おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

八月尽

2022-08-31 13:29:45 | いろいろ

今日で8月が終わります。異常に早い梅雨あけだとおもったら、猛烈な暑さ。これが9月の半ばまで続くのかと思っていたら、梅雨前線の逆戻り。線状降水帯とやら言う豪雨が東北に害を及ぼしました。何処までが梅雨前線なのか、分からないまま残暑は今のところ居座らず、早々秋の気配です。今後台風被害など、暴れることなく、爽やかな秋になってくれますように。

明日は、関東大震災の起こった日です。万が一の災害に備えることの大切だと改めて思います。明日は例によって9月のカレンダーを載せたいと思いますので、一日早く今日、災害に対する心構えで、案外盲点になっていると思うことを書いてみます。以前一度書いたと思いますが、お子様をお持ちの方などに大事なことと思いますのでいま一度書きます。

ある学校で防災(地震)訓練を行った時のことだそうです。お昼休みで、多くの児童が運動場の真ん中で遊んでいました。そこへ災害発生のサイレン。大地震が発生しました、それぞれ命を守ってくださいの放送。

この時、児童がどう動いたと思いますか。

運動場にいた児童は一目散に自分の教室まで走り、机の下に潜り込んだのだそうです。日頃の訓練の失敗ですね。児童たちは避難訓練通り動いたのでしょう。でもこれでは困りますよね。
運動場の真ん中にいれば、物が倒れてくるわけではないし、天井から物が落ちてくる心配もないのです。そのまま、しゃがんで静かにしているのが正解でしょう。児童たちが、速く教室に行こうとすれば、昇降口などは混乱もするでしょうし。

同じ時、図書館で本を読んでいた子もいたのだそうです。その図書館は、机は本棚近くに小さく纏めて並べてあって、教室のほとんどは空間になっていたのだそうです。それでも児童は、いつ本棚が倒れて来るか、本が飛び出してくるか分からない机の下に潜ろうとしたのだそうです。

この学校では、根本的に訓練を見直したそうです。その場その場で、どうするのが一番いのちを守れるかか、とっさに落ち着いて考える力を付けなければ、いけないことに気が付いtのだそうです。ただおざなりに地震⇒机の下、の訓練ではだめなのです。

やはり大元は、考えることのできる子、を作ってやることですね。

一度投稿して、書き加えています。今朝の朝日新聞に「もしもあなたが銭湯で、真っ裸で風呂に入っている時,地震があたらどうする?」という意表を突く記事がありました。そうなんですよね。そんなことわが身には起こらないと思うのが普通でしょうか、でもあり得ないことではありませんよね。

いちいち新聞記事を書き写しませんが、心得なければいけないこと満載です。ご一読を。


赤ちゃんを公務員に採用

2022-08-30 13:38:38 | テレビから

昨日の夕方のニュース番組だったと思います。「赤ちゃんを公務員に採用した自治体」(言葉は違っているかもしれません)というニュースがありました。え??、あかちゃんを?!思わずテレビをのぞき込みました。

どこの話か聞き洩らしたのですが、こんな仕組みのようです。若いお母さんが(子育てはお母さんというつもりではありません。たまたまここではお母さんでした)ベビーカーや、おんぶ、抱っこで赤ちゃんを連れてご出勤。お母さんがではありません。赤ちゃんが公務員としてご出勤なのです。え?、どこに??

老人施設、詳しい説明はありませんでしたが、お年寄りのデイホームの部屋のようでした。
ここで、一日を暮らすお年寄りの所へ、赤ちゃんが来るのです。ちょっと戸惑ったきょとんとした子供も可愛いし、人なつっこい笑顔を見せる子もまた可愛い。子供は天使という言葉がそのまま素直に感じられる可愛さです。人生終わり近い老人は、誰しも寂しさも孤独も感じてここにきているかもしれない。そのご老人たちが急に相好を崩して幸せそうな笑顔になられる。おじいちゃんおばあちゃんの笑顔は今度は逆に赤ちゃんの純な笑顔を増やす。固かった施設の部屋が、穏やかな暖かさに満ちた広場になる。赤ちゃんは、見事な働きをしているのである。

お年寄りと・赤ちゃんの交流だけではない。公務員の赤ちゃんを連れてきたお母さん同士、お母さんとお年寄りの交流、そこには素晴らしい人の輪ができていく。
赤ちゃんが重要な、かけがえのないお役目をしてくれるんだそうです。

