2・3日前からタイトルの本を読んでいます。阿川佐和子さんの父親は阿川弘之さんです。強父論は、弘之氏が亡くなってから、父親を思い出して書かれたものです。
弘之氏はかなりの亭主関白、女性蔑視の父親だったようです。怒鳴られては泣く佐和子さんの話が次々出てきますが、反面家族の温かいつながりが垣間見られます。
佐和子さんが物書きの仕事を始めてから、その文を細々指導もしていたようです。
もう何年も前の話ですが、徹子の部屋に父娘揃って出演なさったことがあり、その時も、正しい日本語をと厳しく主張なさっていたのを覚えています。それをまとめてブログにのせましたが、消えてしまったのでした。
強父論にも、いくつか言葉の使い方などが書かれています。それを書き抜いてみます。
★ 「結論から言え」
佐和子さんが幼稚園の頃の話
夕食時「今日幼稚園でね・・・」。佐和子さんが たどたどと話していると突然「結論から言え、結論から」と怒鳴られた。まだ結論という言葉さえ知らない子どもだった。話すにしても、書くにしても、確かに大事なことかもしれないが、幼稚園の子供に・・・、佐和子さんは今でもその時の父親の顔を覚えていると言います。
★ 「だった」を3回もつづけるな
佐和子さんは文筆の道を歩み始めました。初めて仕上げたエッセイを出版社に持って行こうとしました。
弘之氏に止められました。自分が目を通してやるとのことでした。そこでまず言われた言葉がこれでした。
だっただったと3回も続いている。安機関銃ではあるまいし・・・
それにここ。に・に・に・に。4回も続いている。ニイニイゼミではあるまいし
その後も文章指導は続きました。
「のだ」という言葉はあまり頻繁には使うな。品が落ちる。
自分の家族に「ほほえましい」を使っているが、自分の家族への形容にはふさわしくない。ほかの表現を考えなさい。
はやりの形容詞は使わないように、すぐに文章が死ぬ。
★ 「立ち上げる」という言葉を使うな
父は「立ち上げる」という言葉を嫌悪していました。
「立ち上がる」という言葉はある。「立つ」と「上がる」という二つの自動詞の組み合わさったものだ。
しかし「立ち上げる」・・自動詞の「立つ」と他動詞の「上げる」を組み合わせるのはおかしい。
佐和子さんは、今の時代コンピューターも企画も、店もすべて「立ち上げる」になってしまっている。ここで独り反論しても・・・と内心思う。
「強父」というのは子どもの頃から大人になっても、「強い父」と「恐怖」だった父の思い出話なのでしょう。