おせっちゃんの今日2

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持って生まれたものか、教育か

2024-01-31 13:37:41 | いろいろ

先日(1月26日だったかな?)パソコン教室の休憩時間のおしゃべり会で、こんなことが話題にありました。すでに私が筆頭の85歳、次が10歳若い方、また次は干支で数えるほど違った方々ですが・・・、皆すでに子育ては終わった年代なのです。
それでもちょっとしたことで、子どもと意見が合わなかったり、孫の教育でお嫁さんと意見が合わなかったり、それなりに、波乱はあるようです。まあ、こんなことで、愚痴を言い合える仲間がいて、貶すまな板に載せる子・孫がいること、幸せなことです。

とそんなことが切っ掛けで、子・孫育て、この歳になっても難しいと思うわね・・・から始まって話が続きました。「子供って、生まれて時、既に性格として生きていく道すっじを持っているのかしら?それとも導けば変わるものかしら?」と疑問を投げかけた人がいました。
少なくとも、親やじじばばが指導して変えられるのは3・4歳までではないかしら。中学生となると、親の言う事なんか・・・聞いてるふりだけで、絶対自分の思うように歩むわよね、と断言的におっしゃる方があって、一同同意したようでしたが。

もう一人、こんなことをおっしゃいました。親の元に、子ども・孫・ひ孫迄全員集合ということあるよね。そんな時その中に一人くらいは、とても年寄りを大事にして、面倒が起こってもどうにか解決してくれるような子がいるものよね。あれは持って生まれた性格かしら。それとも神様が、そんな使命を与えた性格なのかしら、と。

ああ、我が家では孫のH君がこれだな、と思ったことでした。

 


Miちゃんを迎える日

2024-01-30 13:30:34 | わが家の話

昨日、嫁ぐ前夜の豊かな幸せに感じ入った詩人の言葉を書きました。
わが家にも、初々しい喜びを、はち切れそうな若さで伝えてくれた娘(息子の嫁になる人)が来てくれました。

わが家は、娘Mと息子K、に恵まれていました。時はちょうど、皇室で、皇子お二人が結婚なさる、喜びに満ちた年のことでした。春のある夜、Kは、それからすぐに上司のお供でアメリカに出張することになっていましたがその出発までに、式を挙げておきたいというのです。

この案にはまずMiちゃんのご両親が反対でした。大事な娘を嫁に出すのに、そんな慌ただしさは反対だ。、アメリカから帰ってにしなさい、ということのようでした。わが家は特に反対はしませんが、姉のMaがまだ一人でいます。「逆転の結婚ははやりだよ~」とKは言い、「Maもそんなのどっちでもいいよ~」とのんきでした。

結局式場がいい日に取れないということで、秋に決めたのでした。そうこう言っているうちに、偶然ですがふるさとの友人が、いい人がお嫁さん探しているよ。と紹介してくれて、とんとんと娘の方も決まりました。こちらは5月がお式でした。
同じ年に、子供二人を片付けたのでした。Maの結納・結婚式、しきのじゅんびをしながら、Kの結納をするという過密スケジュールも、喜びごとです。順調に進んだのです。

その後、Kはアメリカから帰国、お式の日はどんどん近づきました。明後日がその日、となった時、何か用事があって、Miちゃんが我が家によると言ってきました。顔や、ドレスから出る身体も、美容マッサージをしに行き、その帰り道、寄るとのことでした。Miちゃんが立っていました。なんだか光り輝いているよう。
「あら、きれいね、お化粧もしてもらったの」
などと訊いているうちに、Miちゃんは花束を私に渡し、自分の頬っぺたを人差し指で、ちょんちょんとつきながら、「ぴ~かピカになりました~」と、これ以上は無いという笑顔を見せてくれたのです。

Miちゃんの幸せは、Kの幸せ、こんなきれいな素直な子が娘になってくれるのだ。いい姑でいなくっちゃだな。私も素直に姑役を引き受けたのでした。

これはこれで、嫁ぐ日前の少し上気した幸せでした。


折々のことば・・・石垣りん

2024-01-29 13:08:58 | 言葉

昨年末、ブログ冬休み中の言葉。
細やかな情緒など持ち合わせない私。日々単純に飯炊きババアをやっていると涙など縁なく暮らす日々です。
そんな私が、この日の折々を読み終わったら、なぜか涙ぐんでいる自分を発見しました。
今日は、そのままお伝えしたく、スキャンして載せます。

