おせっちゃんの今日2

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高見のっぽさん

2023-10-17 13:42:29 | 新聞記事から

私と同年配、または、その前後の世代の方は概ね懐かしく思い出されることと思います。子供とともに「できるかな」を思い出されることと思います。
朝日新聞夕刊に、その懐かしい姿が載っていました。昨年9月10日、亡くなっていらしたのですね。

のっぽさんをしのぶ文章はインタビューをした大井田ひろみさんがまとめた哀悼の文章でした。

新聞からのスキャンですが、まず、のっぽさんの写真で偲びましょう。

大井田さんはインタビューをしたのは、子供さんが保育園に通っている頃だった。育児も仕事も上手くいかず、悩んでいた。絵も工作も苦手で、接し方にも自信がなかった。

81歳んのっぽさんにお会いした。のっぽさんの声は深く、優しく響く声だった。

「手先はブキッチョです」「だからこそ一生懸命やりましたと語った。」「うまくやろうとしてはいけませんよ」。

最終回を除いて、一言もしゃべらない出演だった。音楽に乗った動きで工作を作り上げる仕事だった。紙コップや新聞紙が生き物やドレスに生まれ変わった。不思議だった。ワクワクした。

写真は、取材の際、「親になった世代へのメッセージを動画で撮らせて」という大井田の願いに、ちょっと踊ってみましょうかと雨の日に、持ち歩いていた青い傘を小道具に踊ってくださった写真です。

子供のことを「小さい人」と呼んでいた。「とても賢いんですよ」と語りかけた。

生前、亡くなったら公表を半年以上伏せてほしいと希望していた。事務所の人は「人は誰でもいつか死ぬのだから、周りの人を騒がせたくないというのっぽさんの優しさでは」と語る。
亡くなった夜、外に出て見ると、中秋の名月が美しかった。「僕は風のようにいくからね」と話していたという。

ご冥福をお祈りいたします。


にやりと笑える朝日歌壇「番外地」

2023-09-09 13:58:16 | 新聞記事から

落ち着いたら、書くこともあると思いますが、今週は私に悲しい一週間でした。
気持ちとは真反対の、にやりと笑える記事で週を締めくくります。

8月30日の朝日新聞 文化ページに、朝日歌壇「番外地」が載っていました。
寄せられたが、選には漏れたユーモアあふれる秀歌だと言います。今年の選者は永田和宏。
選歌につかれた頃、「こんな歌があるよ」「どれどれ」とひとしきり笑う、選者元気づけのサプリだそうです。「笑い、元気、AIに出来ぬ言葉遊び」と副題がつけてありました。

まだ惚けてないと思は酒飲みの酔っていないと言ふに似るかも

記憶力を維持するサプリを買ったけどどこに置いたかもう忘れてる

十センチ髪を切っても気付かない夫に今夜毒を盛ろうか

ひふ科医院に長子忘れて末の子が「にいたんいない」と泣いた秋の日

ハグすればお腹とお腹がぶつかって笑えば二つの腹が震える

骨密度を補うように肉密度増して整うホメオスタシス
   ホメオスタシスは恒常性の意だと。

雨音に煽情香水帯だとかせめて妄想ふくらます夜

山手線ことば遊びを楽しみぬ池袋、原宿、五反田(イブクロ、ハラスク、ゴハンダ)乗り換え

わが家にも阪大、京大ありますと母が言ってた飯台、鏡台

大臣はペットボトルの棚のよう更迭すれば次が出てくる

ユーモアかしゃもじ贈れば戦いに勝てるものならカープ常勝

以下3句省略。解説文も省略。 


子との同居・・どう思いますか 3

2023-09-02 13:05:17 | 新聞記事から

もう、一年ばかり前の話になったでしょうか。新聞の下部の広告欄に目が留まりました。新刊の本の広告です。「幸福度の最も高いのはおひとりさま」という見出しでした。副題などを読んで想像するに、ある程度年を取って暮らしていくにあたって、おひとりさまが一番幸せ度が高いという事らしいのです。
言いにくいことですが、夫婦で年を取って病んだ方を、他方が介護するのは大変な事。一番幸福を感じるのは連れ合いを亡くして(またはもともと結婚していなくて?)いて一人で自分を死まで運んでいく人が一番幸福なんだという事らしいのです。

