愛をもとめる心は、
かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしいおほきな海のやうな感情である。
(「萩原朔太郎詩集「青樹の梢をあふぎて」
岩波文庫 )
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あなたは愛を求めるだろうか?
親、兄弟姉妹、友人、恋人などからの愛だ . . . 本文を読む
なぜ世の多くの婦人たちには
女は一度は必ず結婚すべきものだということに、
結婚が女の唯一の生きる道だということに、
すべての女は良妻たり、賢母たるべきものだ
ということに、もっと根本的な疑問が起こって
来ないのでしょう。
(「平塚らいてう評論集:「世の婦人たちに」
岩波文庫 ) . . . 本文を読む
大いなる光を造られた者に感謝せよ。
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
( 詩篇 第136編 7節 )
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あなたにとって上記の聖書の言葉のような”大いなる光”とはなんだろう?
わたしにとってはもちろん”大いなる光”は主イエス・キリストだ。
フツーのクリスチャンの . . . 本文を読む
「この神殿をこわしたら、
わたしは三日のうちに、それを起こすであろう」
「ヨハネによる福音書 第2章 19節」
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主イエス・キリストを自分の個人的な神さまとして信じお祈りをする者は、たとえ主イエス・キリストのように死んでも主イエス・キリストのように「復活」する。
自分のいのちは「復活の . . . 本文を読む
「よくよくあなたがたに言っておく。
わたしは羊の門である。」
「ヨハネによる福音書 第10章 7節」
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門は、人間が「自分の家」に入る時必ずくぐるもののことだ。(実際には門のない家も多い日本であるが、エルサレムに入城するときは必ず通った)。
わたしはフツーのクリスチャンなので、上記 . . . 本文を読む
「お祈りの言葉を唱えることと、
祈ることは、厳密には違うわ」
(「赤毛のアン」ルーシー・M・モンゴメリ
松本侑子訳 集英社文庫 )
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上記の言葉は、主人公アンという11歳の少女が言った言葉だ。
この言葉はわたしにとってまさに主イエス・キリストのみ言葉そのものだ . . . 本文を読む
「主よ、お助けください、
わたしたちは死にそうです」
「マタイによる福音書 第8章 25節」
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あなたは心の奥底から全身全霊をもって「神さま、助けて下さい」と叫んだことがあるだろうか?
人間はどのような悪いやつでも追い込まれて、「自分自身の力ではどうしようもない」と心底、人間としての自 . . . 本文を読む
わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである。
「マタイによる福音書 第21章 13節」
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ここで主イエス・キリストが「わたしの家」と言っている場所は「教会」という場所に限らない。
わたしの体と心と魂のことだ。
そしてあなた自身の体と心と魂のことだ。
ここに主イエス・キリストが . . . 本文を読む
わたしが戦争に反対するのは直感的な感情によるものです。
わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのです。
わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく
あらゆる残虐行為と憎悪に対する直感的な反発によるものです。
(「アインシュタインにきいてみよう」弓場 隆・編著)
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これは「相対 . . . 本文を読む
ドイツの宗教改革者ルターは書いています。
「人々の生まれながらの堕落や無分別が
あまりにもひどいために、どれほど自分
たちが罪深いか、見ようともせず、感じ
ようともしない」。
(「スヌーピーたちの聖書の話」
ロバート・L・ショート著 講談社)
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