おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

新型コロナワクチンの予約

2021-04-30 13:32:50 | 日記

大事なことではあるけれども、ありとあらゆる方向から聞こえてくるコロナ報道は、気持ちを重く、少なからず不安にします。変異型までが勢力を伸ばしてきて、もはやワクチンだけが救世主のような気がしてきていました。

来ました来ました。ワクチン接種券。高齢者優先と言うのは少々申し訳ないような気もしますが、医療崩壊を避けるためにも重症患者を増やさないことを第一義に考えてのことだと聞いて、自分に納得させています。
世田谷区は28日午前8時30分から受け付けるとのこと。ネットで申し込んでみようとその時間を待ちました。

時間と同時に区のホームページを開き、ワクチン予約に進み、受け付けてもらうように申し込みますが、つながらないこと繋がらないこと、一歩も勧めないという状態です。
う~ん、少し前、区民センターのコミュニティー委員の会があった時、「する?少し様子を見る?」と話題になった時には、様子見派が多かったと思いますが、その後の状況で、皆一日も早くと思い始めたのでしょうか。

午前中、主婦仕事をやりながらパソコンの前を通ると度にボタンを押してみては振られ、押してみては相手にされず、・・・午後も同じく。

ネット申し込みは24時間受付なので、夜中、ベッドに入る前にやってみましたが、「つながりにくい状態です」。朝から同じ文面です。

翌朝、8時半、やってみました。同じく振られ。もういいや、と思いつつも午後も夕方やって見たら、やっと迎え入れられ、手続きが済みました。6月2日、と25日。2度の接種が決まりました。

夫の分をやらなくっちゃ。夕食後にやってみました。2度目は慣れてすらすらとパソコンを操れて、受け付ける方も空いてきたのか簡単にとれました。6月5日と26日。

夫ははじめ「注射は嫌だなあ、怖いよ」などとたわけたことを言うものですから、「あなた一人がかかるかからないの問題ではないの。私が初めに人体実験をしてみるから、少し後からでいいからやるべきよ」と言い聞かせました。

息子Kに取れた旨ラインしたら「よかったね」と一声。その後ひっかけて「でもまだ大分後だねえ」と。一月ぐらいすぐ経つよと思いつつ、こうした時は時間がゆっくりしか動かないのかなあと思ったり。
折角ワクチンが目の前まで来てくれたのです。目前にして間に合わなかったということのないよう、マスク、手洗い、お家籠り、静かに待つことにしましょう。

 


白い文と黒い文

2021-04-29 13:43:28 | 言葉

先日、確か新聞だったと思いますが、文を書く時のコツを読みました。「文を書く時」も特にパソコンの画面上に書く場合のコツでした。
あまり「黒い文章」は読者を疲れさせて読む気を失わせる、「白い文」にするように心がけるといい、と言うことでした。

黒い文・・・漢字が必要以上に多い文。余白がなく一面が文章で埋まっているもの、
白い文・・・ひらがなが適度に混じる文、句読点を意識して少し多くした文。段落を変える時、行頭を一字下げるのではなく、1行開ける、など。

先日。駐屯を、駐とんなどとひらがな混じりに書くのは(?)、と言う意見を紹介しましたが、ここではそういうことではなく、必要以上に漢字を多く使って書くのは避けるべきと言うことでした。ひらがなと漢字との割合が7:3(だったと思います)くらいが適当か、と言うことでした。漢字を使ったから立派な文と言うわけではないとのこと。

私は木曜日夜7時から「プレパト」と言う番組が好きで毎週欠かさず見ております。俳人の先生がタレントたちが作った俳句を、批評しながら添削していくのがなかなか面白いのです。言葉一つの使い方でがらりといい句になるのには日本語の面白さを感じます。
添削の中に、「ここは句全体の見た感じから「故郷」ではなく「ふるさと」の方がいいかしら」という指摘もあります。確かにやわらかな、暖かい、包んでくれるような感じが出てきますね。

黒い文・白い文に続いて、パソコン画面上の文は、テーマ、話題は一つに絞ったほうがいい。とも書いてありました。

思うに、青白い明るい画面の中の文を読むのは、慣れないからでしょうか、集中力が長くは続かないような気がします。

 

 


純白のクレマチス

2021-04-28 14:03:36 | 思い出

今朝、ウオーキングをしていましたら、公園まで行く途中のお宅の塀に真っ白なクレマチスがあでやかに咲いておりました。昨日は気が付きませんでしたので、夜のうちに花開いたのでしょうか。純白の花は風に吹かれたりすると茶色に変色しやすいのですが、見事な白です。

昔はテッセンと言って日本種が多かったように記憶しておりますが、だんだん大ぶりな、華やかな西洋種・クレマチスに変わってきました。きゅっと引き締まったと言いますか、毅然とした感のあった濃紫のテッセンが懐かしく思い出されます。

わが家の敷地は南北に長く、南に面する長さが短いのです。家を建てる時、なるべく日当たりのいい南は広く使いたくて、門から玄関までのアプローチは狭くなってしまいました。お隣との境はあまり趣のない塀になっていますからできれば木でも茂らせたいところですが、それでは歩けなくなってしまいます。庭師さんが塀に近いわずかな土地にテッセンを植えてくれました。うまく茂らせて葉と花で塀を隠すように考えてくれたのです。