交際範囲の狭い私は、週一で通うパソコン教室のお茶の時間に、話題を提供してみました。
私より干支一回り、一回り半お若い方が、即、「でも寂しいんじゃない?」とおっしゃいました。さあどうでしょうか、一瞬沈黙の時があって、また一人、「おひとりさまの年齢にもよるんじゃあない?」と。

4,5年前のことでした。夫が急に「生物の中で、子孫を残す時期を過ぎてから、いつまでも生きているのは人間くらいなのかなあ」と言いました。私は「そうだよ、特にオスはね。生殖の役目が済めばもう用なしだもん。ひどいのになるとカマキリのように、メスの食料に食い殺されるのもいるよ」と答えました。まだ元気だった夫も笑って、「我が家の奥さまは、食い殺しはしてないね」と言ったものでした。

さて、私のおひとりさま時間をつぶしている旦那様は・・・

もっと書きたいと思っていましたがこれ以上は書けません。でも、確かに姑・母の連れ合いとの別れの後の自由を得た時の言葉は、今私に寄り添います。


子との同居・・どう思いますか 2

2023-09-01 12:42:00 | 新聞記事から

昨日は,gooブログがメンテナンスとやらでアップ不能でした。失礼いたしました。

一昨日は、朝日新聞声の欄の投書をお断りもなくまとめさせていただきました。今日は、私の経験などからテーマに沿ったことをを書いてみようと思います。

● 舅姑の場合
夫の母は小学生の時亡くなった実母の後の継母でした。

外地赴任が迫っている父と4人の子供のためと、結婚したようです。父の外地赴任中に、長男長女を結核で亡くしたり、苦しいことを切り抜けてきたようです。父を送り、交代で話し相手に山口まで帰省する私共に、「私は結婚に失敗した、私は軍人は嫌いだった」と愚痴っておりました。

舅は93歳で亡くなりました。その時姑は88歳だったでしょうか

服喪中の年末、私ども家族は海外旅行を計画していました。家族4人で話し合って、「おばあちゃんを一人でお正月を過ごさせるわけにはいかない。年末年始東京に呼んであげよう」と考えたのです。キャンセルして、母には上京を進めました。

びっくりするほどの怒り声でした。
「私はやっと誰にもわずらわされずに、自由に静かに一人暮らせると思っているのに、東京なんかに行くものですか!!」
寂しさを感じるよりは自分の自由が確保されたことが何よりの喜びだったようです。

96歳でしたか、亡くなりました。一人暮らしを通しましたが、私と、義姉と交代で介護、話し相手に通ったのでした。

● 実家の母の場合

もうブログに何度も書きましたように、戦後職を追放された父でした。農地改革で4反の農地と山の中腹を開拓したミカン畑と家が残されたものでした。産めよ増やせよの標語に忠実だったわけでもないでしょうが、子どもが8人でした。にわかに農業をやり、ほとんど現金収入のない一家の生活だったのです。

父は掛け声だけして自分では働かないような人でした。母も娘時代は地主のお嬢様で暮らした人だったと思います。それでも生きねばならなかったのです。小さな体で、慣れない農業を必死でこなしていたようです。兄たちが農業はよく手伝ってどうにか食っていけたのです。生活が楽なはずはありません。
貧乏暮らしは、確かに苦しかったでしょうが、母には敗戦までの軍人の妻という誇りが無残に壊れ、逆に見下げられるような経済状態が、苦しかったのかもしれません。

まあ、どうにか年月は過ぎていき、世の中も落ち着いてきました。父はもうすぐ90歳という時、それこそ、死と生とその境界を一跨ぎしたように、一瞬で亡くなりました。母は79歳だったでしょう。

父の葬儀も終わり、子どもたちが茶の間に集まっていました。長兄が言いました。
「お母ちゃん、寂しくはないか。犬でも飼ったら。気がまぎれないかな」と。

激しい口調で「なんで私が犬コロの世話をせんにゃあならんかね。冗談じゃあありません。難しいお父ちゃんに仕え、子供8人を育て、おむつを20年洗い続けて、、やっと一人になるんよ。私にも自由気ままの時があっても良かろう!!」

