おせっちゃんの今日2

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被曝者のお子様の声

2021-11-30 13:50:11 | いろいろ

ちょっと前のことですが、朝日新聞「声」にこんなご意見が載っていました。65歳の主婦の方です。以前載せましたが、姉の体験とあまりに似ている状況でしたので、これは広く伝えたいと思い、今日記事にします。65歳とおっしゃる投稿者様のお母様は多分姉と同じくらいの年齢の方と思います。(姉の記事にリンクしようと思ったのですが、上手くいきません、9月20日の記事です)

被爆した恐れ、悲しみの上にこうした差別迄受けた人の言葉、私達は重く受け止め言い伝え、2度と同じことが起こらないように、平和が続きますように祈りたいものです。

しつこく重ねてのアップですが、お許しくださって、心にとめてください。

 


私の目

2021-11-27 13:12:23 | いろいろ

今朝の朝日新聞土曜版「いわせてもらお」にこんな面白い話が投稿されていました。

よく似た経験が私にもあります。まず、私の目の話から始めましょう。

高校時代、私は目に恵まれているんだと初めて気が付きました。私は2年生から6組と呼ばれる女子進学クラスに割り込みました。入学当時は「女の子が進学なんかしなくても・・・」と父が許さなかったのです。
今ほどではないと思いますが、やはり皆さん進学勉強をしていらっしゃったのでしょうか、学期初めの席を決める時は「前に出してください」の声が次々。黒板の文字が見えないという人たちでした。結局ちびの私なのに、一番後ろの席になるのでした。全く不自由なく、見える人でした。

大学生活、お勤め3年、そして、あっさりと結婚しました。子供二人恵まれました。その頃からです。目が疲れる、目の奥が重く痛みさえ覚える、あれだけ見えていたご自慢の目が怪しくなってきました。子育てと、夜中まで帰ってこない夫とで寝不足だとばかり思っていたら、老眼だと分かり、眼鏡人生が始まりました。

後に4兄が「おせっちゃんの目は老眼というより、生まれつきの遠視なんだと思う。お月様の向こうのほうが焦点なんだよ」と言ったものです。

メガネ生活です。四六時中眼鏡です。ねる前に、布団の中で本を読むのが私の楽しみです。でも疲れています。本を持ったまま、眼鏡をしたまま、電気をつけたまま、寝てしまうのがいつものことでした。
「また眼鏡かけたままだったぞ」と注意されることが度々でした。その時の言い訳
「私は超近視だから、夢も眼鏡で見るの!!」。

ああ似た言い訳する人がいるんですね。

後に白内障の手術で眼内レンズを入れました。医者は急に読書ができるほど焦点を変えることはできません、普通の老眼にしましょう、老眼鏡をかけてください、ということになりました。眼鏡生活は続きました。

それがいつの間にか、だんだんかけなくても明るい所なら字が見えるようになったのです。今は普通の主婦生活は眼鏡なしです。細かい仕事、薄暗いところの仕事は眼鏡が必要ですが。


失敗のない人生は・・・

2021-11-26 14:07:35 | 新聞記事から

人生で歩む道は同時に二つを選ぶことはできない。人生行路で出会うY字路で、否応なしにどちらかを選び、進むよりほかない。

25日の「折々のことば」にこんな言葉が取り上げられていました。

「失敗のない人生はそれこそ失敗でございます」(ある古老)

鷲田清一解説者はこんな解説を付けていました。

「人に強いられた人生には恨みしか残らないが、自分の信念で選んだことなら責任のとりようはある」と。「思うように羽ばたいてください。風雨と陽光を自らの肌で存分に浴びてこその生涯」と。

近頃、テレビなどインタビューで問われた人が多く答える言葉に「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」という考えです。
共に、選ばなければならないY字路で、躊躇する人間だけれど、あくまで自分の意志で道を切り開いていくのが大切なことと思うのです。

八十年を超える行程で、自分の意志を曲げてしまった自分を情けなく思っているおせっちゃんです。そんな人間は、仮にもう一つの行程を選んでも、きっと83歳になった時に愚痴を言っているに違いないと、情けなさが増すのです。


来年のマイカレンダー製作

2021-11-25 16:12:55 | パソコン教室

木曜午後はパソコン教室の日です。もう、20年近く通った教室です。
10月半ばから12月にかけてカレンダー制作での勉強です。教室で用意してくださったテキストでいろいろテクニックを学びますが、・・・習っても忘れていることも多く、何年やってもNORI先生頼みです。今年はテキストは、イラストを使ったものが主でしたが、私は、いつもの伊藤信男さんの写真を使わせてもらっての制作です。
教室でまずカレンダーの日付玉をつくることから作業が始まり、12か月季節を意識しながら制作し、先に作っていた日付玉を入れ込んで仕上げていきます。出来上がったら専門業者に出し、A3伸びに印刷をしてもらいます。
同じデザインを使って、私は2Lの卓上カレンダーを自分で印刷します。
これは自宅用と、いつも自分の創作小説を送ってくれるじいじフレンドにお礼に送ることにしています。
ブログで月初めにお見せしているのは、このカレンダーです。来年もアップしますのでよろしかったら見てやってください。

今年はそれに加えてA4用紙縦半分の大きさで、予定を書きこむことのできるカレンダーを作り始めました。ある会社がサービスにくれていたシンプルなカレンダーが、予定書き込みに適していたのですが、送ってくれなくなりました。仕方ないので自作しようと思ったのです。

この次の教室ではすべてが仕上がります。そして12月に入ります。


想像を膨らます

2021-11-24 13:29:25 | 新聞記事から

21日の折々のことば(朝日新聞朝刊)にはこんな言葉が紹介されておりました。

情報が足りないとその欠落を人は想像で埋める。文字だけ、声だけの情報は、想像をより豊かに膨らませられるんじゃないかな(池澤春奈)

これを読んだとき、私は昨年の「鬼滅の刃」ブームの時の自分を思いました。パソコン教室で私が一緒に学ぶお仲間は先生は子どもとさして変わらないお歳ですし、生徒も干支一回りは若い人たちです。教室の中休み時間、このブームに皆さん興奮気味でした。私と言えば、「漫画でしょ。興味が持てない」と会話に入れませんでした。
幼い時、大人から「マンガなんか読んでいないで勉強しなさい、手伝いなさい」と悪者扱いされた漫画です。その時身についた漫画感が残っています。偏見だと思うのですが、登場人物も場面も、想像の余地なく漫画絵としてすべて登場しているのです。馴染めません。
(多分に食わず嫌いの感がありますが)

このことをブログに書きましたら、同年輩のブログ友からコメント。
「賛成。漫画はサザエさんのみ」と。
年代による分裂です。

大学生時代、昼休みなど木陰のベンチなどで、おしゃべりするのが楽しいことでした。戦後で今のようにいろいろな遊びがあるわけではありません。映画観賞は中で大きな地位を得ていました。
文学作品が映画化されることも多かったと思います。そんな時、「原作を先に読むべきか、映画を先にみるべきか」と話し合うことがありました。国文科の私達仲間はほとんどが原作を先に読む方がお好みでした。

「だってさ、映画を先に見ると、原作を読むとき、出演の俳優がどうしても出て来て、想像を邪魔するんだもの。原作者に失礼だよ」という感想が大勢を占めたのです。
読書の楽しみは行間を自分の想像で作り上げていくことと、理解していたのですね。

今を生きる年代の方は、あの漫画(劇画)の絵が想像を膨らませる邪魔にはならないのでしょうね。年代による違いですかね。