公務員です。お給料は? 紙おむつとミルクだそうです。

私はD町会の役員を長年勤めました。そのボランティア仕事の一つに、近くの10町会合同で「だいたらぼっち」というミニコミ紙を発行していて、私はその編集委員を引き受けていました。
ある時、施設紹介記事を書くために、こんな施設を訪ねました。三階建ての建物の、一階が老人の施設。2階が保育園。3階が障害がある子供たちの訓練所になっていました。別々の独立した施設なのですが、さまざまな行事などは合同で行うのだそうでした。

これが本当に有意義なのだそうです。一つの施設では出会うこともない、いろいろな人の交流で、世界が広がるのだそうでした。

この施設は、今は、廃校になった小学校の校舎を利用して同じように近く交流しているようです。
加えて、区民が気軽にお茶を飲んで、一寸おしゃべりできるようなコーナーも設けられました。
赤ちゃんも仲間入りできるといいね。


初耳学

2022-08-29 14:14:47 | テレビから

昨夜、始めてみるテレビ番組を見ました。風呂上がり身体のほてりを冷まそうとチャンネルを回したところ、いつもと違って歌舞伎を見せて居ました。歌舞伎もいいけれど・・・と各局を映していると、「初耳学」とい番組が映りました。、「今でしょ」で売った林先生の司会です。チャンネルが固定しました。何人かゲストが出演のようですが、見た時は上白石萌音という女優さんでした。

この世界に入って名前も売れてきた時に、父が声をかけてくれました。今でもありがたい言葉と、心に留めています、と。
「どんな時にも、学ぶことを止めるな」。
また、おばあさまは「朝一番に書く文字が一番きれいなんだよ。
先輩俳優さんが、励ましてくださいました。
「満足したらこの仕事はおしまいだよ」

言葉の端々は違っても、俳優でなく人生を歩む時にも、大事な言葉と聞きました。毎日の向上こそが高みに上っていく最高の心得なのでしょうね。少しづつでも登っていくことが、その積み重ねが大事なおでしょう。朝一番に書く文字、初心の純な文字(文字だけではなく)は拙くても美しいのだろう。その美しさに絶え間ない学びを加えて、高みに上れるということか。

また、人生の味を顔にも身体にもしみこませたような、渋い佐藤浩市も出演していました。彼は現場入りが非常に速い人なのだそうです。なぜ?。怖いんですよ。どんな現場かなるべく早く知って、その中でいかに演じるか、考えて、落ち着けるのです。怖いの?怖いのですか?こわいですよ~。
今まで一番怖かったのは、11分を超える独り芝居。11分以上、ただ何もないところを歩くだけ。何の芝居もしない、ただ一人の歩く動作だけ。台詞もない。相手に絡むお芝居もない、ただ歩くだけ。

う~ん、

 


区民センター美術教室・・・若山憲の世界

2022-08-27 13:11:33 | 区民センター

7月27日、代田区民センターコミュニティー講座・美術教室が開かれました。夏休みでご報告が遅れましたが記録に残しておきたいと載せます。
私にとっては、長年委員として通っていた会ですが、引退いたしましたので、この度からは往復はがきで申し込んで、希望者多数の場合は抽選で当たったら出席できるという普通の人になりました。幸いにして当選したのです。
コロナ拡大を避けてバス一日見学旅行は中止、講義のみ2時間、実際に見学に行くのは各自でということになりました。ここでは講義内容をまとめてみました。

先ず、若山憲の代表作「こぐまちゃんとしろくまちゃんの」展覧会のポスターをスキャンしたものをお見せいたします。

若山憲は1930年岐阜市に生まれた。戦争中多くの少年にゅに軍国少年になって行った。戦後東京に出て「日本童画会」に入会した。

その後、紙芝居に絵を描くことがあり、出発点になった。
「りぼんをつけたおたまじゃくし」「たろちゃんのおつかい」「きつねやまのよめいり」「こぐまちゃんおはよう」など、絵本の世界に進んだ。

講師の世田谷文学館学芸員・遠藤望氏の講演によると、会場は子供連れの家族来場者でにぎわっているそうです。「可愛い、可愛い」の声仕切りで、それはそれで主催者としては嬉しいのだが、若山氏の絵本の世界は単にかわいいことのみを目指したものではないとおっしゃいます。

