おせっちゃんの今日2

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ヨナス・カウフマン ウイーンコンサート

2020-10-31 13:40:04 | 日記

昨日、らい太と日比谷TOHOシネマズ  シャンテのロードショーに行ってきました。浅学の私、カウフマンという人を知りませんでしたが、
世界最高のテノール(デイリー・テレグラフ)
この世代で、最も重要で多彩なテノール(ニューヨーク・タイムズ)
世界一のスターテノール(クラシックFM)
黄金の声を持つテノール(ガーディアン)
などと評価されている人のようです。先日、パヴァロッティ―を聴きに行き、魅了された余韻もありますし、東京散歩に引き続き、妹とおしゃべりするのもいいものだと思いましたので、夫に夕食を作りおいてでかけたのでした。

先日のパヴァロッティ―は、その人となりを描くことが主なようで、歌は少し物足りなかったのですが、これはアンコールを入れると20曲を超える歌を聴かせてくれました。満足でした。

ただ、こちらが知識不足なのがいけないのですが、歌曲の翻訳が画面に出ないのです。素晴らしい歌声に、歌っている内容が分かればもっと楽しめるはずとちょっと残念でした。
ついでに言い訳を書きますと、この度は、パンフレットは作っていないし、リーフレットも、上映が始まってからは目につかないようにひっこめることになっているのです、ということでした。下の写真は、会場の外壁に掲示してある大きなポスターをパチリしてきたものです。これで我慢してください。

ご参考までに、プログラムを下に載せます。

 


鬼滅の刃貧乏  

2020-10-29 14:41:09 | ニュースから

このところ鬼滅鬼滅の世の中です。信じられないほどの大ヒットで、映画館は賑わっているようです。先週のパソコン教室(今の私には数少ない世間との交わりの場です)中休みの時間に、娘よりちょっと年上の先生、干支一回り若い同じ時間に授業を受ける生徒さんたち、当然のように話題はこれでした。見た見た、涙が出ちゃった!!と盛り上がっていました。

「おせっちゃんは?」
世代の違いでしょう、私は門外漢。感覚的に受け付けません。子どもの頃の「マンガ」のイメージがしみ込んだ頭です。親の「マンガなんか読んでいないで手伝いなさい。勉強しなさい」。同世代のものがみんなたしなめられた大人の言葉が消えていません。

だから、私の鬼滅に対する態度は食わず嫌いの一方的な拒絶です。

今朝のワイドショーで、「鬼滅貧乏」という現象が起こっていると報じていました。原作・映画化などに伴って、関連グッズが売り出されます。これを買いあさるものが出現しているんだとのこと。小学生男女の子供二人を持つ家族が紹介されていました。まずその家の部屋。まあ驚くまいことか、壁から天井隅から隅までグッズで埋め尽くされています。部屋にも箱が積み上げられています。そのどぎつい色の洪水には、ばあさんは眩暈がしそう。それでもまだ買い足りないと言います。
父親と子どもたちで買い物に出かけます。あれもこれも、皆欲しい。もはや中毒ではないか。結局5000円近く使ったようでした。

そこには止める父親もいません。叱る母親もいません。お店の人は売るのが商売です。親も止め役というより、欲しい欲しい病患者のようです。
この無制限な使い方、貧乏になるのは当然のことです。
これでは、自制のブレーキはかかりませんね。こんな金銭感覚で育つ子供、将来は?
「鬼滅の刃」が悪いのではありません。一方に流れ始めた無制限の欲望、止めようがないのでしょうか。

ここからは、我が家の思い出話です。

息子Kが5年生日6年生の時だったと思います。北海道の(?)子どもが、新しいスキー用具が勝ってもらえないからと自殺したことがありました。そのニュースを取り上げて、担任の先生は「欲しいものを親に買ってもらえない時どうしたらいいものか」話し合わせて、命の大切さ、金銭感覚などを考えさせられたようでした。

時を同じくして、親の面談がありました。先生がおっしゃいました。
「K君は、こんなことで死ぬなんて。ぼくの場合、こんなことで死ぬんだったら毎日死ななければならない、と言いましたよ」と笑われました。
学用品ならですが、その他はお誕生日とか、クリスマスとか、特別なイベント以外は買ってらえないものと子ども心に理解していたようです。


東京散歩

2020-10-28 17:00:29 | 日記

お家籠り生活にも少々飽きました。コロナを恐れつつも、経済を回すためにはという大義名分で、世の中は「GO TO」で浮足立っております。

夫は長い自粛生活でお家に籠ることになれたか、思い切って外に出かけることを大義がるようになりました。遠くへ出かけることは難しい年齢になってきたのかもしれません。
人があまりいなくて、運動不足解消のためにも東京散歩を試みました。妹・らい太とおしゃべりをしながら身近な東京を探訪しようということになったのです。極端な方向音痴の私は、道案内をらい太に任せて‥です。

らい太の選んだ今日の東京は、五反田⇒美智子さまのご実家跡・ねむの木公園⇒豪華な邸宅辺りをさんぽしながら・池田山公園⇒適当にランチ⇒泉岳寺で解散

ねむの木公園は木々や草花が丹精された清潔な公園でした。近所の方々のご奉仕でしょうか手入れが行き届いています。美智子さまのお和歌が小さな立札でその植物のそばに建てられここで過ごされた上皇后さまのお若い頃を思い浮かべました。

