛行で台湾に行ってくる」とのこと。一人旅行だとのこと。勿論いいよいいよということで、私には、サッカーの名解説者になってくれました。
「台湾」ということで思い出して私の思い出話を始めました。舅が亡くなった喪中の正月の姑との思い出です。
「ひいじいじが亡くなって,ひいばあばに一人でお正月を過ごさせるのはいくら何でも・・・ということで、我が家は台湾旅行をキャンセルしたのよ」
「そりゃあそだろうね。当然だよ」
「と思うでしょう。ところがね、お迎えに行きますから、お正月東京でいかがですか。と訊いたのよ。予想外、冗談ではありません。私は、この正月、やっと一人で好きなように暮らせると思っていたのよ。誰がわざわざ東京くんだりまで行くものですか、とのこと」。
私の話を半分も聞かないうちにH君
「曽ばあ、遠慮したんだね、子ども孫が折角立てた計画を、自分が壊すことなどしたくない、と思われたんだよ。若い者の気持ちを推量しての言葉だよね」
当時の姑の言葉にもびっくりしましたが、このH君の温かい、言葉にびっくりしました
姑はかなりきついところもある人でした。その上、自分の思ったことを素直に柔らかく言う事より悪ぶって、皮肉たっぷりに言う人でした。それへの付き合いが度重なると姑の言葉の底の本音を理解しなくなっていた嫁でした。
30前の現代っ子、H君の言葉の奥底の理解に、教えられました。今更取り返しができませんが。