始めての自作自画の絵本「きつねやまのよめいり」では、妹きつねを嫁ぎ先まで送っていく道が、明るくきれいになっていたけれど、キツネは通れず、遠回りしなければならなかったと文明批評を折り込んだり、次の妹狐の時は、鉄砲で打たれてしまったりする場面もある。日本の子供が初めて出会う本として、深く考えさせるような内容を持たせてる。また、実用的に、お母さんたちの子育ての一つの壁・おむつ外しを題材にしてお丸でうんちが出来た場面を取り上げもしている。

若山は一人でも描いているが、仲間とグループでという体制をとっていた。内容から、色まで、合議制で、徹底的に話し合って質の高いものにしていた。上にのせた美術館ポスター、使用は許されたけれど、このオレンジの色は苦労した。日本画の岩絵の具の質の高いもので、議論末これだという色を選んだと言います。

「月間絵本」・1978年2月号に、若山氏の言葉が載っているそうで、ポスターの裏に載っていました。それを引用して終わりにします。

詩人や思想家や文学者のような思想を、シナリオライターや建築家のように計算し、演出家やデザイナーの様に構築し、画家やイラスtレターのように描き、詩人の言葉とデザイナーの感覚で絵本に纏めるということを一人でやれるような絵本作家に僕はなりたい。

りぼんをつけたおたまじゃくし

おばけのどろんどろん

きつねやまのよめいり

こぐまちゃんえほん・こぐまちゃんのみずあそび

 

ポスターの裏面の絵をスキャンさせていただきました。

 


パイン缶詰のジュース

2022-08-26 13:48:01 | いろいろ

先日、テレビで(何の番組か覚えていないけれど)「子どもの頃口にしたことなあるパインジュースがおいしかった」と、話ているのを聞くともなく聞きました。
パインジュースは私にも、おいしかった!!という強烈な味とともに小学校の頃の思い出がよみがえります。

戦後、食料不足の時代です。小学校の給食が曲りなりに供給さrていました。給食で思い出すのは、脱脂粉乳です。大人になってから理解したことですが、日本駐留のアメリカ軍が、牛乳から乳脂肪を取り除いた残りを、飢えた子供たちにおろしてくれたものだったのでしょう。その頃の日本人は牛乳などあまり飲んではいなかったでしょうし、ましてや、粉乳をどのように調理したらいいのかわかっていなかったのではないでしょうか。私の育ったところは半農半漁の村でした。家でとれた野菜や、海から取ったアサリがなどとにかく食べられるものがある人は学校に持ってくるのです。粉乳を溶かしたものを沸き立たせ、そこにごっちゃに投げ込むのです。珍妙な、決しておいしいものではありませんでした。でも私の世代はこれで食いつないだのでした。

ある日、下校前のホームルーム(この呼称があったかなかったか)で、先生がおっしゃんました。
「明日は給食にいいものが出るようよ。それを入れるお椀を持ってくること」。なんだろう?楽しみでした。母に持って行くお椀はどれにする?と聞きましたら、客用の塗りのおわんがいいだろうといいました。日頃は使わない、塗りのお椀です。子供心に、立派過ぎないか、通学途中などで傷つけることもあるやもしれない、と心配でした。それを言うと、母は「ええんよ、それにしなさと言いましたました。

これも後に考えたことですが、母の精一杯の虚栄心だったのではないでしょうか。追放された軍人の父、農地改革で一変した経済力。母の自尊心は崩れてしまっていたのでしょう。このお椀こそ、その崩れた自尊心を補うものとして、母の最後の砦のようなものだったのではないでしょうか。

それはさておき、この日のいいものが、先生の手で各自のお椀に注ぎ分けられました。前宣伝が恥ずかしくなるほど、すこ~しでした。私の記憶では大匙一ぱいほどだったような気がします。それでもみんなワクワクしながら「いただきま~す!」。

次の瞬間、声がなくなりました。あまりに甘かったのです。砂糖などない生活から急に甘い甘~いものをいただいたのですもの。ああ、お代わりしたい、と思いました。

そして大人になりました。日本もだんだん戦後を抜け出しました。食べ物も回復してきました。ある時、我が家の食卓にもパインの缶詰が登場しました。
あ、これだ!!あのお椀に分けられたジュースはこれだ。パインという固形物が本真モノなんだ。あの脱脂粉乳と同じく、アメリカの兵隊さんが実は食べて、シロップ液を子供に飲ませてくれたのだ。なんだか涙のでるほどの感激と、悔しさと一緒に湧き上がる物悲しさとがありました。