イエスさまに何も拒まないように!
イエスさまは、
すべてが主のためであることを御望みになります!
そう、すべてが主のためでありますように!
たとい何一つ主におささげすることができないように
感じられるときにも、
何もないというそのことをおささげしましょう。
(「リジューのテレーズ365の言葉」レイモンド・サンペリ編
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クリスマスは
クルシミマス
主よ
わたしが病気だから
あなたが共に苦しんでくださる
クリスマスは
クルシミマス
主よ
全身全霊をもって
人間となった神
あなたの御降誕を祝う
今日
この日
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あなたは「主イエス・キリスト」と聞いてはたして何を感じるだろうか?
「ああ、そんな畏れ多い御名前は! 神の御名じゃないか! 」とすぐに反応できればシメタものである
あなたの傍らには主イエス・キリストが事実おられる。あなたの救い主である。クリスマスはこの御方が人間のお一人として生まれて下さったことをお祝いする日である。
この . . . 本文を読む
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世の中クリスマスシーズンである。
たいていの人はクリスマスシーズンとなると、なんとなく何もわからず楽しく過ごす。
チキンだケーキだ酒だとワイワイ騒ぐ。
しかし主イエス・キリストが「飼い葉おけで生まれたように」チキンもケーキも酒も食べたくても飲みたくても、食べられない飲めない人間でこの地球は溢れかえっているのが現実である。
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「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである」。
(マタイによる福音書第1章21から23節 )
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われらの主は名前を「イエス」という。
ヘブライ語で「主は救う」という意味である。
夢の中でマリアの夫ヨセフが天使から告げられた名である。
これがフツー . . . 本文を読む
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、
非常に立腹した。
そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、
ベツレヘムとその付近の地方にいる二歳以下の男の子を
ことごとく殺した。
(マタイによる福音書第2章 16節 )
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「救い主が生まれた」と言って、お祝いムード一色になる . . . 本文を読む
わたしはふして眠り、また目をさます。
主がわたしを支えられるからだ。
(詩篇第3篇 5節 )
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クリスマスの朝、上記引用聖句をフツーのクリスチャンのわたしは特に考えさせられるし、また上記聖句の詩篇作者のように大きな感謝の心と感謝のお祈りが与えられる。
もちろん詩篇作者のような「完全な信仰」ではないが。
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「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは「神われらと共にいます」という意味である。
(マタイによる福音書第1章23節 )
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わたしはフツーのクリスチャンとして上記の聖句を信じている。
そしてそれゆえにいわゆる「クリスマスの祝日」は「毎日 . . . 本文を読む
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待ちに待った日
一年にただ一度の日
年に一度の高価なクリスマスのお買い物
わたしたち夫婦は
小春日和の一日
銀座へと出かけた
まだ降臨節にもなっていないのだが
光の武具を売っている店には
もうクリスマスツリーが堂々と飾ってあった
なんだかホッとした
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いないのに、いるかのように仕立て上げ、その上、
奇妙な神話的要素をまとった人物を教会の重要な祝日に
登場させるのは信仰的ではないと主張するしかめっ面の
聖職者よりも、一見して陽気そうな赤いマントのサンタクロース
の方がクリスマスにふさわしいという判断を一般市民にさせたのは、
いったい何だったのでしょう。
単に一般大衆の面白がり意識というのではなく、ま . . . 本文を読む