おせっちゃんの今日2

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紅麹サプリメント と 私の場合

2024-03-29 13:45:18 | 健康

初めにお断りしておきますが、今から書くことは全く的外れのことの方が大きいと思われる、おせっちゃんの勝手な思い込みです。

すでにブログにも簡単に書きましたが、先月半ばだったか体調を崩して、掛かりつけのH医者に駆け込んだりしたことがありました。
2・3日前からニュースで紅麹を使ったサプリメントが原因で、腎臓を悪くして、死者が出たり、多くの入院患者が出たりして問題になっていますね。ワイドショーなどでそれに対する専門医などが解説をしているのを聞きました。
え?!これ、症状がおせっちゃんの不調とそっくりではないの?使っている生協の配達品の中に問題の紅麹を使ったものもあって、回収しているとも言っています。画面に出た商品は、私は食べていませんが、・・
もしかして、他のもので、紅麹が使われているものもあったりしないか??

私は持病に高血圧をを患っております。圧迫骨折をやった時はその痛みを納めるために、大量の薬ををのみました。直りきらず不調が続きますが、クスリばかり続けてもと、多少の痛みしびれは我慢するとして、薬は全て止め、新しいマッサージ師に掛かっているのです。飲んでいるのは、主治医の出す、胃酸を押さえる薬と、降圧剤だけにしているのです。この度の不調も、他の薬は飲んでいません。

私の場合の症状を書いてみます。

★ 朝方、眠りが浅くなると、異常に尿が出るのです。時には15分もしないのに、またトイレにということも。尿の量も結構多いのです。血中の水分が出て、血圧が下がるのだろうと考えていました。
★ 先月、いつものように朝方から、勢い良く尿が出ていました。ところが9時ごろから尿意はあってもトイレで、出そうと思っても出ないのです。それがずっと夕方まで続くのです。待てよ、これって腎臓がやられたのではないの?急に心配になってきました。聞きかじりの知識ですが脊柱の狭窄で、腰の神経をやられると、近くにある排尿の神経もやられるとか(?)H医者に駆け込みました。
★ H医師「お水飲んでる?飲まなきゃ出ないよ。お天気も影響してるかも。先日尿の検査もしたでしょう、悪い値はありませんでしたよ。様子見にしましょ」。時は、夏の暑さから、冬の冷え込みに気温が急降下した時でした。
確かにお水を意識して飲んだら、尿は少なめではありますが出ました。
翌朝、トイレ信号がないため眠りは深く、よく休みました。でも尿はほんの少し出るだけ。医者は定休日。
H医師の助言を守って水を飲むことは守る。すこしはでる。
一方、薬は、新たに処方された薬もやめて、無薬状態に。私の勝手な診断では、やはりこれは薬の副作用ではないの?止めたら少しずつでも出るじゃあないの!

★ その時はそれでどうにか切り抜けました。

今月初めだったでしょうか、また、気温・気圧の急変する時がありました。尿のご機嫌また悪くなりました。それだけでなく、むかむか吐き気。食事を夫に作るだけで、自分はとても食べられません。戻したら少し良くなって早寝してかわす。

尿は細々と出ると思ていたら、下痢。全くの水様便。絶食二日目。

こんなことを思い出します。この度腎臓だと診断された方々とよく似ている。H医師は胃酸を抑える薬を変えてみましょうと変えてくれた。

4月1日が、診察日として予約が入れてあります。紅麹と似ていますねえ、と言ってみよう。

 


詩人になる時

2024-03-27 13:34:00 | いろいろ

今日も「折々のことば」。2月4日、ずいぶん前の言葉です。そうだなと肯いて、いつか紹介しようと思いながらしないままになっていました。

『人生の中で/誰もが一度だけ詩人になると/聞いたことがあった/生まれてくるこどもの名前を考えるときである』   文筆家 平川克美 「隣町珈琲」店主

解説者の鷲田 清一氏は続いてコンな文を取り上げている。
「今まさに生まれ出ようとしているものに、幸あれと祈りつつ名を与える。それこそ詩の本質ではないか」と。

テレビニュース、新聞紙上、様々な方の名前にお目にかかる。中で、不幸にも人の道を踏み外した人の名前を見る時、悲しくなる。
あなたに名前を付けたご両親。どれだけ考えて、どれだけの親の愛をこめて、あなたの歩む道が幸せであるように祈り、これぞ…とお決めになったに違いない、名前なんだよ。こんなことで人々の目に晒される名前ではなかったはずよ。見知らぬ子どもに向かって説諭をするのです。

一つの場面が浮かびます。高校の2年生の時だったと思います。英語の「久保」先生の授業の始まりでした。教壇でニコニコ、なにか嬉しそうに照れくさそうに、口を開かれました。
「昨夜、パパになりました。女の子です」
「無事生まれたら、次は名前を考えねばなりません。女の子ですから、発音がきれいで、優しくなければと思っています。実はこのクラスに、音が、とてもきれいな人がいるのです。許してくれるなら、音だけ同じにしてもいいと許可が欲しいのです。音についてですが、ア行は温かく優しい響きです。イ行ははっきり、きっぱりした感じです。これを使いたい」

成績優良な友人に「七生(ななみ)」さんという方がいました。「使っていいかな?全部真似はしません。「七美」にしようと思っているのです。「久保」の続きに「七美」。久しく、七つの美を保つ。いいでしょう!」

有頂天の先生でした。可愛い型のお顔の先生でしたから、感じのいいお嬢様にお育ちだったかしら。
夫が詩人になって考えたわが家の子供二人、どうやら子供もできて、詩人にならせてもらったようです。