この女性、明日お嫁に行く、ひかえめの女性の身体全体から立ち上る幸せ感を感じて、頼まれて襟足を剃る役を感謝して受け入れたのです。

これ以上付け加える言葉がないほどその時間が私を包んできたのです。私が書くのは蛇足に過ぎませんが、

この若い女性、もしかしたら、親御さんを早くに失い、質素な生活を、それでも力いっぱい誠実に生きてきた人だろう。真摯に歩む人は運が開ける。やはり生きることに真剣な誠実な青年に巡り合ったのだろう。特に派手な披露をする人もいない。ただ二人の未来を見据えてこれからも生きていくのだろう。詩人には、その幸せが、この上ないものに思われたのだろう。風呂やで、行きずりの人に襟足を任せたひと。質素だけれどその豊かな幸せ。いい家庭が営まれるだろう。お幸せにね。

 


やって止めるか、止めて食べるか

2024-01-27 14:54:04 | 徹子の部屋出演者

つい最近のことです。徹子の部屋に、ひと昔、ふた昔、今の若者から言わせると、昭和の人という人が再放送されていました。「入江たか子」という女優さんです。私が、文化から遠い、田舎で育ったからか、生活に余裕がなく、映画など見に行かなかったからか、近い時代を生きた人なのに、よく知らない女優さんでした。

何でも高貴なお生まれの方のようですが、子供を抱えて苦労もなさった人のようです。仕事のためならと、少しも自分を卑下することなく、化け猫役もなさり、それを「苦労とは思わなかった」とおっしゃっていました

今日の話に関係ありませんが、私が結婚して、今の場所に住み始めた時、最寄りの電車の駅の北側、小高いところに新しいお家が建っていました。線路が南側ですから、とても日当たりがよく、立派な家に見えました。夫が「化け猫役の入江たか子の家だよと」教えてくれたのでした。

さて本題。徹子さんが、今でも芸に関心がおありですか。いつまでもお綺麗でうらやましく思います。生活には気を付けていらっしゃるのでしょうね。どんな生活をしていらっしゃるのかしら?と質問しますと、「ごく平凡な、化粧も最低のものですよ。規則正しい生活は心がけているかしら」。「睡眠はしっかりとります。夕方早くご飯をいただいて、用がなければ8時には。用があれば夜更かしもしますよ。」「あら、そんなに早くご飯を頂いたら、また甘いものなど摘まみたくなりません?」「いいえ、もう習慣になっているのでしょうか、特には、それに歯を磨いてしまうこと!!磨いちゃったらもう、また食べて磨くは億劫でしょう」
「そうですね。その習慣をつけるまでがね。私は頂いてしまいますよ。もう一度磨かなくてはいけなくても、それを振り切って」「まあ、おほほほ」

こんな些細なことで,それぞれの歩む道が決まっていくのですね。徹子さんがしみじみと。

 

 


折々のことば・・・松岡亮子(児童文学者)

2024-01-26 14:08:05 | 言葉

『心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている』・・・松岡亮子

昨年末から長々とブログをさぼった時の「折々のことば」です。
児童文学者はこんなことを言っていると、解説の鷲田清一氏は書いています。子どもたちにサンタクロースの話をするのは、「見えないものを信じる能力を養うためだと」。サンタの話を聞いた子供の中には、サンタがいなくなってもサンタのいた空間は残る。「不思議の住める」この空間は、「のちに一番崇高なものを宿すかもしれない」そんな心の場所なのだと。

私が子どもだったころは、少なくとも私のふるさとの村ではクリスマスを祝い、心にサンタクロースを住まわせた子供も家族もいなかったと思う。でも、そんな不思議が住む心の場所はあったと思います。遠浅の澄み切った瀬戸内の海。家族総出で、人力だで育てる米・麦。機械は無いけれど親が砥いでくれた鎌で、ザクリと刈り取る稲の束、川にはメダカが、かえるが、ホタルがそれぞれの時期を楽しませてくれました。確かに、幼くサンタを抱いた胸に、都会の子がサンタを住まわせたように、田舎の子は子で、大きな自然の恵みに育てられました。

我が子二人が、小学低学年の頃、・・その頃は、今住んでいる世田谷の古い家に住んでいましたが、・・クリスマスに近いある日、子供を遊ばしかたがた、親もおしゃべり会をしていました。

「ママ~ぁ、ぼくんちに、サンタさんは来るよね?」ある友人の子。
「そうよね、いい子でぐっすりねんねしていたら来ると思うわ」
「よかった!○○ちゃんは来ないっていうんだよ。サンタさんなんていないんだっていうのよ」
子供が二手に分かれたようでした。どうにかそれぞれのママが、自分で納得のいくように子どもに話し聞かせ、再び他の遊びに戻ったのです。
さっき、サンタはいないといった子のママ,いるよねと強く質問した子の親から攻められていました。〇〇さん、困るわよ、もう少し信じさせておきたいじゃない?家では信じさせるために、パパ、玄関の外で大汗よ。

なかなか埋まらない、論争でした。