少し経った頃、こんなことも言いました。「私は、今が一番幸せ。だって私が大将じゃから」
世の中が少し豊かになった頃にも、父が財布は握り、欲しいものも買えなかったのではないでしょうか。こんな手紙が来たことがありました。「誕生日祝いや敬老の日のお祝いなどは、お父ちゃんと私と別々に送ってくれん。一緒だとお父ちゃんがみんな仕舞うのよ」。そんな時代に生きた人でした。

 

一昨日、声の投書氏の方々が、原稿選びの新聞社の好みもあるのでしょうが、子どもとの同居を断わられる方が多かったですよね。皆さん自由をやっと手に入れたとおっしゃっていました。

母たちも同じ思いだったようですね。私が大将とはしゃいでいた母も、だんだん歳を重ねると心細かったようですが、86歳で、彼女もまた、一人で一瞬に亡くなりました。

 

 


子との同居・・どう思いますか

2023-08-30 13:34:23 | 新聞記事から

今朝の朝日新聞・声の欄に、「どう思いますか 子との同居」という特集がありました。
先ず、このテーマの言いだし者の声(おせっちゃんが適当に編集しました。以下すべて)

今年正月夫を送った86歳の女性の声
夫の最後は子どもたちにも支えてもらいながら、10年近く介護した。諸手続きが終わった頃、長男が一緒に住もうかと言ってきましたが、即断で断りました。息子はなぜ?と納得がいかない様子。あなたから言うと、ひいばあちゃん・祖父母・お父さんと見送り続けた。やっと自由な時間ができた。一人にしておいて、と頼んだのです。

夫と母を送って、今一人暮らしを満喫・81歳女性
父を失って、母が寂しいだろうと夫と子供を連れて母と同居した。母は幸せそうだった。
4年ほどの介護の末夫が亡くなった。同時期、母の介護も加わった。母も亡くなった。嫁と孫たちが同居を言ってくれた。
夫と母の介護に疲れ切った私は、無性に自由が欲しかった。一人暮らしを選んだ。
今一人暮らしを満喫。趣味の川柳にやりがいを感じている。

理想はスープの冷めぬ距離だけど。69歳女子
将来一人になっても子供一家と同居はしません。生活のさまざまに、それぞれの家庭で違いがあります。夫とはどうにか我慢比べでやって来ましたが、再び子供一家と始めから、やり直すなんてできません。理想はスープの冷めない距離でしょうがどうなりますか。

「五分五分」と言った義母。66歳女子
義父が亡くなり、義母が一人になりました。長男の嫁の私は当たり前のことと同居を申し出ました。義母は「五分五分」と言いました。義母の遠慮と思い、強引に同居に踏み切りました。実の母より長く一緒に暮らし、送りました。孫になる息子も、私も、義母からいろいろなことをを学びました。年配者から貰うものは多いと思います。
私も同居の意思を聞かれる年になりました。義母の「五分五分」と迷った気持ちが分かるのです。同居が嫌なのではなく、それぞれの家庭の特に受け入れる家族の体制などを忖度するのです。

自己管理できる間は‥相棒は愛犬 72歳女性
夫が無くなって7年。息子二人が巣立って15年夫婦だけで過ごした。波風の経ったこともあった。
今は、愛犬と悠々とした毎日。遠方で暮らす息子たちとはラインで繋がっている。年数回は帰省する。
70歳を過ぎて、健康の異変に不安を覚えることもあるが、・・同居のお誘いはまだない。

緊急時に不安、同居受け入れた方が・・・84歳男子
妻に先立たれて11年になる。一人暮らしを続けている。長男が3か月に一度くらい尋ねてくれる。今年6月の検診では悪いところはなかったが、病気のことは気になる。急病で倒れ、一人気づかれず助かる命も助からなかったというのは御免だ。子供から同居を言ってくれたら受け入れたほうがいいと思う。
自分の場合、同居が無理なら、老人ホームなど施設への入居も考えねば。

 

年齢・環境・その他もろもろ、考えはいろいろだけれど・・・明日から、おせっちゃんの考えていることを書いてみようかと思っています。