おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

失敗!!・うっかりミス!!

2023-11-30 13:42:24 | 日記

先入観ですっかり思い間違いをしてしまった。うっかりミスと書いたが、うっかりどころではない。丸々完全な思い間違え。

今日は木曜日。木曜日と言えば、パソコン教室の日。忘れるはずのない楽しみの日なのである。それを間違えた!!。勇んで1時5分前に教室をのぞいたら、電気はついていない、上天気なのに窓は締めっきり、もちろんにこやかに迎えてくださるはずの先生はいらっしゃらない。
あれ~?!ばあさんまちがえたな。間違えてきたと思わせては、先生にお気を使わせるばかりだからと、逃げるように道の角を曲がる。
私の頭の中では、今日は第5週だということは承知していた。23日がお休みだったから、今日・5週はあるはずと一人合点に思い込んだのだった。角を曲がって、カバンの中の日程表を見る。5週は休み、と赤字で書いてある。ああ~、おせっちゃんの間違い間違い。
しおしおと引き返す。自分に言い聞かす。落ち込むな。こんな間違いよくあることと笑え! 主婦にかえる。
夕方の買い物済ませて帰ろ~っと。

夫の物忘れがひどい。物の置き場がもともと一定しない人だけれど、それに記憶力低下が重なる。年中探し物。自分で探すことはしない。私に下駄を預けてしまう。
先々週、障子貼りの応援に娘がMちゃんと来てくれた。まあお笑いの人の仕事かと思うほど、にぎやかに喋り捲りながら、三人でうまくできた。そして慌ただしく去って行った。

静になったわが家に、失せ物探しが残った。かなり使ったものだけれど、バスタオル一枚、とかなりひんぱんに使う機会のある、小さな紙切りバサミ一丁。
バスタオルは、客の二人がどこかに仕舞っていったのだとは思うけれど、ハサミは完全に犯人は夫だと思う。私のペン立てから取っては使い、どこに置いたか分からなくなるのが常だから。自分自身もそう思っているらしく、態度いつもより小さい。

ガラス拭きなどして、一寸サボっていた掃除を、今朝何日かぶりにやった。失せ物ふたつ、どっちも出てきた。タオルはMaがきちんと畳み、新しい予備のタオル引き出しに仕舞っていた。古タオルが昇格していて見つからなかった。ハサミは犯人は分からないけれど、おこたの中に紛れていた。ああ、すっきりした。

自分ではないときっぱり言い切れないところが、歳ですねえ。

  


わずかばかりだけれど

2023-11-29 13:36:13 | いろいろ

わが家は郵便の配達がかなり遅い地域らしい。今朝、朝刊を取ろうとしたら、昨日配達の郵便物がはらりと落ちた。日本ユニセフ協会から寄付を募るものだ。
う~ん、このところ私の管轄の生活費は押してきて、「残りはおせっちゃんのお小遣い」の部分は減る一方だ。どうせ寄付したとしてもわずかばかり、この度はスルーしようかな、と思ってしまう自分。

振込用紙とともに入っている貧しい子等の、それでも無邪気そのものの笑顔が引き止める。
病を得た夫の昼食代が健康の頃より増えてきているけれど、私は、幸か不幸か、出かけない、お付き合いは無い、従って着るものも要らない、・・・どうにでも一万円はひねり出そう。その向こうに生きている子どもたちより、自己満足の、偽善者満足をするために、と振込用紙をきちんとしまう。

偽善という言葉に、始めはたじろいたこともあった。でも芸能人たちが、喜んで偽善者になろう。それで助かる命もあるんだ、と言っているのを聞いて、額は天と地でも、私なりにと思い切ることにした。

言葉少なくテーブルの向かいで食べている夫に、その決心を伝える。もともとはあなたの稼いだものだしね、という思いである。
「ねえ、戦後ユニセフのおかげで、脱脂粉乳を恵まれ、生き繋いできたんだものね」と伝える。理解しているんだか、いないんだかは定かではないけれど、会話が繋がった。

一つのの映像が浮かんだ。二人の子が、小1と2の時である。学校で、ユニセフの募金を集めるために、古新聞を子どもたちに持たせるようにとのお達しがあった。
我が子二人は、おチビのおチビ、身体より大きいかと思われるランドセルを背負って、束ねた古新聞束を手に下げ、よたよたと。それでも、わたしから、「ママも小さいときはこのユニセフのおかげで生き永らえたのだ」と聞かされたのが分かっているのか、頑張って運んでいった。

PTAのお役を引き受けていたから、校長先生と気軽に話せるほどの関係になっていた。
「おせっちゃん、ちょっと無理じゃあないの。少し手加減がいるよ」。チビ二人の運搬を心配されたのだ。「大丈夫です、鍛えてあります」

さて、これは虐待なのか? 
我が子は「運べたよ」と笑っていたけれど。

 


奥ひろし・・・洗面台

2023-11-28 16:02:06 | 日記

夫が父親から相続した土地に木造2階建ての家を建てて住み始めたのは、子どもたちが短大・高校生の時でした。それからあっという間に月日は流れ、古びてガタの来た箇所が目立つようになってきました。手を入れなければ・・・と言い始めてからも先延ばし、先延ばし。床が歩くたびに沈む、我慢の出来ない状態になって、この度思い切って最小限だけれど手を入れようということになりました。

新築の時任せた大手の業者にという考えもありましたが、この度は、大手の業者と、近所の小さな業者とに見積もりを出してもらって、そのあまりの値段の違いに小さな業者を使うことに決めました。私の友人の息子さんが社長をしている業者で、信頼も置けそうです。

