おせっちゃんの今日2

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田辺聖子・・・続き

2023-10-04 15:07:10 | 読書・映画

面白いと感じたエッセイを見つけましたので、先日に引き続き書き留めます。

★ ボケない要素
  嫁たちと言い合いになり、ああ言えばこういう、こう言えばああ言い返す。そういう腹立ちの気力、・ファイトがボケない要素かも知れぬ。

★ ほっとく親切
  私はべたべたする親切は嫌いで、ほっとくのが親切なのだと思うことが多い。お節介焼きや、出しゃばりが、あまりにしばしば親切と思われやすい世間の風習に、いやになることある。

 

本当の親切と、お節介と、これを分ける一線が難しい。ほんのちょっとした違い、場面、相手の性格などで、したことを恨まれることもあるし、しなかったことを、気が利かないとあげつらわることもある。言い方ひとつで、まるで違った風にとられることもある。
これを間違いなく、使い分けることができるのが人生の達人かな?

言い合いも、笑って済ませられる限度が難しい。喧嘩の達人は、人生の達人かもしれない。
多くの経験がものを言うのかも。ボケを防止しながら、楽しく言い合いたいものですね。

 


田辺聖子・・・自我定期券説

2023-09-29 14:47:45 | 読書・映画

田辺聖子のエッセイ続き

自分の力は、定期券のように、必要なところで、必要に応じて出せばいいのだ。

結婚することと、仕事をすることは両立しない、と悩んでいる若いお嬢さんが多いが、そのどれ一つだって完全に出来た人は昔から、ほんのわずかな人だけである。

双方どっちつかずでいいのである。完全主義になろうとするから、悩むのである。

十の力を五つずつ分配すれば双方楽しむことができる。
十の力をどっちにも振り分けて二十の力になそうとするから破綻が来るのである。

努力で十にも二十にも、もっともっとと励ますより、どっちつかずで、双方を楽しく・・・と、これ名言。
読んでいて、心和み、なんだか自信が持て、世の中明るくなってきたような気がします。

他のエッセイにこんな言葉もありました。

「とるに足らぬ些事は考えない」。「コンマ以下は切り捨て」
人の世の諸々の下らぬことはもう考えないことにしよう。そうして人生を楽しもう!!と思う。

ばあさん、分配するほどすでに体力知力も無くなっているけれど、聖子さん方式で分配して、残りの人生まあるく、楽しくやっていきますわ。

昨日今日の引用文は、田辺聖子著 「老いてこそ上機嫌」より引用させていただきました。

 


多きを求めない・・・田辺聖子

2023-09-27 13:45:50 | 読書・映画

この夏の暑さの中で、下肢の不調にぐったりしていました。ブログもお休みにしてひっくり返って読書を決めこみました。と言っても目は疲れる、頭は老化するで、大作に取り掛かる状態ではありませんでした。
田辺聖子さんの、エッセイ集を図書館から借りてきました。同感できる主張もあり、少しずつ読んでいきました。中に「多きを求めない」がありました。

このごろの人間は、人に多きを求めすぎるのではあるまいか。
人と人が心を通わせ、仲良くするというのは、相手の好意をむさぼることではないし、相手の欲しないものを、好意と思って押し付けることでもない。(多少引き写しに間違いがあるかもしれない。お許しを)

確かに、好意を持ってくださるとうれしい気持ちになります。こちらからもお返しして仲良く、などと思います。でも過ぎたるは及ばざるがごとし。行為のやり取りが何か汚さを含むようになることもあるように思います。

世界中をコロナ禍が覆いつくしました。その環境の中で、国の舵取りをする方々は、助成金というもので民のこころを励まし、経済的にも救おうとしました。コロナ真っ盛りの時は勿論、少しおさまって経済的に沈み込んだ社会を立て直そうとした時、まあ、特別会計というものがこれほどあるものなんですね、美味しいものを食べればいくら、旅行をすればクーポン割引、甚だしくは上手く使えば、お財布が逆に太る方法までがワイドショーを賑わせました。
景気の立て直し、これが大きな契機になるのですね。でも私にはその額が実感できるだけの力がありませんでした。

そうしたお祭り騒ぎにも似たわさわさ感の中、人間は欲深になって行ったような気がします。何事も助成してくれ、これは割り引かないのか、乗り遅れてうまみにあり着き損ねたら大変、大損だ、とみんなが浮き足だったような気がします。

人の心の潔さが傷つき、意地汚さが表に現れ、まだまだ必要かと思われる感染防止の用心などどこか飛んで行ってしまったようでした。


読んだ本の紹介‥・村山由佳「雪のなまえ」

2022-11-26 13:53:39 | 読書・映画
読書の量は減ってしまいましたが、私はやはり、余暇の趣味はと問われると、読書が浮かぶ世代です。
本はほとんど買いません。歩いて5分の所に、世田谷区の図書館がありますので、そこで借りるのです。