上手く根付いて蔓を延ばし始めました。ところが植物は南へ南へと伸びたがるものですね。イメージとしては塀の面いっぱいに広がらすつもりでしたがそうはいかないようです。私は意固地になって、南を向いてのいている蔓をそっと引っ張って北の空いた方に向け直したり、細いひもで結わえたりしたのでした。
それを見ていた娘・息子二人、小さな声でこそこそ何か言っています。

「何か言った?」、ううん、と言いながらもこそこそ話は続くようです。私の澄ませた耳にも聞こえてきました。
「あれごらんよ。ママはああしておいらたちを育てたんだぜ。自分の思う方に無理やり引っ張ってさ」。

ガクっと来ました。そうなんだ、子どもたちは、反抗こそしなかったけれど、心の中では不満を貯め込んでいたのかもしれない。ああ落第ママだな、反省したのでした。口では「そうだよ、引っ張って強制してあげたからまともにここまで来たんじゃあないの」とは言いましたが、私の負けのようでした。
子どもたちは平凡ではありますが今幸せな家庭を営んでいます。母親のマイナス点は自分で克服してくれたようです。でもテッセンは、育ちませんでした。


ファックスが受け取れなくなった

2021-04-27 14:00:59 | 日記

3月でしたかしら、我が家に電話がかかってきてそれが詐欺電話だと言うので、実害はありませんでしたが、一応警察に届けに行きました。「それは明らかに詐欺電話で、おばあちゃん半分引っかかっていますよ」とのご注意。世田谷区が「防犯対策電話録音機」と言うのを貸し出しています。取り付けて上げます、と言うことで、我が家の家電に電話がかかると、掛けた人には「この電話は防犯対策のため録音します」の声がまず流れるようになったのです。詳しい経緯は「詐欺にやられるところだった・・2」をご覧になってくださいませ。

それで無事解決したと思っていましたら、ファックスが受け取れなくなってしまったようなのです。委員を引き受けている区民センターから知らせてきました。
おや、電話機を動かして、差し込みが甘くなったのかしらなどと、ばあさんは点検したのですが、治りません。再び区民センターから知らせてきました。
取り付ける時貰ったトリセツ(というのだそうですね)を見たり、電話機のそれを研究したりしても治りません。とうとう、録音機のメーカーに電話しました。

若い男性(らしい声)が受けてくれました。いきさつを話すと、やり方を教えてくれました。
わが家の電話機は求めてきた時に初期設定から、自分の好みで設定を変更するようになっているようです。多分、息子Kが求めてきてやってくれたのでしょう。その設定が、録音機を取り付けるために一時コードを抜いたりした時、初期設定に帰ってしまってうまくいかないのだろう。まず一度、初期設定の手動に戻して、改めて自動に設定すればうまくいくだろうと、ばあさんが、出来るかなあ、と心細い声を出していたのでしょう、トリセツのその箇所を見つけて、スマホで逐一説明してくれました。

無事回復しました。

ほとんどの人には必要ない記事になりましたが、もし同じような症状でお困りの時もおありかと載せてみました。

 


英語の筆記体

2021-04-26 13:46:39 | 言葉

朝食後主婦仕事をしながら私が見る(いや聞くかな?)テレビは、羽鳥モーニングショーです。大抵、可愛い動物の動画が取り上げられ気持ちを明るくし、次にちょっとしたニュースから時代を考え、その後近頃は避けて通れぬコロナ問題に入っていきます。

今日はニュースからは、中学生などが英語が読めない、読めなくなっているという話題でした。
なぜ?。疑問に思ってテレビの前で立ち止まりました。筆記体で書かれた英文が読めなくなっているのだそうです。
学校では、教科書は活字体、ノートに書くのも活字体なのだそうです。学校の授業では筆記体と言うものは一切教えないのだそうです。

「う~ん、実生活でもパソコンで文章は打ち込むから、接するのは活字体なのだよね」

コメンテーターのおじさん・おばさんは初めて気が付いたように、肯いていました。斎藤さん一人、私も学校では習いませんでした。自分で懸命に覚えました、と答えていました。

私がこの事実にぶち当たったのは、夏、娘が子どもを連れて里帰りしてきて、朝のうち宿題をやっているのを見た時でした。習い始めた中一の孫の単語なら英語苦手の私でもできると口を出した時でした。孫はノートに活字体で単語や文章を書いています。
綴りがあっているかな、書けるかなと孫と一緒に取り組みます。
そこで活字体で孫と、筆記体の私とではギャップがあることに気が付きました。

人間が物を覚える時、一つの単語のアルファベットの並び、ただその組み合わせ、順番を覚えるだけではないのですね。記憶するのは、それを並べ、組み合わせて書く指先の運動が頭脳とともに働くのですね。筆記体で流れるように書く、身体で覚えた動きがなく、アルファベット一字一字を書こうとすると、私にはそのくらい・・・と思っていた初歩の初歩の単語さえかけないのでした。

あら~ぁ、おばあちゃん筆記体でないと書けないわ、あんたたち、本当に活字体で書くの。そうだよ。ここにも時代の流れです。

傍から婿殿が言います。お義母さん、書けないでしょう。私もだめなのです。この人たちの勉強を見てやるときは、まず、筆記体で書いてみて、それを見ながらアルファベットの並びに換えるのですよ、大変です。

筆記体の方が早く書けるのではないかなあ、ばあさんは、小さな声で反論しますが・・・