今回ご紹介するのは、米沢城跡(現在の上杉神社)を巡る堀の南方面にかかる橋、菱門橋(ひしもんばし)です。
菱門橋のたもとの案内版の説明文
『米沢城本丸跡の南側堀にかかる太鼓橋で、あざやかな朱塗りの橋は写真の好スポットとなっている。
橋名は、江戸時代は本丸内の城主が住んだ「御殿」からの南出入口にあたり、その交通は厳重に取り締まったことから、「秘し門」と称されたことにに由来する』
さらに、米沢の史跡めぐりに欠かせないテキスト、『直江兼続がつくったまち米沢を歩く』遠藤英著(平成21年)では、菱門橋についてこのような記述があります。
「本丸奥と塩硝蔵をつなぐこの秘し門橋は限られた者しか渡れなかった。」
塩硝蔵とは?
塩硝は火薬の原料の一つ。
『直江兼続がつくったまち米沢を歩く』によると、鉄砲を重視した直江兼続(2代藩主上杉景勝の重臣)が三の丸のなかにあって、さらに堀で周囲から隔絶され道も門で仕切られた一画に塩硝蔵を2つ置きました。
その後、戦の世が終わり平和な時代が来ると、塩硝蔵は廃止されてほかの用途に用いられました。
さらに後年になると、その場所には1783年には名君として名高い第9代藩主上杉鷹山公の隠居所「餐霞館(さんかかん)」が建てられました。
戦国の末期直江兼続の世には火薬庫。その後には鷹山公の隠居所。
菱門橋は時代ごとに藩にとって重きをなす場と本丸を結ぶ、重要な橋だったのですね。
そして案内板にも書かれているように、今鮮やかな朱塗りの太鼓橋は人気撮影スポットです。
特に堀端の桜が咲くこの時期、わたしなどは日ごとに変わる桜並木の風情を撮るために菱門橋に日参する勢いなのです ^^
艶やかな菱門橋と花筏(2018年撮影)