いろいろ取り決めなければいけないことがあり、これが見本と、ド~ンと厚さ8センチもあると思われる見本帳を置いていきました。

その一つ。洗面所の洗面台。これは水回りとて、替えるよりないようです。その中に洗面器の下の排水パイプなどで、空間がうまく使えず、結構広い空間なのに無駄にしていたのです。改良して有効に使えるというウリの台があります。名前が面白い。奥が使えるということで、「奥ひろし」という愛称です。値引きもしてくれるようで、決定!!のようです。

息子Kと私の会話。
「どうして、今まで改良されなかったんだろうね」(K)
「こうしたところ、男はあることさえ気がつかないだろうね。女性社員が、物言える立場を確保してアイディアをひねり出したのだと思うわ」(おせっちゃん)
「このごろは、男性がこの職種、女性は・・・ということもはばかられるのだろうけれど、そんなことで角突き合わせているのは何の役にも立たないと私は思う。やはり女性でなければ気がつかないこと、いくつもあると思うのよ。今までこうした陰の力を馬鹿にしていたのではない?!」


折々のことば・・・柚木沙弥郎(染色家)

2023-11-27 13:39:45 | 言葉

26日日曜日の折々のことばです。浅学の私は柚木氏を知りませんでしたが、言葉はどうにか容易く理解できるような気がしました。

★ 『”明るく”あきらめるのがいいね』続いてこんなことを言っていらっしゃるようです。歳をとると、いろんな事が出来なくなる。散歩も風呂も、大好きな餅を食べることも。でも其れを辛いとは思わず生きてきたと。人生は楽しくなくっちゃ、いけない。自分の出来ることを変えていけばいいのだ、と。

出来なくなったらなったで、出来ることを見つけてそれを楽しむことがコツなのかな。

私が脊柱圧迫骨折を患って痛みにさいなまれ、少し回復したらしたで、楽にはなったけれど元には帰っていない、万全には遠い、と焦っていた時期がありました。ある時、親しい友人が、「おせっちゃん、あんた万全というけれど、どうなったら満足なの?それは無理よ。この年になって元通りになると思ってはダメ!!自分ができる範囲で楽しむのよ!!」と叱られたことがありました。自分でできることを変えて生きていく、そしてそれを楽しむ、これがコツなのかな。


紙面を下に目でなぞります。次の私のコースは「天声人語」。偶然か、ここも同じような視線で書かれていました。私の浅学も同じようにバレバレ。

天声人語氏はローリング・ストーンが18年ぶりに出した新作を聴きながら理想の老いとは?と考えた。

近年高齢化したストーンズは高齢化して、ライブは変化がみられると。昔の曲は音が間引きされているという。「失敗も面白くなるバンドです」とファンも楽しんでいるという。

新作は、レディーガガら著名アーチストを助っ人に招いている。衰えを認め、失った音は変化を恐れず、助っ人と一緒に作ろうと言っているようである。

他者の助けを受け入れ、生き延びようとする、何と人間らしいことか。
ヨタヨタになっても頑張れ!と声援を送りたくなる、と。

次は、偶然目についた、読者投稿の短歌欄.佐々木幸綱の巻頭歌。

宝石を拾ったようなこころもち白寿を過ぎしひと日ひと日は(我孫子市 松村 幸一)

松村さま、勝手に使わせていただきました。ごめんなさい。

 


お茶事の後で

2023-11-24 14:11:41 | 思い出

子供二人が同じ年に結婚して、独立して家から出て行きました。自分では空の巣症候群などにはなっていないと思ていましたが、やはり気が抜けたようになっていたのでしょう。なんだかぼんやり暮らす自分に嫌気がさし、お茶のお稽古に通い始めました。
ご指導は、母・娘2代で教えていらっしゃる、いわゆる玄人の方でした。

その先生が、怒りを押し隠し、悲しそうに弟子たちに苦言を呈されたことがありました。
ご自宅を開放して、お茶事に招いてくださったのでした。塗りの器に簡単な食事つきのお茶会でした。

「びっくりしてしまいました!」

若い方々に手伝わせて、塗りの器を片付けました。弁当箱状態の器の蓋を取って、思わず声をあげてしまいましたよ。器の底に、魚の骨が、乱暴に散らかされていたのです。常識と思って指導しなかった、私たちも悪いのですが、こんな無作法許せませんよ。厳しく言いますから、ちゃんと礼儀をわきまえてください、とのお言葉でした。

★ 箸を上手に使って、なるべく骨は崩さないように召し上がること
★ 全部食べ終わったら、せめて、懐紙を畳んで覆いをしましょう
★ 出来たら、あらかじめ懐紙を用意しておいて、骨など残ったものは包んで持ち帰るほうがより礼儀にかないます。
★ 器が汚れていたら、器が汚れていたら、濡れた茶巾でさっとふき取って、先ほどの骨の包みとともに、用意したビニール袋に収めて持ち帰りましょう。

お茶に懐紙は当然の持ち物ですよね。その他は、心がけとして、用意しておくのが心得ですね

ということでした。

大仰に、見せつけるようなことなく、手早く、美しく始末すること、日ごろの鍛錬が必要のようでした。

日本には、こんな奥ゆかしい後始末の心得が伝えられていたのですね。いつのころからか、廃れてきていたのですね。私も食い散らしたままということはしませんでしたが、それ以下のことは心得ておりませんでした。戦後の食べるだけで精一杯の時代に、母も躾が行き届けなかったのでしょう。それとももっと前、母の母(祖母)の時代から廃れてきつつあったのでしょうか。茶道の席で、辛うじて伝わっていたのでした。