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もはやキリスト教用語の大切なもののひとつになっている「隣り人」「隣人」
ということばを聴いてあなたはどのような考え方をなさるだろうか?
わたしにとって「隣人」とはまず夫であり、娘(ニャン)である。
つまり「わたしの家族」である。
わたしは「わたしの家族」を宝物のように思っている。
どんなにお金を払おうと「わたしの家族」は「わたしの家族」となってはくれない。
では何が「わたしの家族」を「わたしの家族」たらしめているのか。
もちろん主よりの愛である。
夫がわたしに一杯のコーヒーをていねいに淹れてくれるのも、娘(ニャン)が彼女らしく
わたしの夫の夫婦の関係を強めるような働きをしてくれるのもすべては主よりの愛である。
わたしたち家族が互いに愛しあうことができるのは主より愛しあうことのできる愛をいただいて
いるからである。
わたしはクリスチャンの一家族はそれだけでもはや一つの小さな教会であると思っている。
主にある小さな一つの教会である。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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