門と大きく育ったねむの木を撮ってきました。

池田山公園は、岡山の池田様のお屋敷だったところです。山の上の方の門から入りました。お屋敷だったころからの樹々・大きな庭石。心休まります。高い所から見下ろす谷間には池。急坂をばあさん二人、「転ばぬようにね、手摺はないからね」と言いながら下りていきます。池には大きな鯉が悠々と泳いでいます。そのあたり、楓の木と桜がが多いようです。紅葉には早かったのですが、次はまた時期を合わせてきてみようと話したことでした。

「もう一度急坂を上る?」と考えましたが、ばあさんは無理は止めようと、下の門から出ました。出口近くに懐かしいものを見つけました。井戸と釣瓶です。

ランチの場所を探して住宅街を歩きます。かなり上下高低差があります。二つの公園のある場所に比べるとやや庶民的な住宅地に白亜の大きな建物。孫正義の邸宅とか?とらい太。いやいや個人の住宅ではなく、会社の迎賓に使うのではないかい?と話したことでした。

こんな飾りつけの家もありました。失礼してパチリ。

帰宅してスマホを見ると14059歩。運動不足解消、鬱屈した気持ちも開放。

らい太さん、またどこか歩こうね。


しろちゃんんに会いたい

2020-10-27 14:56:59 | ニュースから

昨日日曜日の朝日新聞に、こどもたちの可愛い頑張りが記事になっていました。

長野県山ノ内町立東小学校で、教育の一環として「八ヶ岳アルパカ牧場」からモルモットを借りた。シロちゃんと名付けてみんなで育てた。人気者だった。草やニンジンを与えたり、手作り迷路で遊ばせたり、散歩したり、楽しい日々だった。

今は、ふるさとのアルパカ牧場に帰っている。

新学期が始まった4月、「今年1年間で何がしたいか」と先生がお聞きになった。「しろちゃんに会いに行きたい!!」
アルパカ牧場は学校から140キロ(車で2時間)離れている。先生はお金がかかる話をした。1年生の時のエサ代などは学校が出していたこと、町のバスを借りても高速道路代とガソリン代で2万5千円が必要な事。

学校近くの畑へ行って、先生はぽつりと「ここで野菜を育てられるね」とつぶやいた。子どもたちが「野菜を売ればいいじゃん!!」。

栽培が容易で沢山収穫できる胡瓜とジャガイモを植えた。夏の辛い草ぬきも頑張った。まず胡瓜が収穫できた。保護者が買ってくれた。6500円になった。
じゃがいもは道の駅で販売することにした。一袋いくらにするか、議論になった一袋200円にすると目標額には達するが、他の出品者より高くなる。話し合いの末、150円に決めた。

50袋ずつ2度に分けて売ると、30分も経たないで売り切れた。大声で宣伝した子供たちは大喜び。
まだ、3500円足りない。追加で大根を今育てている。春になったら、会いに行けそう。

「めっちゃ大きくなっていると思う」
「会ったら、ぎゅっと抱っこしたい」
子どもたちの夢は広がる。

素晴らしい体験教育ですね。じゃあ保護者から集めよう、ということにしなかったのがいい。子どもたちに、自分たちの頑張りで費用を稼ぐことを教え、経済のことも考えさせ、労働の辛さも、喜びも、達成の喜びも、感じさせることは尊い。あと3500円足りないことも、春までに大根を作って稼ぐ、楽しみが先送りで一層大きくなるに違いない。
おまけの効果に、野菜嫌いの子も、きっと野菜大好き人間になるに違いない。

来春、コロナウイルスが収束していることを祈ります。これだけ頑張った子どもたちに、楽しいバス旅行で、しろちゃんに会わせてやりたい。


仲直りね!!いい子だ。

2020-10-26 13:45:34 | 日記

秋らしいいいお天気の月曜日です。気分良く一週間のスタートです。週末さぼっていた洗濯・掃除など主婦仕事を済ませてウオーキング。周回路を2周半回ったところで、幼稚園年少さんくらいの子かしら、二人が座り込んでいました。そこは先日ブログでご紹介したプレーパークの掲示板のところでした。何か様子が変。
ひとりの子が今にも大泣きしそうな、涙がこぼれるのを我慢しています。もう一人の子も、どうしていいものやら、困惑状態。
私ははじめ、自由に、自分の責任で遊ぶがモットーのプレーパークだから、怪我でもしたか、と歩みを止めたのです。そうでもないようです。声をかけました。
「どうした?転んだの?どこか痛いの?」。返事はありませんが、それまで我慢していたのが私の声で堰が切れたのでしょうか、ぽろぽろ涙がこぼれ始めました。困惑状態で見ている子に訊きました。
「どうしたの?」
「僕がぶっつかったの」こちらも泣きだしそう。
「ああ、二人で走っていてぶっつかったのね。ケガはないかな。大丈夫みたいね」
泣き始めた子はますます涙が出てきます。
「わざとやったのではないんでしょう?運が悪かったのね」
自分がぶっつかったと言った子が大きくうなずきます。
「わざと意地悪したのではないんでしょ。我慢して、許してあげるわけにはいかない?二人仲良しさんなのでしょ」
泣いてた子、なみだをTシャツで拭って、立ち上がりました。
「いい子ね。許してあげられたね、気を付けて仲よく遊んでね」

少し照れくさそうに大きな滑り台の方に駆けていきました。
子どもだけで来ていたのかな。親御さんは出てきませんでした。それでいいんだね。子どもだけで解決した方がいいよ。
きっとますますの仲良しさんになれるよ。

婆さんは今日の天気のように晴れ晴れと歩き終えたのでした。