あまりなじみのない新人の本は、なんとなく敬遠です。若いころからの名前になじみのあるものに手が伸びます。老いて、あまり筋書きの複座tなものは能力を越えます。

この度は、私としては冒険をするつもりで、村山由佳著・「雪のなまえ」を借りてきました。何が冒険かというと、この作者の作品は、読みごたえがあると言えば一寸内容より難しく聞こえますが、抵抗なく読めるものと、びっくりするほど私には合わない、ポルノではないかと思われるほどの物があるのです。立ち読みで前者かどうか確かめて借りてきたのでした

内容を詳しく書くことは、作者に対して失礼ですから、ごく要点を書いてお勧めいたします。
東京の学校でいじめにあった主人公の中学生の女の子。懸命に通学するが、とうとう通えなくなる。
二人ともお勤めをしている両親。どうしても我慢できない時は無理に学校へ行く必要はない、との柔軟さで寄りそう。一流企業に勤める父親は思い切って、おじいちゃんおばあちゃんの家に越す。母親は、迷った挙句逆単身赴任。2週間に一度田舎に訪れることで家族は再出発をする。
農家の生活。祖父、祖母の温かい、自然環境に根を下ろした仕事ぶりで、孫娘を包む。父親は、慣れない農家仕事にも意欲を持ち、また、近所の物置を改造して誰でもが立ち寄れる気軽なカフェを目指しながら娘に寄りそう。人のいい田舎の人々。学校へ行かない子、というだけで、怪しいと排斥しようとする人もいる。母親は穏やかながらきちんと事情を話す。だんだん受け入れられるようになる。子供は子ども同士、遊びに来てだんだん近づく子どもたち・・・その家庭の人々の会話がなんとも味があって親しめる。傷ついた魂をすくいあげるのはこうした環境が必要と思わせる、暖かな、教育的場面が多い。

私はもはや、子ども孫から逆に教育される身ながら、同調して読みました。
それにしても、いじめの実態は、・・・と考えさせられる。
この主人公の女の子は、ある日ある時を境に、急に仲間外れにされる。全く理由も分からないという設定である。これは怖いとつくづく考えさせられた。


強父論・・・阿川佐和子著より

2022-10-03 13:29:22 | 読書・映画

2・3日前からタイトルの本を読んでいます。阿川佐和子さんの父親は阿川弘之さんです。強父論は、弘之氏が亡くなってから、父親を思い出して書かれたものです。
弘之氏はかなりの亭主関白、女性蔑視の父親だったようです。怒鳴られては泣く佐和子さんの話が次々出てきますが、反面家族の温かいつながりが垣間見られます。
佐和子さんが物書きの仕事を始めてから、その文を細々指導もしていたようです。
もう何年も前の話ですが、徹子の部屋に父娘揃って出演なさったことがあり、その時も、正しい日本語をと厳しく主張なさっていたのを覚えています。それをまとめてブログにのせましたが、消えてしまったのでした。
強父論にも、いくつか言葉の使い方などが書かれています。それを書き抜いてみます。

★ 「結論から言え」
佐和子さんが幼稚園の頃の話
夕食時「今日幼稚園でね・・・」。佐和子さんが たどたどと話していると突然「結論から言え、結論から」と怒鳴られた。まだ結論という言葉さえ知らない子どもだった。話すにしても、書くにしても、確かに大事なことかもしれないが、幼稚園の子供に・・・、佐和子さんは今でもその時の父親の顔を覚えていると言います。

★ 「だった」を3回もつづけるな
佐和子さんは文筆の道を歩み始めました。初めて仕上げたエッセイを出版社に持って行こうとしました。
弘之氏に止められました。自分が目を通してやるとのことでした。そこでまず言われた言葉がこれでした。

だっただったと3回も続いている。安機関銃ではあるまいし・・・

それにここ。に・に・に・に。4回も続いている。ニイニイゼミではあるまいし

その後も文章指導は続きました。
「のだ」という言葉はあまり頻繁には使うな。品が落ちる。
自分の家族に「ほほえましい」を使っているが、自分の家族への形容にはふさわしくない。ほかの表現を考えなさい。
はやりの形容詞は使わないように、すぐに文章が死ぬ。

★ 「立ち上げる」という言葉を使うな
父は「立ち上げる」という言葉を嫌悪していました。
「立ち上がる」という言葉はある。「立つ」と「上がる」という二つの自動詞の組み合わさったものだ。
しかし「立ち上げる」・・自動詞の「立つ」と他動詞の「上げる」を組み合わせるのはおかしい。

佐和子さんは、今の時代コンピューターも企画も、店もすべて「立ち上げる」になってしまっている。ここで独り反論しても・・・と内心思う。

「強父」というのは子どもの頃から大人になっても、「強い父」と「恐怖」だった父の思い出話なのでしょう。