さくらはまだかいな

2024-03-26 13:09:58 | 日記

予報どおりお日様は顔を出さないらしい。
少し早起きして、ごみを捨てに門を出るが、おやみなく小雨が降っていました。今日は夫がリハビリに行く日、お迎えの車に他の人を待たせないように、ちゃんと時間通り送り出すのに神経を使う。疲れる。
やっと送り出して、一寸テレビ。大谷さんと桜標準木の咲き具合とが大問題。
「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んだ人の心が分かるような気がします。

今年は、暖冬、暖冬と言われ、桜は一段と早く咲くだろうと予想されていました。ところが冬に逆戻りの日々が多く、開花宣言は3度4度先延ばしになっています。
「焦らなくても咲きますよ、これで普通の年に近づいたのよ。私達が子どものころ、桜は4月、入学式を飾る花と決まっていたじゃあないの。これでもまだ早すぎるくらい」わざと落ち着き払って自説を言い立てる。

先延ばしが続くと、気象予報士や、各地の銘木と言われる記念樹など、にぎやかに華々しく報告しようと手ぐすねを引いているロケハンは、手持無沙汰。他の各種桜樹を組み込んでくる。今年は、珍しい桜をたくさん見せてもらった。

でも、そろそろ真打登場ですよ~!!

パッと咲いてパッと散るがいいか、咲いたら長~く楽しみたいか。今年の春のご機嫌次第。
あまり予定の日が狂うと、お花見の計画が立てられないんだって。花の下の大宴会、上手くピタリと当ててね。
ばあさんは、近くのいつもの公園で、ウオーキングしながらみるおtにしているよ~。


半分眉毛と父の思い出

2024-03-25 13:31:03 | わが家の話

今朝、朝仕事を終えて遅い化粧をしていて気がつきました。先日のリフォームで洗面台を取り換えましたので家じゅうで一番きれいな場所です。ピカピカの鏡に映ったのは、リフォーム不可能のしわシミ婆さんですが。
つくづく見ていて気がつきました。
私独特の半分眉毛です。姉・妹と3人姉妹、(兄が5人いますが)揃って母から貰った半分眉毛です。それぞれが独特の形をしていますが、とにかく化粧の私は黛で書き加えるのですが、左右うまく描けた例がありません。

ああ、今日は眉毛の形を書くつもりではありませんでした。不揃いの眉毛の中に、左右一本づつ、それもデザインしたように右は白髪、左は黒い毛がピロンと長く生えて(育って)るのを見つけたのです。

オヤオヤ、お父ちゃんの長生きの印の眉毛だよ~。もうかなり長生きしていると思うけど・・・
鏡に向かって無言の減らず口をたたいたことでした。

父は、明治25年生まれでした。8人兄弟姉妹の下から2番目の私が知っている父は、もうかなりの年でした。健康第一が口癖で、元気に生きることが大事、と病気を恐れる人でした。
その父が、いったいどこからこの知識を得たのか知りませんが、「人間はのう、気をつければ128歳までは生きることのできる動物だというんじゃ。これは本当でよ」というのでした。幼い私にも、まさか…と思わせる長生き伝説です。つづいて言います。「この眉毛の長い毛がその印なんじゃ、これは大事にせんとな」と真面目に言っておりました。

姉は私とは干支一回り違っていました。今の若い人にはお分かりにならないと思いますが、当時は、親の言うことに反対を唱えることは許されていませんでした。姉は、こうした時、反対するのではないが、一寸反対意見を含めて、シレットいうことができる人でした。

「128歳ね、まだ当分生きておられるね。ところで、親より早く死ぬ子供ほど、親不孝なことは無いというよね。お父ちゃんが128歳まで生きてということは、私は何歳まで生きんといけんかいね。こりゃあ、頑張らんといけんねえ」

この時の父のなんとも言えない困った顔、今でもはっきり思い浮かべることができます。
自分の128歳は想像できても、娘のその時は、・・・想像もできなかったのでしょう。

お父ちゃん、おせっちゃんも長い眉毛が2本もあるけれど、128歳は勘弁よ。


マルハラ??

2024-03-23 13:24:08 | いろいろ

ハラスメントを省略して、「ハラ」。セクハラ・パワハラなどという言葉が駆け巡っています。
それはまあ、意味のある言葉として認めるとしても、最近言われ始めた・・・私が知らなかっただけかもしれませんが・・・「マルハラ」はどう考えてもおかしな屁理屈だと思います。
文章の中に「。」を使うと、その文が威圧感を持ち、相手の人に不快な思いをさせるというのです。

もうかなり前でしたが、「マルハラ」という言葉がこんな議論に盛んに言われるようになる前に、私が言われたことがありました。なんだか結婚式のお祝を送るときの文には、「。」はつけてはいけないのよね、というのでした。私はさっぱり意味が分からなくて黙って話題をそらしたことがあるのです。その時から、「。」は、意味もなく使用禁止の意味合いを持って語られていたのですね。

そもそも「。」と「、」はどこで区切って読むと分かりやすいかを示してくれる記号なのです。威圧感とか、何とか、意味はないもので、「句読点」と呼ばれるものなのです。
それがどこで、どうして、威圧感などという意味を持たされたのでしょうか。誰かが、自分勝手な意味を感じ取り、それをまことしやかに広げたのでしょうね。現在は、誰かが言い始めると、本当に間違いであっても酷いスピードで広まって行ってしまうのですね。

実家の五兄がこう言ったことがありました。
「おせっちゃん、あんたは短い間だけれど国語の先生をした人だからわかるか知らん、同じ漢字を重ねる時、「樹々」という風に書くでしょう。あの重ねる時の「々」は辞書を引いて調べる時、何と読むのかね」。
解りませんでした。兄に回答をすることも無く放っていたある時、確かどなたか作家さんがエッセイの中だったか、これは記号で、文字ではないと書いていらっしゃったのです。

勝手な思い込みは止しましょうね。