親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。
今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papa told me] 巻24の中の言葉(らしい?)
『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。
次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。
私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時代でした。明治生まれの親は、子どもたちをどうにか一人前に育て上げることに必死の思いを抱いたのだろう。特に下二人・おせっちゃんとらい太を嫁に出してしまうことを望んでいたようでした。
「おなごは学問はいらんじゃろう」
「女の幸せは結婚して子供を育てること」。呪文のように言い聞かされました。日本の大きな方向転換もものともせずに自分の生きた時代をそのまま踏襲していこうとしていました。4兄が、時代の変化を話して聞かせ、経済的にも援助してくれるというので、やっと地方大学に行かしてもらったのでした。
結婚も追い出されるように、毎日お相手を探さねばとその望みばかりを押し付けられました。見合いという制度が、必ずしも悪いとは限らないけれど。
親も時代を学び、そして流されず、あたまを進歩させなければ。